帰路と返事

 会計を済ませて三人で帰り道を歩いた。この場所からだと佐々木の家に最初にたどり着き、その後私と吉野が同じ方向へと進みT字路で左右に分かれることになる。

 帰り道の会話はひどくにぎやかだった、酔いが回り楽し気な佐々木と吉野が条件反射で会話をし、その間に私が口をはさむ。そんな具合だったと思う。


 少しして佐々木の住むマンションの前に到着した。


「今日は楽しかったわ。送ってくれてありがとう。」


「僕らの方こそだよ。」


「ああ、映画の件は申し訳なかったけどな。」


「それについては反省しなさい。家に帰って正座して。」


 佐々木がおもむろに時計を覗いた。私も確認すると時刻は23時過ぎを示していた。


「あと12時間と少しね、江嶋。電話でもいいし、直接でもいいわ。」


「時間切れなんてのは一番ダサいからな、気をつけろ。」


「そうだな。、答えを出すよ。」


 目の前の佐々木はそれを聞いて少し黙った。そしてそのあとに佐々木が言う。


「やっぱり電話にしてくれる?留守番頼まれてたのを忘れてた。」


「かしこまった。それじゃあまたな。」


 私はそういって手を振った、佐々木も手を振って振り返り、マンションのエントランスのほうへと歩きながら顔も見せずに言った。


「ええ、またね。」


 今まで聞いたことのない種類の少し震えた声だった。その後ろ姿を見ながら、私はその理由について考えることをやめた。


 ________________



 そのあとの帰り道を吉野と二人で歩いた。これといった会話もなく虫の声だけが周囲には響いていた。

 私たちの間にあった無言の空間を破ったのは吉野だった。


「なあ、何をそんなに迷ってるんだ拓馬。」


「迷ってる?なにを?」


 身に覚えのない問いを投げかけられた私は思わず聞き返した。


「佐々木への返事だよ。拓馬を見ているとそう見える。本当は佐々木が告白した瞬間に、お前は返事をできたはずだ。」


「そんなわけないだろう。付き合いもそれなりだぞ、即答なんてできるわけがない。」


 自分の中の何かから目を逸らすように言葉を返した。

 きっと、佐々木と付き合ったとしてそれは間違いなく楽しいものになるだろう。気心の知れた人間と一緒にいる時間は心地よく、お互いがお互いの距離感を理解しているため衝突も少ない。だが、佐々木に対して恋愛感情があるのかと聞かれれば疑問が浮かぶ、というよりは恋愛対象として今まで見ていなかったので判断に戸惑う。私はそう思っている。そう思って当然だ。


「俺は、佐々木の気持ちにこたえるべきなのか?」


 だが、私の口から零れ落ちたのは全く異なる種類の質問だった。

 本当はそんなことを言いたかったわけではなかった、そんなことを聞きたかったわけではなかったはずだ。しかし、時すでに遅く、覆水は盆に返らない。


「多分俺は、佐々木の気持ちにこたえることができる。きっとそうするべきなんだよな?教えてくれ。迷ってると思うなら背中を押してくれ。」


 一つ深呼吸をした吉野が静かにいった。


「違うよ拓馬、そうじゃない。」


「そうじゃない?どういう意味だ?」


「素直じゃないのもかまわないし、嘘を吐くことだって時には必要だ。でも絶対にそれをしちゃいけない相手がいる。」


「それが佐々木だっていうのか?別に俺は嘘なんか、」


「違う、今お前が騙しているのは君自身、拓馬自身だよ。自分にだけは嘘を吐くな。」


 嘘なんか吐いちゃいない。事実として私はどうこたえるべきか迷って考えていたはずだ。


「自分に嘘?俺が?それは勘違いだ、そんなつまらない真似はしてない。」


 そう答える私に、ため息を吐きながら吉野はいう。


「拓馬が今迷ってるのはどんな答えを出すかじゃない、この関係を続けるためにどうすればいいかだろ。そんな迷いが生じている時点で、拓馬の出すべき答えは決まっているんだよ。」


 私は言葉に詰まり立ち止まった。


「きっと拓馬も今日みたいなありふれた光景が楽しくて仕方がなかったんだろ?いつまでも続いてほしかったんだろ?僕も同じだ、わかるよ。」


「でもな拓馬、あの関係も永遠じゃないんだ、今日だって春がいなかった、そういうことなんだよ。」


「きっと拓馬に振られた佐々木とは、今までのように付き合うことはできなくなるよ。それは佐々木の問題かもしれないし、振った側の拓馬の問題かもしれない、もしかすると、それを無意識に気遣ってしまう僕や春の問題なのかもしれない。」


「だけどそれは何もおかしいことじゃないんだ、僕らはずっと一緒には居られないから。」


「春があまり顔を見せなくなったように、僕らの関係なんて、ふとした瞬間に終わりを迎えるんだよ。佐々木がお前に気持ちを伝えて、それに拓馬が答えられない。その終わりの瞬間が今日だった。それだけなんだ。」


 それを聞いて、あの日の吉野を思い出した


『なあ、こんな日々がいつまで続くんだろうな。』


『いや、ふと思ってさ。僕は決して、というか友達がほとんどいないから知らないんだけど、こういう友達づきあいは永遠に続くわけではないんだろう?

 そう考えるとなんだか残念だなと思ったんだ。』


 おぼろげな記憶の中の吉野の顔はいずれもとても寂しそうだった。


「それをお前が、あんなこと言ったお前が諦めるなよ。」


 私は思わず声を荒げてしまう。少しだけ先を歩いていた吉野も振り返る。


「諦める?ふざけるなよ。」


 立ち止まり、はっきりとした口調で吉野が言った。距離があるはずなのに胸倉をつかまれていたような迫力があった。


「お前のよくわからない気遣いで生き長らえた日常に何の価値があるんだ。僕は、僕たちは、そんな紛い物を欲しがったんじゃないだろ。」



「あの日常を諦めて、都合のいい代替品にすがろうとしてるのはお前の方だろ。」



 暗がりにたたずむ吉野の顔ははっきりとはわからなかった。怒っていたのだろうか、悲しんでいたのだろうか。

 だが、本当にわからないのは自分がどんな顔をしているかだった。


 特別なものなんて何も必要なかった。ただただあの小さくて眩しい、もう戻れない高校時代を追いかけていられれば良かった。

例えそれが、風化していくはずの現在いまだったとしても、こんな結末は望んでいなかった。

ましてや、それを終わりにするのが私の選択であるなんて想像してすらいなかった。

それは、そんなのは、あまりにも残酷ではないか。

 今のまま、ずっとこのままで。そんな小さな願いすらも叶えさせてはくれないのか。


 私は立ち尽くして言った。


「ごめんな吉野。お前がそれを一番に願ってたはずなのに。」


「謝るなよ、自分の選択に胸を張れ。拓馬は何も、悪いことなんかしていないんだから。」


 決して大きくない声だったが、その声はおよそ吉野の体から放たれたとは思えないほど力強い声だった。



「それに言っておくが、僕にあきらめる気は微塵もない。

 『It takes all the running you can do, to keep in the same place.』

 不思議の国のアリスに出てくる赤の女王のセリフだ、知ってるか?」


 不思議の国のアリスは知っていたがそのセリフは聞いたことがなかった。しかしその意味はわかった。


「『その場にとどまり続けるためには、全力で走り続けなければならない』」


「正解だ、現状維持でさえも努力無く得ることはできないんだよ。そして僕らはまだ全力で走っていなかった。」


 それは不思議の国限定での話ではないのか、そういいたくなったがやめておいた。


「今回は仕方がないから僕が全力で走ってやるよ。気にするな、一か月後にはまた4人で焼き肉でも食べに行こう。その時は拓馬のおごりだぞ覚悟しておくんだな。」


 吉野が笑いながら言った、それはひどく頼りない言葉だった。それでも私にはそんな吉野を信じることしかできない。

 であれば、弱音はいらない。何を信じるかも、何が正しいのかももうきめたのだから。両頬をぴしゃりと叩き気持ちを入れ替え、私は強がるように笑ってみせた。に言葉を紡ぐ。


「走るのが苦手な吉野に任せていいのかひどく心配だが、任せた。なんてったって俺も、何かをおごるのが苦手だからな。お互い不得意な分野だが健闘を祈る。」


「おう、任せろ。」


「不安だな。」


「そこは『任せた』って嘘でも言えよ。」


 吉野が笑いながら口にした。たとえそれが私と同じ強がりだったとしても、いまはきっとそれでいい。


 ________________


 吉野と別れ、帰りがけにいつものコンビニに立ち寄った。ベンチに腰かけて、煙草に火をつける。煙を吸い込んでは吐く。慣れてしまったその動作で、落ち着きを取り戻す。しばらくの間、それを繰り返し火がフィルターに近づき灰皿へと用済みとなった煙草をこすりつけ火を消す。もう一本煙草を吸うか迷い、やめる。


 携帯電話を取り出してメッセージアプリで佐々木へと電話をかけた。コール音が携帯電話から流れ出す。2回のコール音ののちに佐々木の声が聞こえた。


「ずいぶんと早かったわね。」


「ああ、まあな。」


「そう、じゃあ返事を聞いてもいいかしら?」


 私の耳にはその声はいつも通りの佐々木の声に聞こえた。意外と緊張しているのは私だけなのかもしれない。そんな考えが頭をよぎるが、冷静に考えればそんなはずはなかった。

 私は佐々木をなるべく傷つけないように、慎重に言葉を選ぶ。


「俺は佐々木のことが嫌いなわけじゃないんだ。むしろ、友人として好ましく思っているよ。だけど、ごめん。俺は君の気持には答えることができない。」


「そう。」


「すごく嬉しかったよ、自分のことを好いてもらえてるとは思っていなかったから、だからすごく考えさせられた、時間にしては短かったかもしれないけれど本当なんだ。でも、」


「江嶋、」


 話を遮るように佐々木が言った。


「私が欲しいのはそんな言葉じゃないの。ただ一言、『私ではだめだ。』とそう言ってほしい。」


「そんなこと、」


 言えるわけがない。そう思った。


「できるだけ私を傷つけないように、そう思っているんでしょう?

 でも違うわ、あなたが私に対してほんの少しでも優しさを持ってるとしたら」


「お願いだから、かける優しさの種類を間違えないで。」


 それはひどくか細い、今にも消えてしまうような声だった。

 少しだけ黙り込んだ私は覚悟を決めて言葉にした


「ごめん、佐々木。。」


 傷つけないように、そんな考えがそもそも間違っていたのか。どんな詭弁を弄しても俺の気持ちも、佐々木の気持ちも変わらないのだから。

 電話口からひどくか細い声が聞こえた。きっと強がって笑っていたんだと思う


「あーあ、振られちゃった。」


 その言葉を最後に電話は切れた。

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