この上なく軽い告白
結論から言うと私と吉野は逃走に失敗した。ショッピングモールから逃げ出し喫茶店でコーヒーを飲んで優雅に休憩していた私たちの前にどこからともなく現れた佐々木に捕獲され焼き肉をおごることを条件に許していただいた。
『殴られるか、焼き肉おごるかどっちがいい?』
という二者択一の問いを浴びせられたため、さすがの吉野も押し黙っていた。
問答無用で一発殴られるということも想定していたが殴られずに済んだのは吉野がチケットを譲ったカップルが佐々木に事情を説明していてくれたからだ。吉野の過失によって訪れたピンチを吉野に救われていたというのだから笑える話だ。
ということで、我々は現在七輪の前で各々グラスを持っていた。
「で、乾杯の音頭はだれがとるんだ?自慢じゃないが僕はこういうのが苦手なんだ。」
「苦手だからこそやってみるっていうのはあるんじゃない?」
「たしかに、たまには吉野がやれよ。慣れないこともやってみると意外と性に合ってたりするかもしれないぞ?」
「なるほど、それならばやってみよう。」
納得したとでもいう顔をした吉野がレモンサワーの入ったグラスを掲げる。それにあわせて私と佐々木もビールの入ったジョッキを掲げる。
「じゃあ、僕と拓馬を救ってくれたカップルの行く末を願って、乾杯。」
「「乾杯」」
私は精一杯の感謝を込めてグラスをぶつけた。
そこからは他愛のない雑談に花を咲かせた。あのテレビ番組は面白かっただとか、最近あの著者が書いた小説にはまっているだとか。本当にいつでもできるような無駄な話だ。高校時代に毎日していた無駄話、しかしその無駄にも計り知れない価値があるということを改めて認識した。
『なあ、こんな日々がいつまで続くんだろうな。』
吉野が言ったその言葉は今も私の胸に深く刻まれている。今でさえ、いるべき人間が一人欠けているのだ、この先こんな風に集まってお酒を飲み交わすことも徐々に減っていくだろう。来年になれば佐々木も春も就職活動を始めることだろうし、理工系の学部に通う私と弁護士を目指す吉野は勉強に追われ始める。ひとつ、またひとつと何かが欠けていく。私の手元にはいったい何が残るのだろう。
「拓馬がなんかセンチメンタルな顔してる。肉を食って忘れろ。」
そういって吉野が私の取り皿に肉をおいた。
「してないよ。ありがとう頂くよ。」
箸で肉を口に運ぼうとすると感触に違和感を感じる。ひっくり返した肉は黒焦げだった。私は吉野をにらみつける。当の本人は騙されなかったかと笑っている。焦げた肉をさらに置きトングで自分の肉を焼く。
それを横目に佐々木が口を開いた。
「吉野は浮いた話の一つもないわけ?」
「突然だな。」
「この世はいつだって突然だからな。」
「違いない。とは言ってもない袖は振れないからなあ。」
「いや、そこはない袖でも振りなさい。」
そんな無茶ぶりありかよ、と私は思ったが何やら隣で話をしようと座りなおしている吉野がいるので聞き手に回ることにした。
「丁度3か月前くらいの話なんだけどさ、勉強がてらコーヒーを飲みに行ったんだよ。『喫茶店』じゃなくって、あのお店に。」
その店の店名というのは聞きなじみのあるコーヒーチェーン店だった。
「喫茶店以外でコーヒーを飲むなんて、マスターが聞いたら泣くぞ。」
「本当に泣くとしたら言ってみたい気持ちはあるけれどね。」
「いや、君らと違って僕の家から喫茶店はちょっと遠いんだよ、雨降ってたし。しかも喫茶店の雰囲気は参考書を開いて長時間勉強するって雰囲気じゃないだろ?」
先ほど置いた肉をひっくり返しながら聞く。吉野が話を続ける。
「注文は確か水出しコーヒーだったかな、美味しいって評判だったから。注文の時店員さんの顔を確認したんだけれどその人がめちゃくちゃ美人でさ。一瞬ドキッとしたんだよ。まあ、平静を装いながら注文を済ませて商品を受け取った。」
「まさかそれで話は終わりじゃないでしょうね?」
佐々木が口をはさむ、私も同様のことを思った、少しの違和感を覚えながら。
「まさか、話はここからだよ。受け取ったコーヒーを飲みながら勉強をしてたんだけどさ、なんだか水出しコーヒーの味がよくないというか、水出しらしくなくて。マスターの美味しいコーヒーに慣れちゃったからかもわからないけど。」
最近のチェーン店のコーヒーはとてもおいしいがマスターのそれと比べれば二段落ちる。本職とマシンの差だろう。
「で、気になったから聞いてみたんだよ。ちょうどさっきの美人店員と目が合ったから。そしたら、そのコーヒー水出しコーヒーじゃなくて普通のアイスコーヒーだったんだ。店員さんも謝ってくれて、新しいものを席までお持ちしますとまで言ってくれたんだ。」
「厄介なクレーマーね。」
「僕も断ったんだけど、それでもっていうからもらったんだよ。言われた通り席で待ってたら美人店員の人が紙ナプキンと一緒に水出しコーヒー持ってきてくれたんだ。」
そろそろ食べごろになる焼き肉を見つめながら話を聞く。
「受け取って渡された紙ナプキンでカップ周りを拭こうとしたら、電話番号が書いてあったんだ、『もうそろそろシフトが終わるのでよかったら連絡ください』って添えてあった。」
「うらやましい話だな。」
そういいながら食べごろの肉に箸を伸ばそうとするとその肉を吉野に取られた。
「俺の育てた肉なんだが?」
「やけに愛情深く育ててたな。育ての親として食べるのはつらいだろうと思って僕が食べてあげたんだ。僕のやさしさに感謝して跪いてほしいね。」
「吉野とは二度と同じ網で肉を焼かないことを今決意した。」
佐々木が笑っていた。この男は「人の育てた肉はとっちゃダメ」って義務教育で習わなかったのか。
「話の続きだけど、僕は嬉しさで小躍りしそうになっていたわけだよ。なんたって美人だったからね。そしてこのコーヒーを飲み終わるまでは勉強をしてこれが終わったらこの番号に電話をかけるんだってね。やる気が起きたペンをとろうと手を伸ばした、悲劇はここで起きたんだよ。」
私はめげずに肉を焼く。とられるならば最初から二枚焼けばいいのだ。
「なんと伸ばした手がコーヒーのカップを倒してしまってね。幸いなことに少しこぼしただけで済んだんだけど、とっさに手元の紙ナプキンでそれを拭いてしまったんだ、電話番号の書いてある紙ナプキンでね。こうして僕は千載一遇のチャンスを失ったと。そういう話だ。」
「それはまた残念だったわね。まあ、吉野と会話した人は吉野から離れていくから結果としては変わらなかったと思うけど。」
私は肉をひっくり返す。
「それはやってみないとわからないだろ?案外僕の魅力にメロメロになったかもしれない。」
佐々木と私はそれを無視する。
「でも本当に嘘みたいな話ね。」
私は即答する。
「嘘だからな。」
「え?」
佐々木が素っ頓狂な声を出す。
「どこでそう思った?」
吉野が尋ねる。
「三か月前って4月だろ?アイスコーヒーは時期じゃないからな、チョイスすることに違和感がある。ましてや水出しコーヒーなんて、その時期まだ売ってない店舗のほうが多いだろ。てか、喫茶店であんだけ高校時代参考書広げてたやつが『雰囲気じゃない』ってそもそもおかしい。」
佐々木は一瞬納得したような顔をしたが少し考えて私に言った。
「根拠としては薄すぎない?」
その質問に関しては私ではなく吉野が答えた。
「ない袖を振れって言ったのは佐々木だよ?」
その一言で佐々木は納得したようでため息を吐いた。
「最初から信じてたのは私だけってわけね。」
そろそろ先ほどひっくり返した肉が食べごろだ。私は箸を手に取る。
吉野が佐々木に言葉をかけた。
「佐々木こそ、浮いた話はないのか?」
「あるわけないでしょ。こっちは4年間、そこの江嶋に絶賛片思い中よ。」
焼けた肉に伸ばしていた手が止まる。今なんて言った?
吉野が私の焼いた肉に箸を伸ばしながら全く驚いていないような声で言った。
「そうだったのか。知らなかった。江嶋は知ってたか?」
知っているわけがない。そう思ったが、思い当たる節はあった。あの時のあれは本気だったのか。
「この前、告白まがいのことをしてみたのだけれど冗談だと思われたらしいわ。人の覚悟を何だと思ってるのかしら。だからこんな風に軽く、ストレートに伝えてみたの。どうかしら?」
そう言って私が育てた肉の残りの一枚を佐々木が食べた。
三枚焼かなかったことを後悔しながら私はフリーズしていた。
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