日常
江嶋拓馬
「止めないで江嶋、春。いつかこいつとは決着をつけなければと思っていたの。その日が今日だった。それだけの話よ。」
かっこよさげなセリフを佐々木が言う。無論、私は止めるつもりなど毛頭ない。なぜならば続行させたほうが面白そうだからだ。というか、こんな口喧嘩は茶飯事であるし吉野と佐々木の口喧嘩を毎度止めていたらきりがない。しかし、春は基本的に平和主義者なのでこういう些細なじゃれあいも止めに入ることが多い。
「どっちでもいいからこの女を止めてくれ。僕は喧嘩がこの上なく弱いんだ。佐々木の腕力は人類が進化の過程で置いてきたはずの強さだから表に出たら僕の五体は繋がったままではいられないだろう。」
「大げさだな。」
「誰がゴリラですって?」
「楓ちゃん!吉野君もそこまでは言ってないよー?」
「佐々木は読心術の心得があるのか?」
「余計な一言を付け足すなよ。」
ため息交じりに私が言った。昔から本当にこの男は一言多いのだ、言わなくていいこと、寧ろ言わないほうがいいことを積極的に口にしてくる。
『僕はね、空気が読めないんじゃない。読まないんだ。』
というのが本人の供述なのだが、あながち嘘でもないのかもしれない。
「ま、まあ二人とも落ち着こうよ~、ね?」
春が弱弱しい声と上目遣いでお願いする。春の上目遣いは相当の破壊力を持っているのだが本人はそれに気づいていないため多用してくる。この上目遣いによって数々の男どもが春に好意を抱き、撃沈してきた。狙ってやっているのならば救いようがあるが、天然でこれなので仕方がない。今回に関しても例に漏れることなくお願いの威力は絶大であり、佐々木も矛を収め椅子に座りなおす。
「私って、春の上目遣いのお願い断れたことないのよね。」
「安心しろ、僕もだ。」
「奇遇だな俺もだよ。」
「ふぇえ!私をそんなわがまま娘みたいに言わないでよ!」
実際のところ、春がお願い攻撃を使ってくるのは春が正しいときのみなので実害はないのだが。
「で、みんな揃ったわけだけどどうする?実際のところ俺と佐々木はちょっとおなかが減ってるんだ。みんな晩御飯は食べたのか?」
春が到着して時計の針は午後7時12分を指していた。ちょうど晩御飯時だろう。
「僕は食べてないよ、何か食べに行くならぜひお供させてほしいね。」
「私は遅めの昼ご飯でに賄を食べたからそんなに減ってないかな~。でも、どこか行くならついていくよ~」
「春はいいとしても吉野は置いていきたいわね。」
「ほう?まだやる気か?佐々木実は僕のこと好きだろ?」
「吉野の奥歯ってどんな形してるのかしらね。」
「楓ちゃんこわいよ~」
見慣れた日常が私の前に広がっている。いとおしく、それでいて儚いこの関係にもいつか終わりが来るのだろうか。
「まあ、落ち着けって。ご飯を食べるとしてどうするんだ?何か食べたいものある人いる?」
「うーん、僕はこれといってないかな。」
「私もない。あ、でも賄がパスタだったからパスタは避けたいかも。」
「佐々木は?」
「私は久々にここのモーニングサンドウィッチが食べたい。」
「いや、今何時だと思ってんだよ。」
確かにこの喫茶店にはモーニングサンドウィッチというメニューが存在する。評判も良く、一種の看板メニューのようになっているが午前中限定でしか販売していないのだ。午前中であっても売り切れで食べることができないことがあるほどに人気であるから、この時間ではさすがに食べることはできない。
「いや、大丈夫よ。ね、マスター?」
突然話を振られたマスターが一瞬困惑した表情を見せたが、すぐにいつもの顔に戻りメモを取り出した。筆談でもするつもりかと思ったがどうやらそういうことではないらしく、何やら食材の名前が書かれたそれが佐々木に手渡された。
「この食材を買ってくれば作ってくれるってこと?」
マスターは黙ってうなずいた。
なんと優しい人だろう、私は感激した。あとはこのメモをもらった佐々木が食材を近くのスーパーにでも買いに行けば万事解決である。
「じゃあ、俺たちは待ってるから買ってきてくれ。」
私は佐々木にそう言った。しかし返答は思わぬものだった。
「いや、じゃんけんで負けた人にしましょう?」
「江嶋相手にじゃんけんをするってのは得策には思えないな。」
「じゃあ、江嶋は確定でいいんじゃない?」
「冗談だろ?」
多分冗談ではないが、私は一応確認した。
「よし、いいだろう負けた二人が行くってことで。今日の僕はじゃんけんが強いよ。」
「私だって負けないんだから~!」
他二人が思いのほか乗り気だったために私の主張はないものとして扱われ、じゃんけんが始まった。こういう時は基本的に吉野が負けるのだが、今回も例に漏れることはなくしっかりとパーで吉野が敗北した。
________
「なあ、こんな日々がいつまで続くんだろうな。」
スーパーからの帰り道、吉野が唐突にそんなことを口走った。
「なんだよ急に。」
「いや、ふと思ってさ。僕は友達がほとんどいないから知らないんだけど、こういう友達づきあいは永遠に続くわけではないんだろう?
そう考えるとなんだか残念だなと思ったんだ。」
高校生の頃は疑うことすらなかったそんな現実を吉野は言った。それはきっと誰しもが考えていることだろう。
「僕たちがこうやって会って話しているのは全く当たり前なんかじゃないって、気づいてるつもりだったんだ。でもさっきの拓馬の作り笑いを見て思ったんだよ。僕の周りの当たり前は僕以外の配慮でできてるのかもしれない。」
「そんなことないよ。少なくとも俺は違う。」
「そうかそれならよかった。」
「ちなみに、俺が配慮してるって言ったらどうするつもりだったんだ?」
吉野がそんなことを気にしていることに私は内心とても驚いていた。
同時に私はどうなのだろうかとも思った。他人に気を使われるような性格をしていないと自分では思っているが本当にそうだろうか。他人の心など自分にはわからないのだから断言はできない。少しだけ恐ろしくなった。
「その時に僕が特に何かすると思うかい?」
「謝ったり反省したりとか?」
「するわけないだろ、僕は僕のままを愛してくれる人を探すだけだよ。君たちはその人なんじゃないかと思っている。」
「そういうことを恥ずかしげもなく言えるのは吉野の才能なのかもな。」
「もっと実用性のある才能が欲しかったよ。」
吉野はそう言っていたが私は心底うらやましかった。相手への好意や嫌悪を素直に伝えることは非常に難しい。情報を過不足なく伝えるには些か言語は不便だ。それでも勇気を出して伝えることに人はみな苦労するのに、吉野はそれを簡単にして見せる。もちろん、そのことによって敵を作ることも多いだろうけれど生き方を変えることのない吉野はやはり生まれ持っての何かが違うのだろう。
「どんな才能が欲しかったんだ?」
「そういわれるとパッと出てこないけれど、やっぱりスポーツの才能なんかは欲しかったよ。君みたいに。」
「俺のは大したことないよ。」
大学に入り、ほどなくして辞めてしまった部活のことを思い出した。それはいい思い出でもあり、同時に悪い思い出でもあった。私はつづけて言った。
「中途半端な才能は残酷だよ、ないほうがいい。」
「そうかな?その中途半端な才能でさえ望んで手に入れることができない人間がいることを拓馬は忘れない様にね」
「努々な。」
吉野は笑った。
「そう、『ゆめゆめ、忘れるなきように。』ってやつだ。」
ほどなくして喫茶店の看板が現れた。ドアをくぐれば佐々木と春が笑いながら話していた。幾度となく見た景色だ。そしてきっと永遠には続かない景色なのだろうと吉野の言葉を思い出しながら言った。
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