拍子抜けの5段目
「ところでどうしてここで葬儀やってるんだ? あのじいさん、神様信じるような玉じゃなかったと思うんだが」
俺は教会を指さしながら訊ねた。
「ん? ああ。いや、何でもここ最近通い詰めていたらしい。通い詰めて、いつも思いつめた顔をしていたらしいぜ。もしかしたら自分の死期を悟っていたのかもしれないな」
「……ふーん、そうか。ちなみに死因は?」
「それがよく分からないんだよな、これが。恐らく、年齢的に寿命だとは思うんだが。それにしたって妙な亡くなり方だったらしい」
「妙?」
「ああ。じいさん、教会の説教台のところにもたれかけるように亡くなっていたらしい。神父がそれを見つけたらしんだが、何だかこう――幸せそうだったらしいんだよな」
「幸せそうだった?」
最期の者を表す表現としてはあまり聞かない言葉だったので思わず繰り返してしまった。
「そう。幸せそうに、子供が満足して眠ってしまったみたいに安らかそうな表情だったらしいんだ。しかも大事そうに本とペンを抱きかかえながら。だから最初、神父も寝ているだけだと勘違いしたらしくってな。亡くなっていると分かって随分と驚いたらしいぜ」
「それはまた――」
よかったじゃないか、と続けようとして自粛した。思っても口に出すことではない。ましてや当人の葬儀が行なわれている日には、特に言うべき言葉ではないだろう。
しかし、それでも。自分を偽ることはできない性分なのだ。だから、
よかった。
と、口には出さずとも、態度に出すこともないけど、心からそう思うのだった。
「あれ? それじゃあ、その本はどうなったんだ? じいさんと一緒に弔うのか」
「いや、それがそうじゃないんだ。神父も他の町民たちもそうしようとしたんだけど、しなかった――本の中を見てしまったから」
「本の中!! 確かにじいさんが死んでしまった以上、止める者はいないものな。処分を決めないといけないし中身は見る必要があるか。うーん、それにしてもどんな内容なんだろうな。あっ、そうだ! じいさんと一緒にしなかったのなら今どこにあるんだ、その本」
盗人になってまで中身を見たかった俺としてはこの事実はかなり興味をそそるものだ。ましてや見ることに失敗している分、お預けを食らっているようなもので他の人よりも知りたいという欲求は強いと自負している。
「教会に置いてあるよ、誰でも見れるようにしてあった」
「そっかそっか。見に行きたいなぁ。あーでも見たくないような気もするし。でも気になる。あっ、でもその言い方だともしかしてお前も見たのか、中身」
「ああ」
「どうだったんだ! それはもう、ご大層なことが書かれていたんだろうな」
「いやー、それがさあ」
と、また煙草を取り出し火を点ける。俺は話を早く聞きたくて、煙草湿気ろと思った。友人は煙草を吸う最初の動作が実にのろまなのだ。緩慢な動作でやっと最初の一吸いが終わった。その間、俺は友人の前を行ったり来たりと実に落ち着きがなかった。そして待たされた挙げ句、
「いやー、まったく分からなかった」
と、笑いながら言うのだった。
「ちょっ、分からなかったってどういうことだよ。お前、字が読めないってわけじゃないだろ」
「それはそうなんだが。だって分からないものは分からないんだよ。読めないんだから」
「読めるけど、読めない?」
俺は困惑した。字は読めるのに分からない。だって読めないから。どういうことだろうか。意味がわからない。謎かけでも出されているのだろうか。ここで小気味よい返しをすれば正解でいいのだろうか。それはそれで意味が分からない――などと思案しているうちに考えが考えを呼び、思考の袋小路に入ってしまった。
そんな俺を誘導するかのように友人は言った。
「だって文字になってなかったんだよ。字そのものが、さ。ミミズみたいにのたくったような字が並んでいるばかりで何て書いてあるのかまったく分かんなかった」
「ああそういうこと」
それならそうと早く言ってくれ。危うく勘違いするところだった。
「クセ字ってことなのかな、それって」
「どうだろ。もしかするとじいさんにも読めないかもしれない。今際の際にやっとのことで書いたものかもしれないしね」
「あー。あのじいさんなら有り得る」
「だろ」
互いを見合って俺たちは笑った。大いに笑った。
「そういえば昔、こういうこともあったよな。じいさんが公園で――」
「そうそう。これも覚えているか。冬の祭りごとの時にじいさんに言い負かされた――」
自然と俺と友人はそうやって昔の思い出を語り始めた。俺と友人が友人になってから現在まで。そのいずれにもじいさんはいる。彼は本当に俺たちの傍らにいたのだ。
そして、いなくなったのだ。
会話をすればするほどそれを意識してしまう。友人もそうなのかもしれない。だって――昔話に花を咲かせて笑い合いながらも、俺たちの間に緩やかな雨が頬を伝うのだから。
曇天の空はまだ晴れない。
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