別の誰かの4段目

 少しばかり人が多い、しかし都会と呼ぶにはあまりに口寂しく、物足りないを通り越して物がない、なくはないが何がいいのか当人には分からないような、そんな片田舎においてだけ名が通っている我が町。そんな町の今朝の天気は曇天の空模様。どんよりと町全体が暗く、重苦しく感じる。空と町は同調しているのか、憂鬱な表情を浮かべる住民たちを多く見かける。

そんな中、俺は口笛を吹きながらのらりくらりと歩いていると教会に大勢の喪服姿の人がいた。

「葬儀の参列者、か……」

指で輪っかを作ってその穴から人々を覗き込んだ。ちなみに、この行動にさしたる意味はない。意味のないことを意味ありげにするのが好きなだけなのだ。

行儀よく並んで揃ってぞろぞろと動く黒い列は、まるで蟻たちのようでなんだか健気に感じる。蟻に健気さなど一度たりとも感じたことなどないのだが。

「それにしても――」

どこか高い身分の人が亡くなったのかな、と考えながらそのまま通り過ぎようとして、

「あり?」

輪っかの中に――もとい参列者の中に頭一つ分抜け出ている奴を見つけ、ふと足を止めた。何故なら、それは俺の友人の頭だったからだ。

「ん? ああ、おーい」

 友人も俺の姿を捉えたらしく、こっちに手を大きく振ってきた。友人は何事も大きいのだ。大勢の視線が友人と俺に向けられる。

「うぅ……」

浴びるほどの視線にたじろぎ、少々の居心地の悪さを覚える。この場からすぐさま逃げ出したくなる。

しかし、だ。

せっかく人目を気にせず友人がこちらに手を振ったのだ。これに応えずして何が友人か。俺は友人の元へ出向くべく、参列者で密集する地帯へ足を踏み入れ――ようと考えた時点でとてつもなく億劫になり、結局それを行動に移すことはなく、友人にこいこいと小さく手招きをしてみせたのだった。誰が何と言おうとこれが俺なりの友情の示し方なのだ。

俺の手招きを見た友人はこれまた大きく頷くと、うごめく参列者の波とは逆方向にくねくねと動きながら抜け出してきた。わざわざ並んだ列を抜け出してくるとは。面倒なことだろうに、ご苦労なこった。どうも我が友人は俺に優し過ぎるきらいがあるようだ。

参列からやっとのことで抜け出し、俺の元へとやってきた友人は他の参列者同様、喪服姿だった。葬儀の列に並んでいるからそれは当たり前ではあるが、しかし普段一緒になってふざけている友人の体裁を整えている姿はどこか新鮮に映った。

軽くまた挨拶を交わした後、

「随分と立派な葬儀じゃないか。どっかのお偉いさんでも亡くなったのかい?」

 先ほど疑問に思っていたことを口に出してみた。

「お前知らなかったのか? ほら、町はずれにある一本杉の丘に住んでるじいさんがいただろう」

「ああ。あの変人の」

「そうそう。そのじいさんの葬儀だよ」

「えっ、あのじいさんついに死んだのか。俺がガキの頃からじいさんだったからてっきりずっと死なないもんだと思ってたよ」

「おいおい、不謹慎だぞ」

 友人は一瞬、厳しい顔つきとなった。しかし直ぐに、

「まあ、正直俺もそう思ってたんだけどな」

 と、俺の軽口に笑みでこたえてくれた。本当にいいやつだ。

「それにしてもあのじいさんの葬儀にこれほどの人数が来るなんてな。ひょっとしたら町の三分の一ぐらい奴が来ているんじゃないか?」

「さすがにそんなにはいないだろう。あーでも確かにそのぐらいにも感じるな。こんなに密集していちゃあ、な」

 そう言うと友人は懐から煙草を取り出して火を点けた。深呼吸をするように吸い込み、ふぅーっと一気に吐き出した。その際に出た煙草の煙が、上空に広がっている雲に繋がっていくようにゆらゆらと立ち昇っていく。

「実はじいさんってお偉いさんだったのか?」

 俺がそう訊ねると友人は首を振って、

「んーにゃ。それこそただのじいさんだよ。ただの、変なじいさんだったよ」

 どこか遠くを見つめるように友人は言った。その際、煙草の先からぽろりと灰が落ちる。

「まっ、それでもあのじいさん、変人で無愛想ではあったけど、人柄だけはよかったからなぁ。お前も散々面倒見てもらっただろう」

「そうだな……」

 友人の言葉に頷きながら俺はじいさんの姿を思い浮かべていた。

 俺が知っている限り、じいさんはいつも本とペンを持ち歩いていた。そしていつでもどこでも『何か』を書きこんでいた。道を歩いている時も、誰かと話している最中であっても、所構わず誰彼かまわずそんなことをやっていた。だから町の皆はじいさんを変人と呼んだのだ。

 一度だけ俺は『何か』について尋ねたことがある。するとじいさんは、

「さあね、何だろうね」

と、曖昧にはぐらかすだけだった。本当に何をやっているのかはさっぱりだった。他の町民たちも何をやっているのかは知らない。

そういえば昔こんなことがあった。とある悪戯心を起こした将来有望なこと間違いなしの小僧が本を盗もうとする事件があった。その小僧は犯行を行う前に、俺がじいさんの本を盗んで謎を解き明かすといったようなことを町の人たちに吹聴していた。本来ならば叱って止めるべきなのだろうが、誰もがじいさんの本の中身に興味があるのは違いなかったので小僧の悪戯を止めようとする者は一人もでなかった。むしろ応援する者も出る始末。それがますます小僧を調子づかせる結果となった。

そしていよいよ実行の日。町の誰もが固唾を飲んで見守る中、小僧は走ってじいさんの元へ向かい、本を奪おうとした。しかし本に手が届いた瞬間、大胆にすっころんでしまい、見事に失敗してしまった。じいさんは小僧が本を盗もうとしたことに気づいてとても怒った。すさまじい形相をしたじいさんに睨まれた小僧は逃げるのを忘れ、一本杉の丘にあるじいさんの家まで引きずられながら連れて行かれた。そして二日ほどたってやっとじいさん家から帰ってきた小僧は言葉少なに、

「もうじいさんの本は盗まない」

と、だけ言って覚束ない足取りで自分の家に帰っていったのだ。その様子を見て、我が町の住人達は二度とじいさんの本には触れないでおこうと心に誓ったそうだ。そして、何を隠そうその将来有望で誰もが成し遂げられなかったじいさんの本を盗むという行為をやってのけた町のヒーロー的な存在である小僧こそ俺なのだ。正直あれほど怖いことはなかった。まともに語るのも恐ろしい。だからたった一言、誰かの物は不用意に盗むのだけは止めておけとだけ言っておこう。

このようなことがあったとはいえ、それでじいさんから人が離れていったかというとそうではない。むしろ彼にはよくよく人が集まっていた。どうしてかは分からないが、じいさんには不思議な魅力があった。つい構ってあげたくなるというか、ほっとけないとでもいうのか。相手をそういった心持ちにさせるのがとにかく得意なのだ。しかもじいさんにとってそれは意識的にやっているものではなくあくまで自然体でやっているので、いくら不躾な態度をとられても皆、

「しょうがないなぁ。あのじいさんだしな」

 と苦笑しつつもやはり許すのだ。いや、許すというより受け入れるというニュアンスが近いかもしれない。敢えてそれを言葉にするなら相手の寛容な心を引き出すのが上手いじいさん、ということなのだろう。そう言えばじいさんは誰の隣にでもいるような人だった。

時には寄り添うように。

時にはつき従うかのように。

そしてまた、時には家族のように。

何も言わず。何も見返りなど求めず。

じいさんは傍にいてくれた。

ただ淡々と自分の世界に籠っているような人だったが、俺たちが誰かにいて欲しいと願うそんな時、じいさんは必ず近くにいてくれるのだ。

俺の母さんが亡くなった時もそうだった。

俺は母さんと二人暮らしだった。貧乏は貧乏だったが母さんが必死になって働いてくれていたのでそこそこ幸せに暮らしていけていた。俺もやっと働ける歳となり、母さんに楽をさせてあげることができる。

そんな風に思っていたある日。母さんは死んだ。事故死だった。

母さんの死は予期せぬもので、事前の構えもなく、ただ死んだという事実を伝えられた時の衝撃は今でも忘れられない。親戚の誰かが淡々と葬儀を済ませる中、俺はただ呆然と立ち尽くしかできなかった。泣くことも、喚くこともできなかったのだ。そこまで感情や思考が追いついてなかったのだ。感情と思考が追いついた時、螺旋状に交り、混じりあって激情になって俺に襲い掛かってきそうで怖かった。

そんな時だ。じいさんが俺の傍らにいたのは。

母さんの墓前で突っ立ていた俺の横に、いつのまにか胡坐をかいて座り込んでいた。勿論、足の上には本とペンが並んでいる。

彼は何も言ってくれない。慰めるとか助言をしてくれるとかそんなことは一切ない。いてくれるだけで何もしてくれない。彼はただペンをひたすら動かすだけだった。

けれど、だからこそ、それがなによりありがたかった。今となってはそう思う。この時の俺に何かしら言葉をかけていたら、恐らく俺は発狂していただろう。それほどまでの情だったのだ。こればかりは言葉で片付けることはできない。自分で、時間をかけてちょっとずつ処理していくしかないのだから。

じいさんは言葉どころか態度にすら表さない、不器用どころか不親切、不謹慎にも捉えられないそんな行動だったけど、俺は確かに助けられたのだ。救われたのだ。じいさんが熱心に一つのことに心血を注ぎこむその姿を見て、俺たちは励まされるのだ。

頑張れ、頑張れよ、と。

そのことを分かっているからこそ皆、じいさんを慕うのだ。じいさんに集まるのだ。受けた恩を返すがごとく、じいさんを一人にしておかないのだ。甲斐甲斐しく、世話を焼くのだ。

俺たちが見守るじいさんは歳相応に弱弱しく、常にいつ倒れてもおかしくない様子だった。それでもひたすら前だけを向いて頑張る姿に、我々は今を生きる力を貰っていた――そんな気がするのだ。

我が町を訪れることがある際はじいさんのことを誰かに尋ねてみるといいだろう。恐らく誰に尋ねてもこういうことだろう。

「変なじいさんだよ。けど悪い人ではない。ただ変で、人のいいじいさんだ」

 と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る