ノスフェラトゥかく語りき

秋月カナリア

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食料の確保。

これが僕たちの人生の中核となっている。僕たちの単一だが特殊な食料は、気軽に購入できるものではないからだ。農業のように生産できるのかいえば、一応のところ可能ではある。だいぶグロテスクな想像をしてしまうが。それだって、一個人ではできないだろう。

僕の同族には、ほぼそのため、つまり食料を獲得し摂取するために生きている、そう豪語する者がいる。僕はそんな人生、少々つまらないと感じてしまうが、そこまで珍しいことではない。仕方のないことだと思う。僕たちにとって食事とは、栄養補給以上の意味を持つ。

 僕は三十代と四十代のほとんどを森の中で暮らしていた。

 誰も来ないような場所に、簡素な家を建て、なるべく人と会わないようにしていた。

 これは別に世捨て人を気取ったわけでも、人間関係に嫌気がさしていたわけでもない。自分がそれまでに考えていた人生設計が、大幅に狂ってしまったためだ。

 自分はどうしたいのか、どう生きるべきか、じっくり考える必要性を感じた。

 幸いにも時間は、文字通り無限にあったから、一度自分を見つめ直そう、そうだ、山に籠もろう、という思いつきで山に入った。見つめすぎて二十年もかかってしまったが、なかなか有意義な時間だった。

 そのときの食料は野生動物だった。正直あまり美味しくはなかったが、空腹を満たすには充分だった。この先、何があっても、また山に入れば良い、と楽観できるようになったのは大きい。

五十代に入ってからは、街中に引っ越した。

 山奥の生活をやめたのは、答えが見つかったからではない。

山奥といえど、たまには人のいる場所に出かけなければならなかった。人に会えば怪しまれないよう、できるだけ愛想良く応対していた。そのため近隣の住人に、僕が山に住んでいる風変わりな若者、と認識されてしまった。認識されてしまうと、もうその土地に住むことは難しくなる。

僕らは一つの土地に、長く留まることはできないのだ。

 街中では、複数人の家をローテーションで渡り歩いていた。

 食料はそれぞれの家主から、少量ずつ貰っていた。一人に対する負担を減らすため、その方法を採用してみたが、これが結構大変だった。いわばヒモのような状態であったことから、非常に気を使ったのだ。自分では食べられないがらも料理を作ったし、洗濯も掃除もこなした。家事全般はこのとき覚えた。

 ローテーションの人員が減れば、新しく見つけなければならない。この選別が難しい。

 簡単に僕という不可思議な存在を受け入れるような人間は、僕以上に不可思議なメンタリティだったりするのである。

 それでも十年ほどそんな生活を続けられたのだから、僕は自分が思っている以上に我慢強いようだ。

 ここ数年、看護師の友人を得てからは、生活にゆとりが生まれた。ぼんやりしていても安定して食料が得られることの、なんと恵まれたことか。友人との関係如何によっては、この生活も続けていけなくなるだろう。だが、当分の間は大丈夫ではないか、と勝手に思っている。テイクだけでなく、ギブも積極的に行っている。

 吸血鬼生活というのも、なかなか、楽ではない。

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