第5話鯉獲り
深雪の目の前に二尺はあろうかという大きな鯉が現れた。
深雪は声には出さず、心の中でだけ気合を込めて薙刀を振るう。
幼い頃からの鍛錬で、深雪の技は練達の域に達している。
本人が師範代になれると自負するのも当然だ。
秋月家一門には劣るが、古参門弟に劣るモノではない。
鯉に傷をつけないように、柄の部分で鯉の側面叩く。
衝撃波を鯉の側面を与え、傷つけることなく鯉を気絶させる。
生きたまま鯉をとらえるのには最高の技だが、なかなか会得できるモノではない。
会得しているのは師範代たちと一部の古参門弟だけだ。
「うわぁ」
「くそ!」
「このやろ!」
若い門弟たちが騒いでいる。
深雪よりも年配の弟子も多いが、無傷で鯉を獲る事はできていない。
鯉を獲る許可を受けていない弟子は、刀身で鮒や鯎や突いている。
「こっらぁあ!
許可を受けた者以外は鯉を狙うんじゃない!
今度やったら破門だぞ!」
喜次郎師範代が腕の伴わない古参門弟を叱りつけている。
喜次郎は初代道場主の次男で、武芸者として一番力を発揮できる年頃だ。
腕を買われたのと多くの持参金を用意できたことで、百俵取りの御家人に婿入りできている。
下手に役目を得て御役目貧乏になるくらいなら、実家の師範代として槍術を教えた方が金儲けになるので、御役目にはついていない。
もっとも嫡男は槍術の腕を買われて、御台様広敷番衆の役目についている。
違反した古参門弟は小さくなっていた。
後輩に腕で劣り焦っていたのだろう。
だが秋月道場としては見逃せない違反だった。
秋月道場の副収入は、大川の魚を獲り、高級料理屋に売ることだった。
特にこの時代最も尊ばれた鯉を売ることだった。
鯉は滝を登って竜に変ずると言われるので、公家や武家で貴ばれている。
神々への奉納料理に使われる魚も鯉と決まっている。
正月・盆・祭りなどの祭事に供されるのは必ず鯉だ。
それを槍の柄で気絶させて生きたままとらえたとなれば、裕福な武家や商人は大金を積んでも食べたがるのだ。
だから鯉を見つけたら、練達の師範代級に知らせることになっていた。
だが一番近くにいたのは深雪だった。
男の嫉妬は見苦しく汚い。
自分よりはるかに年下の深雪に知らせたくない古参門弟は、自分で鯉を獲ろうとして逃がしてしまったのだ。
本来なら武士が商いで魚を獲ることは許されない。
旗本御家人なら厳しく罰せられる。
だが、槍術の鍛錬のために突くのなら黙認される。
しかし、それでも、料理屋に売るとなると慎重にしなければならない。
実際に魚を料理屋に売りに行くのは、浪人の門弟に限られていた。
その日食べる分の雑魚も若い弟子が十分突いたので、皆は道場に戻った。
「深雪殿、先生がお呼びだ。
座敷まで来てくれ」
巳三郎師範代が深雪を待っていた。
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