第3話落胆
「本来ならこの場で何らかの約束をしてやるべきなのだが、それができぬ。
私は近々お役につくことが決まってるのだ。
三代目道場主を降りて徒士組のお役につく。
四代目は弟の段次郎が継ぐことが決まっている。
私と段次郎、初代の祖父と相談して決める。
それまでは今まで通り鍛錬に励んでくれ」
「はい、宜しくお願い致します」
深雪は深く落胆した。
入門した幼い頃から知っている槍一郎先生ならば、優遇してもらえるかもしれないと期待していたのだ。
もちろん弟の段次郎師範代もよく知っているのだが、道場主になってから本性がでる事もある。
道場主の交代は、門弟には、特に生活が懸かっている深雪には一大事なのだ。
深雪は考えが甘かったのだ。
秋月家は道場と副業で大儲けしているので、幕府での役目には執着していないと考えていた。
だがそれは大きな間違いだった。
金銭的に余裕ができたからこそ、御家人から旗本になりあがりたかったのだ。
秋月家は別に賄賂を贈って旗本になろうとしているわけではない。
槍一筋に忠勤に励み、その武芸を認められて旗本になれそうなのだ。
初代道場主の虎太郎先生は徒士衆だった。
徒士衆は蔵米取りの御家人で、俸禄は七十俵五人扶持だ。
忠勤に励むと同時に、武芸者としても江戸中で名を売り、道場を創建された。
遂には武名と忠勤が評され、俸禄は百五十俵ながら旗本役の徒士組組頭となった。
虎太郎先生は直ぐに役目をひかれ、二代目道場主の龍造先生が徒士衆となられた。
この時の事は深雪も覚えていた。
入門したばかりで幼かったが、道場主の交代という大事件であったし、祝い事の料理があまりに豪華な事に驚いて、鮮明な記憶に残っている。
そして龍造先生までも旗本役の徒士組組頭に昇進できたのだ。
御家人の秋月家が、二代続けて旗本役に就任できたのだ。
三代続けて旗本役に就ければ、家格が御家人から旗本に昇進できる。
これはとても名誉な事なのだ。
しかも幕府は龍造を徒士組組頭の役目につけたまま、嫡男・槍次郎の徒士衆出仕を認めたのだ。
幕府は、道場を開き武芸者として名を売っている秋月家を評価することで、武芸を奨励しようとしているのだ。
秋月家としても、絶好の機会を逃すわけにはいかなかった。
「私はどうすればいいのでしょう」
槍一郎先生の座敷を後にした深雪は、思わず独り言はつぶやいてしまった。
「なにか心配事ですか、深雪殿。
私でよければ話を聞きますよ」
深雪の独り言を聞いて話しかける者がいた。
「これは巳三郎師範代。
個人的な事でございます。
お聞き捨てください」
槍一郎先生の次弟・巳三郎は歳の近い深雪の事を心から心配していた。
いや、女性として好ましく思っていた。
だが追い詰められた深雪は、その事を見抜くことができなかった。
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