バタ足

「よし、まずは浅瀬のプールから始めよう」


 とりあえず、僕達は小さな子供でも泳げるような低いプールへと場所を変えた。


 周りにはほとんど人がいないが、いきなり水深の深いプールに入って、溺れたりしたらシャレにならないので、まずは慣れることからスタートするべきだと考えたのだ。

 もし、ここがたくさんの人でいっぱいなら恥ずかしい限りだが、ほとんど人がいない今の状況はうってつけだった。


 念入りに準備運動で身体をほぐしたあと、横にいる倉田さんと同時に水に入る。


 運動神経は良さそうだから、コツさえ掴めばすぐに泳げるようになりそうだけどな……

 まぁ、まずはバタ足からスタートするか。


「よし、じゃあ始めようか」


「う、うん……」


 少し緊張した様子の倉田さん。

 こんな姿見たことない。彼女にも苦手なものはあるんだなと僕は思った。


「僕が手を掴んでるから、まずはバタ足から始めよう」


「わ、わかった……」


 緊張した面持ちで倉田さんは頷き、そしてすー、はー、と深呼吸を繰り返したあと、おずおずと僕の手を掴んできた。

 掴んできた倉田さんの手はものすごく柔らかくて、僕は少しだけ緊張した。

 手を握るのなんて、初めてじゃないのに……


 だが、それ以上に目の前には倉田さんのそのスレンダーな身体があり、僕の心臓はドキドキしっぱなしだった。


「顔は浸けなくていいから、そのままやってみて」


「うん……」


 僕の言葉を聞いた後、バシャバシャと足を動かしてゆっくりとバタ足を始める倉田さん。

 足に力を入れてるのか水が激しくしぶいている。


「足にはそんなに力を入れなくていいんだ。むしろ太ももを動かす感じで」


「うん……」


 僕の言葉を真剣な表情で聞きながら、足を動かす倉田さん。

 最初の頃に比べて、かなり上達しているようで水の中を進むスピードも早くなってきた。

 うん、やっぱり飲み込みが早い。


「膝から下を動かしても体力を消耗するだけなんだよ」


「そうなんだ……」


 そうやって話しているうちにあっという間に反対側のプールサイドまで辿り着いていた。


「それじゃ、今の感覚を思い出しながら、また反対側に戻ろう」


「うん」


 手を掴まれながらではあるが、少しずつ泳げるようになっているのを実感しているのか、倉田さんの顔は少しずつ微笑んでいるように見えた。


 そして、またバシャバシャとバタ足を開始する。

 倉田さんは僕のアドバイスをすんなり飲み込んだようで、最初の頃とは比べ物にならないくらいに上達していた。

 なんで今まで水泳ができなかったのか、不思議なくらいだ。


 そんなことを思っているうちに、あっという間に反対側へと辿り着く。


「バタ足は完璧にできるようになったね」


「うん。なんか泳げるようになったみたいで嬉しい……!」


 自身の上達ぶりに感激しているのか、倉田さんは顔をほころばせた。

 そんな喜びに満ちた笑顔を見ていると僕も教えている甲斐があるなと心の底から思えてきた。

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