第二十話 復讐屋 vs 殺し屋(前編)

   

 もはや夕方ではなく、夜の闇に包まれ始めた地方都市サウザ。その街中まちなかを、モデスタ・ドゥクスが、足早に歩いていく。いや、むしろ歩くというより、走るという方が正しいかもしれない勢いだった。

 通行人は少ない時間帯だが、たまにすれ違う人々は、モデスタの騎士鎧を見て「立派な騎士様が、何をそんなに慌てているのだろう?」とか「騎士様が急ぐということは、何か大事件でもあったのだろうか?」とか思いつつ、彼女に奇異の視線を向けていた。だが、それを気にする余裕はモデスタになく、ましてや、自分の背後を振り返ることは一度もなかった。


 やがて彼女は、街はずれの草地に辿り着いた。

 ここまで来ると、もう道らしき道は存在しない。それに、整えられた芝生ではなく、伸び放題の草ぼうぼうなので、歩きにくいことこの上なかった。それでも彼女は、目的地へ向かって、ひたすら歩き続けて……。

 家屋なんて一軒もなさそうに思われる野原の中、ポツンと建っている小屋が見えてきた。

 打ち捨てられた廃屋あばらやではあるが、入り口には一応の扉が備え付けられて、窓にはきちんとガラスがはまっている。もともと曇りガラスな上に、薄汚れているせいで、外から覗いても見えないのだが……。

 目的の人物が中にいることを、モデスタは確信していた。この小屋こそが、ウーヌムたち『飛翔気流三兄弟』のアジトなのだから。

 誰かを殺しに行くのは夜だとしても、素性や住処すみかなどを調べ回るのは、昼の間に行うはず。まだ『黒い炎の鉤爪使い』について探っているうちは、夜になればアジトで休んでいるだろう、と考えたのだ。

「あなたたち、いるのでしょう? 入るわよ!」

 初めて来た時と同じように、鍵などついていない扉を乱暴に開けて、モデスタは小屋へ入っていく。

 一瞥すると、やはり三人組は揃っていた。本来の家具や調度品は既に撤去されているが、彼らが新たに持ち込んだ椅子や机で、思い思いにくつろいでいる様子だった。

 右側の壁から少し離れたところには、椅子に深々と沈み込んで、足を組んでいるウーヌム。大きな茶色のビンを手にして、中身をラッパ飲みしている。

 巨漢のドゥーオは左の壁際で、黙ってのっそりと立ちすくんでおり、小柄なトゥリブスはニタニタと笑いながら、奥のテーブルで愛用のナイフを研いでいた。


 三人が、示し合わせたかのように一斉に、モデスタに視線を向ける。代表して口を開くのは、長兄であるウーヌムだった。

「なんだ、あんたかい。どうした、そんなに血相変えて?」

「血相も変わるわよ! これを見なさい!」

 モデスタは黒い手紙を手にして、座っているウーヌムに歩み寄ろうとするが、ウーヌムの方でも、一大事が起こったと理解したらしい。先に彼が立ち上がって、彼女に近づいてきた。

「まあ、落ち着け。そんな状態じゃ、まともに話も出来ないだろ」

 ポンポンと、モデスタの束ねた長髪に触れるウーヌム。頭を撫でたつもりのようだが……。

 一瞬、彼女の頭の中は真っ白になった。父親が亡くなって以来、誰にも頭を撫でられたことはなかったのだ!

 反射的に、男の手を払いのける。

「何するのよ? 子供扱いしないで!」

「子供とは思ってないぜ。とりあえず、これでも飲んで冷静になれ」

 モデスタが手紙を彼に見せつけるよりも早く、ウーヌムが彼女に茶色のビンを突きつけてきた。

 確かに、ここまで急いで来たから、喉は乾いているが……。これは、今の今までウーヌムが直飲みしていたものだ。ビンの口の部分が濡れているのも、その中身ではなく、彼の唾液なのではないか、と思えた。

 たとえ少量であっても、汚らわしい男の唾液を口にするなんてゾッとする。これは夜の妄想ではなく、現実の出来事なのだから。

 モデスタは顔をしかめるが、

「そうね……」

 自分を鼓舞するかのように、敢えて、そう口に出していた。

 同じビンから回し飲みをするのは、いわば「盃を交わす」という行為なのだろう。ウォルシュの屋敷を警護していた騎士とか、刃物屋を営んでいた仲介屋とか、既に死人が出ている以上、この三人とは一蓮托生。今さら拒める立場ではないのだ、とモデスタは考えてしまう。

 だから、思い切って、グイッと飲むと……。

 喉が焼けるような感覚に襲われた。薄々は察していたが、水やジュースではなく、アルコールが入っていたらしい。ウイスキーのような、蒸留酒のたぐいだ。

「けほっ、けほっ。何よ、これ。水じゃなくて酒じゃないの! こんなの飲んだら、かえって喉が乾くわよ!」

「おう、いい飲みっぷりじゃねえか。どうだい、少しは頭も冷えただろ?」

 穏やかな笑みを浮かべるウーヌム。

 満足しているようだから、やはりこの酒には、仲間の契りを交わすという意味合いがあったのだろう。

 モデスタは、まさか『女』として気に入られているとは知らず、微妙に誤解するのだった。


――――――――――――


 モデスタの態度から、ウーヌムには理解できていた。

 彼女が、いわゆる間接キスを気にしている、ということを。

 まるで十代の小娘のような神経だが、これこそ、いかに彼女が男慣れしていないか、という証。むしろ可愛らしいではないか。

 ウーヌムとしては、モデスタを微笑ましく思うくらいだった。

「じゃあ、今度は私の番ね。見てよ、これ!」

 まだ酒にむせているらしく、左手で口を軽く押さえながら、右手で手紙を突きつけてくるモデスタ。

 大事に握りしめていたのだから、よほどの内容が書かれているに違いない。

「どれどれ……」

 ほろ酔い気分だったウーヌムは、笑顔のまま手紙を受け取り、その文面に目を通し始めたが……。

 途端に、それまでの上機嫌が吹っ飛んでしまった。

「おい、これは!」

「どうしたんだい、ウーヌムの兄貴?」

 ウーヌムの大声に反応して、奥のテーブルのトゥリブスが顔を上げる。さすがにモデスタが入ってきた時はそちらに注意を向けたが、その後は「あの女の相手は兄貴に任せればいいや」と決めつけて、またナイフ研ぎの作業に戻っていたのだ。

「どうしたもこうしたもないぞ!」

 ウーヌムの態度が変わったのも無理はない。

 モデスタが持ってきた手紙には、次のように書かれていた。


『嘘偽りを申し立てて、人の命をあやめようと企てるは、この世界では御法度なり。よって闇の掟により、貴様の命、貰い受ける』


 差出人の署名はなかったが、考えるまでもなく『黒い炎の鉤爪使い』からの挑戦状だった。

「そうでしょう? もう私、生きた心地がしなくて……。これというのも、あなたたちが早くその女を始末してくれないから……」

 と、のんきなことをモデスタが言っているが。

 同じ殺し屋稼業のウーヌムには、『黒い炎の鉤爪使い』が手紙を送りつけてきた意図は、正しく読み取れていた。

 だから。

 ウーヌムは顔を上げて、モデスタに対して、いつになく冷たい眼差しを向ける。

「モデスタ、てめえ、つけられたな」

「えっ、どういうこと……?」

 声を震わせるモデスタ。彼の態度に気圧けおされたとみえて、後退あとずさりすらしている。

 別に彼女を怯えさえたところで何の得もないのだが、もはやウーヌムには、モデスタを気遣っている余裕はなかった。

 そんな彼の推察を裏付けるかのように。

 ウーヌムの左側で、窓ガラスがパリンと凍りつき、一瞬で砕け散った!


 窓枠のみが残されて、ただの穴と化した窓からは、冷たい冬の夜風が入り込んでくる。その風に乗って、粉々になった窓ガラスの破片と、細かい氷粒が吹きつけてくるのを、ウーヌムは頬で感じていた。

 目で確認するよりも早く、魔法の使える彼には理解できていた。敵の魔法使いが氷魔法で窓を破壊したのだ、ということを。

 もちろん、窓の方を実際に見ようともしたのだが……。

「気をつけろ、ウーヌムの兄貴! 来るぞ!」

 反対側から、トゥリブスの叫び声。そのせいで、意識が一瞬、そちらへ持っていかれた。

 ガラスが消えた窓の方に注意を向け直そうとした時には、ヒュッという風切り音と共に飛んできた物体が、ウーヌムに襲いかかり、彼の首に糸状のものを巻き付けていた。

「くっ!」

 二日前と同じ手口だから、よくわかる。今度はトゥリブスではなく、ウーヌムを引っ張っていこうというのだ!

 早速、体が引きずられる。トゥリブスの時とは異なり、首に巻かれているので息苦しい。もちろん、絞め殺されるというほどではないが、

「イア……チェ……」

 とても呪文詠唱が出来る状態ではなかった。

 この強固な魔法の糸を、前回のようにウーヌムの氷魔法で凍らせて断つのは、今回は無理。

 敵は二日前の一戦から学んで、まず呪文を封じるために、真っ先にウーヌムを狙ってきたのだった。


 そう悟ったウーヌムの視界に入るのは、窓の外に立つ黒い人影。つばの広いとんがり帽子と、ゆったりとしたローブは、まるでいにしえの攻撃魔法の使い手のような格好だった。

 その魔法使いの口から、ウーヌムの知識にもある――ただし発動できる魔法ではない――詠唱文句が紡がれる。

「ソムヌス・ヌビブス!」

 わかっていながらも何も出来ない我が身を呪いながら、ウーヌムは睡眠魔法ソムヌムによって意識を奪われ、その場に崩れ落ちるのだった。

   

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