第十八話 最後の依頼
朝の清々しい日差しの下。
黒いブラウスとオレンジ色のスカートという姿で、街の中を足早に歩いていたのは、褐色がかった肌と赤毛の目立つ女。『投げナイフの美女』と呼ばれる大道芸人、モノク・ローだった。
ただし、今の彼女は、仕事場である『アサク演芸会館』へ向かっているわけではない。今日の出番は午後からであり、自由に動ける午前中を使って、『ジョンの刃物屋』のおやっさんと話をするつもりだった。
ナイフ投げの芸人としてではなく、一人の殺し屋として。
昨夜の『幽霊教会』において、
あれから、少し事情が変わっていた。三人組の殺し屋が、モデスタ・ドゥクスの屋敷で彼女と接触した件だ。
状況から判断して、モデスタが三人組の雇い主であることは間違いない。だがモノクの依頼人であると決まったわけではないし、昨夜は「確証はないが、おそらくそうなのだろう」と考えるに留まっていた。
しかし、今朝になって。
それこそ、おやっさんに聞けば確かめられる、とモノクは気づいたのだ。
別に「依頼人はモデスタなのか」と尋ねる必要はない。ただ、モデスタと三人組の殺し屋が繋がっている、という話を持ち出すだけでいい。
もしもモデスタがモノクの雇い主でないならば、たまたま標的が重なった、という話に過ぎない。おやっさんはモデスタのことなど知らず、「誰だ、その女は?」というような態度になるだろう。
一方、もしもモデスタがモノクに続いて三人組も雇った、というのであれば。
それは殺しの依頼に関して、信義に背くような真似となる。二の矢を用意するのはモノクを信頼していない証であり、少なくとも、おやっさんかモノクに一言、告げておくべき事態だった。無断でこんな扱いをされたら、おやっさんとしても「裏切られた」と判断せざるを得ず、もう依頼人の素性を隠す必要もなくなるだろう。
「どちらにせよ、おやっさんの態度からハッキリするわけだ。あの女が俺の依頼人なのか、あるいは別人なのか」
歩きながら呟くモノクの口元には、彼女らしくない笑みすら浮かんでいた。
「おやっさん、邪魔するぞ」
声をかけながら、『ジョンの刃物屋』に入っていくモノク。
ちょうど彼女とすれ違う形で、先にいた客たちが店から出ていく。モノクを突き飛ばすかのような勢いで、慌てて走り去っていく三人組だった。
「失礼なやつらだな……」
眉間にしわを寄せながら、モノクは反射的に振り返る。
薄暗い店内では顔はよく見えなかったし、今となっては、通りを駆けていく後ろ姿しか見えないが……。
それでも、彼らの体格くらいはハッキリとわかる。細身と巨漢と小柄、それは、あの三人組の殺し屋と全く同じ組み合わせだった。
「まさか……!」
ハッとすると同時に。
モノクは、店の中の異変に気が付いた。
薄暗くて最初は見逃していたが、どうも店内が乱雑なのだ。まるで押し込み強盗に襲われたような、というほど酷くはないが、それでも開店している以上、今よりは整然と品物が並べられていなければおかしい。
それに加えて、異臭も漂っていた。水に濡れた鉄器のような金物臭さだが、殺し屋であるモノクにとっては、嗅ぎ慣れた匂いでもある。つまり、血の匂いだった。
「おやっさん!」
慌てて匂いの元を探して、モノクは発見する。
売り物であるはずの刃物が散らばったカウンターの奥で、血だまりの中に倒れた、傷だらけの老人の姿を。
「しっかりしてくれ、おやっさん! あなたに死なれたら、俺は……」
既に息絶えているようにしか見えないが、それでもモノクは、血まみれのジョンを抱きかかえた。彼女自身の衣服が汚れることなど、一つも気にせずに。
すると。
老人の口から、弱々しい声が漏れる。
「……ああ、モノクか……」
「おやっさん! 無事だったのか!」
モノクは目を見開いて、思わずそう言ってしまう。ジョンが無事ではないことくらい、もちろんモノクにも理解できていた。
「済まねえなあ、モノク。俺が死んだら、お前に仕事を仲介するやつがいなくなっちまう……」
最初にモノクが「死なれたら困る」と言いかけたのは、そんな割り切った理由からではなく、もっと感情的な話だった。ジョンも承知した上で、それでも敢えて、こういう言い方をしたに違いない。
「どうやら俺は、間違った仕事を斡旋しちまったみてえだ。あの三人、モデスタって女から聞いて、ここに来たらしい……」
彼の『間違った仕事を斡旋』という言葉から、モデスタが依頼人だったことも、彼女の話が嘘だったことも確定した。だが、もはやそれどころではなかった。
「おやっさん、もう無理しないでくれ。今は静かに……」
「あいつら、最近じゃ『飛翔気流三兄弟』とか名乗ってるらしいが……。風使いの坊やが、弟二人を率いて威張ってるだけだ。しょせん大した殺し屋じゃねえやな」
モノクの言葉を聞き入れず、ジョンは時折ゴフッと血を吐きながらも、話を続ける。
「だが、そんな連中にやられちまうとは、情けねえぜ……。そろそろ俺も、この世界から足を洗う時が来たようだ。ああ情けない、情けない……」
ジョンは、苦笑してみせたつもりなのだろう。だが、もはや彼の顔には、まともに表情を作る力すら残っていなかった。
「いいか、モノク。三人同時に相手にしちゃならねえ。一人ずつに分断するんだ。それが俺からのアドバイスだ。それと……」
ジョンの手が震える。どこかを指し示したいらしいが、もう今の彼には不可能な行為だった。
「……金は、後ろの戸棚の壺の中にある。これくらいが相応しい、と思う額を持ってけ」
三人組の件から話題が急に変わって、少し困惑するモノク。
前後の文脈が繋がっていないように感じられて、とうとう彼は正常に頭が回らなくなったのか、とさえ思った。だが、そうではなかった。ジョンの次の言葉で、モノクは彼の意図を理解する。
「こういう仇討ちなら、お前さんの好きそうな仕事だろ? 最後に一つ、お前に仕事を頼めてよかったぜ……」
言うべきことを言い終えて、満足したらしい。
ようやくジョンは、静かになって……。
それっきり二度と口を開くことはなく、これが彼の遺言となった。
――――――――――――
同じ日の昼間。
街を見回るピペタ小隊の間では、騎士団本部でモデスタから聞かされた夜勤のことが、話題の中心になっていた。
「こうやって太陽の下で働けるのも、あと二日か三日くらいかなあ」
「おやおや。面白い予測を立てるのですね、タイガは」
歩きながら、名残惜しそうに空を見上げるタイガに対して、ウイングが少し不思議そうな顔を見せる。
「あれ? ウイングは違うのかい? だって、二日連続で襲撃された以上、今夜も襲われると考えるのが妥当だよね? それから一日か二日で、応援要請が来るとしたら……」
「なるほど、そういう計算ですか」
タイガの考えを聞き出したウイングは、微笑みを返すだけで、肯定も否定も口にしなかった。
一方、ラヴィは少し嬉しそうな顔で、
「どちらにせよ……。頼りにされているというのは、悪い気分ではありませんね」
と、ピペタに声をかける。
確かに、モデスタ中隊長の口ぶりでは、よほどピペタの腕前が信頼されているようだった。なにしろ彼女は、まだ東部大隊から何も言われていない現段階で、応援に派遣するのはピペタ小隊しかいない、と決めつけていたのだから。
「うむ、そうだな」
「もしも、このままウォルシュ大隊長が復帰できなかったら……」
適当に相槌を打つピペタに対して、弾んだ声で続けるラヴィ。
いったい彼女は何を言い出すのだ、縁起でもない。ピペタは少し驚いてしまうが、ラヴィの想像は、さらに飛躍していた。
「……その場合、モデスタ中隊長が大隊長に上がるのでしょうし、中隊長の椅子が一つ空きますよね? そこに収まるのは、この件で大活躍のピペタ隊長、ということになるのでしょうか?」
「いやいや、待て待て。さすがにそれは、空想が過ぎるぞ」
いつになく暴走するラヴィに対して、ピペタが苦笑いしながら、制止の言葉を口にした時。
まるでそれに反応したかのように、ラヴィが突然、ブルッと体を震わせた。
「あら。何でしょうか、この悪寒は?」
「そりゃあ、冬だからね。背筋がゾッとするほどの寒風が吹くことくらい、たまにはあるさ」
ピペタではなく、後ろからタイガが答えたので、わずかにラヴィは表情を歪めたが……。
ピペタには、ラヴィの『悪寒』の原因がわかっていた。
ちょうど四人は南中央広場に入ったところであり、広場全体に独特の気配が漂うことに、ピペタは気づいていたのだ。
素人レベルならば、悪寒や緊張感として感じるのかもしれない。だが剣の腕が立つ上に、裏の世界の人間でもあるピペタにとっては、これは殺気だった。
そして、その殺気が発せられている場所は……。
ゲルエイの占い屋だった。
「ふむ……」
不自然にならない程度に、ゲルエイの店に目を向ける。
ピペタが知る限りでは、ほとんど客なんて来ない占い屋のはず。だが今日は珍しく、来客があった。
特徴的な、燃えるように逆立つ赤い髪の女。ピペタやゲルエイにとっての裏の仲間、殺し屋モノクだ。
彼女は今、殺気が自然に漏れてしまうほど、強い怒りにとらわれているらしい。何か、よほどの事件が起こったに違いない。
顔をしかめるピペタに向かって、ゲルエイが目配せしてきた。また今夜も『幽霊教会』に集合、という合図だ。
もうモノクの様子を見た時点で、言われなくてもわかっている、と思いながらも。
ピペタは了解の意味で、小さく頷いてみせるのだった。
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