第十三話 歪んだ乙女

   

 婿を取って引退したらどうか、と見合いの話を持ち込まれても、全て拒絶し続けてきたモデスタ・ドゥクス。

 いつしか周りからは、仕事一筋で男には興味のない女なのだろう、と思われるようになっていったが……。

 心の中では人並みに乙女な部分もあるのが、モデスタという人間だった。


 そもそも、十代の頃。

 騎士学院の秋キャンプなど、同世代の女の子同士で宿泊する機会がある度に、モデスタは皆と一緒になって、夜の恋話コイバナで盛り上がっていた。モデスタの方から語る話は何もなくても、ただ聞いているだけで楽しかったのだ。いつかは自分も恋に落ちて男性と付き合うのだろう、と想像しながら、恋愛真っ盛りの乙女の雰囲気に浸っていた。

 いや『聞いているだけ』どころか、騎士学院時代には一度、モデスタも男子から告白されたことがある。

「モデスタの態度って、凄く好みでさ。だから、俺の恋人になってくれないかな?」

 それまで耳にしてきた恋話コイバナと比べると、態度が好みという口説き文句は、少し奇妙に思えたが……。顔やスタイルより内面を気に入ってもらえたと考えると、正直、あまり悪い気分ではなかった。

 それでも。

 女としての自尊心をくすぐられる気はしたが、相手の男子に対して恋愛感情を抱くことは出来なかった。告白されてもドキドキしないしトキメキも感じない時点で、友人たちの語る『恋愛感情』とは違う。ならば、その状態で男女交際を始めるのは、相手に対して失礼……。

 そう考えて、断ってしまったモデスタ。そのうち、また別の男から告白されることもあるだろう、とも思ったが、以降、同様のイベントは二度と起こらなかった。


 それでも、別に「惜しいことをした」という気持ちはなかった。

 都市警備騎士として働き始めてからは、恋をする機会もされる機会もなくなったと感じていたが……。

 代わりに。

 夜ベッドに入ってから、一人で妄想に耽るのが日課になった。

 同僚の都市警備騎士たち、あるいは、街の見回りで出くわす庶民たち。

「もしも彼らに口説かれたら……」

 想像の中のモデスタは、自由奔放な女。妄想ならば「きちんとした感情抜きで付き合うのは失礼」などと躊躇する必要もなく、どんな誘いも気軽に受け入れることが出来た。

 騎士学院時代は友人たちから色々と聞かされたし、都市警備騎士団に入ってからは、街の娼婦たちを取り締まることもある。だから男女のあれこれに関しては、耳年増というほどではないものの、ある程度の知識があった。

 そんなモデスタが思い描く、夜の営み。空想の中で愛したり愛されたりするだけで、乙女としての欲求不満は、十分に発散できるのだった。


 このように生きてきたモデスタの前に現れたのが、ウォルシュ大隊長だ。

 彼女自身の出世を思えば、早く排除したい男。嫌悪の対象と言っても構わないくらいだったはずだが……。

 実際に赴任してきたウォルシュと、いざ対面してみると。

 それまでの気持ちが、サーッと洗い流されることになった。

 身に纏う空気からして、これまでモデスタが仕えてきた上司たちとは、明らかに違う。彼の生き様が滲み出ているようであり、これが王都の騎士なのか、と素直に圧倒されてしまった。

 外見的にも、どちらかといえばハンサムな部類に入る。もっと笑顔を見せれば女性受けも良くなるだろうに、ニコリともしない男だった。なかなか喜怒哀楽をおもてに出さない、という噂が、すぐに出回るくらいに。

 だが、大げさに感情表現するよりは、内に秘める方がミステリアスで良いではないか。モデスタは、そう好意的に捉えていた。

 要するに。

 彼女は、ウォルシュに心惹かれたのだ。

 就寝前の妄想の中で、頻繁に登場させてしまうほどに。


 三人の部下を引き連れて、夕方まで街の見回りをした後。

 部下と別れたモデスタは、サウザの中心街へ行き、灰白色の大理石で作られた美しい建物に入っていく。これが都市警備騎士団の本部――通称『城』――であり、夕方から夜にかけての、モデスタの居場所になっていた。

 南部大隊の隊長執務室で、ウォルシュと二人きり。彼の事務仕事を手伝うのだ。

「ありがとう、モデスタ中隊長。君がいてくれて助かる。不慣れな仕事だからな」

 まだウオルシュは、地方都市サウザには不案内なのだろう。その状態で、南側で起きた犯罪やトラブルを全て管轄するのが、いかに大変なことか。

 そもそも彼は、王都守護騎士団では小隊長に過ぎず、王都の見回りだけが任務。大隊長という職務そのものにも、慣れていないはずだった。

「礼には及びません。これが私の、中隊長としての仕事です」

 と返しながらも、自然に頬が緩むモデスタ。

「そう言ってもらえるとありがたい。しかし、こうして手伝ってくれるのは、何人もいる中隊長の中で君だけではないか。少し心苦しく感じてしまう」

「それこそ、気になさらないでください。前任の大隊長も、この私がサポートしてきたのですから」

 胸を張るモデスタに対して、ウォルシュが珍しく笑顔を見せたのを、彼女は目に焼き付けていた。

 それは、夜の妄想における細部のディテールアップにも繋がり……。

 あまりにウォルシュのことを考え過ぎたのだろうか。この夜は妄想だけでなく、眠りの中で見る夢にまで、彼が登場したのだった。


 結局。

 モデスタは『城』で働くことに喜びを感じ、彼女なりに、幸せな日々を送っていたのだろう。

 ところが、ある日。

 モデスタがウォルシュの執務室に行くと、彼は帰り支度をしていた。

「あら、ウォルシュ大隊長。もうお帰りですか?」

「せっかく君が来てくれたのに、申し訳ない。今日は、早く帰らないといけないのだ」

 いったんウォルシュは言葉を切ったものの、モデスタの何か問いたげな表情を見て、説明の必要を感じたらしい。

「ああ、つまり……。今日は結婚記念日なのだよ。子供たち共々、妻が料理を用意して、待っているからな。さすがにこういう日は、良き夫、良き父であるべきだろう? 仕事よりも家庭優先ということだ」

 妙に饒舌な部分も、幸せそうな笑顔を浮かべている点も、ウォルシュらしくなかった。

 そもそも、これが『申し訳ない』という態度なのか! もっと済まなそうな顔をしてみろ!

 怒りの言葉を口にしたくなるモデスタだが、思い留まるだけの理性は持っていた。

 作り笑顔を浮かべながら、

「それならば仕方ありませんね。では、私も帰らせていただきます」

 くるりと背中を向けて、急ぎ足で退室するのだった。


 モデスタは、今さらのように気づかされる。

 妄想のウォルシュとは違って、現実の彼には家庭がある、ということを。

 それも、彼らしくない表情を見せてしまうほど、妻と子供に深い愛情を向けているのだ。

 本来ならば、これは愛妻家という意味で、男の魅力としてカウントされるべき点なのだろうが……。

 そのように考えることは出来なかった。モデスタの心を占めたのは、「私の入り込む隙間はない」という悲しい想い。

 モデスタとウォルシュの関係は、あくまでも妄想の中だけだったが、若い頃から想像の中で欲求不満を発散してきたモデスタにとって、『妄想』は既に彼女自身の一部になっていた。

 だからウォルシュの一件も、まるで現実の不倫関係が終わりを迎えたかのような、大きな衝撃だった。

「これじゃ私、弄ばれて捨てられたようなものじゃないの……」

 こうなると、ウォルシュと二人で働くのは楽しい、という気持ちも消えてしまう。

 一日の仕事の後で、さらに『城』で働くのは、ただの労苦。中隊長たちの中で自分一人が、まるで嫌がらせのように辛い仕事を押し付けられてきた、とさえ思う。

 もちろん、ウォルシュ大隊長の前任者の頃から、モデスタは同じ仕事を続けていた。だが、あれは「次は自分が大隊長だから」と思えばこそだった。

 その想定していた見返りは、ウォルシュが来たことで、泡となって消えた。代わりに生まれた、彼と一緒に働くという喜びも、今また虚しく消えた。

 すると蘇るのは……。

「やっぱり、あの男は、私の昇進の妨げだわ。邪魔なウォルシュさえいなくなれば、今すぐにでも、私が大隊長になれるのに!」

 これも一種の『可愛さ余って憎さ百倍』なのだろうか。

 出世欲に凝り固まった部分と、歪んだ乙女の部分と、モデスタの二つの側面が合わさって。

 ついにウォルシュに対する殺意は、種から芽吹き、花を咲かせたのだった。

   

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