第十二話 寝室の女騎士

   

 地方都市サウザの南側、かなり街外れに近い辺りに、森のような一画がある。常緑樹ばかりが植えられており、一年中、爽やかな緑で彩られているという。大通りに面した入り口は大型の馬車が出入り可能な広さであり、そこから木々の間を抜けて進んでいくと、大きな邸宅に行き着く。

 都市警備騎士団の中隊長、モデスタ・ドゥクスの屋敷だった。

 モデスタには兄弟姉妹はおらず、両親も既に他界している。老執事をリーダーとする住み込みの使用人たちはいるものの、この時間ならば、モデスタ共々、眠りに就いていることだろう。


 星と月に照らされた、静かな夜。

 視界の悪い森の中を、そんな騎士の屋敷に向かって駆けていく、黒い三人組の姿があった。

 つい先ほどまで、別の騎士の屋敷を襲撃しようとしていた三人。つまり、ウーヌムとドゥーオとトゥリブスの殺し屋チームだった。

 モデスタの邸宅に辿り着いた彼らは、まず裏側に回って、音もなく通用口の扉を開ける。そこから邸内に侵入すると、人々が寝静まっているのをいいことに、堂々と廊下を進んでから大階段を上って、二階の一室へ向かった。

 まるで勝手知ったる我が家のように、迷うことなく三人が入っていくのは、貧乏人ならば一家全員で暮らせる広さの部屋だった。だがドゥクス家においては、ただ一人のための寝室に過ぎない。

 ワインレッドの絨毯や同じ色のカーテンで飾られた部屋の中、ひときわ目立つのは、天蓋付きの豪華なベッド。天蓋から垂れるレースの布越しに見えるのは、ドゥクス家の当主モデスタが眠る姿だった。

 スヤスヤと寝息を立てている彼女は無防備であり、まるで純真無垢な乙女のようだ。昼間は束ねている紫色の長髪も、今はバラバラにほぐれて、白いシーツに美しく広がっていた。もしも部下の都市警備騎士たちが見たら、いつものイメージとのギャップも重なって、その寝顔から妙な色気を感じてしまうかもしれない。

 ドゥーオとトゥリブスを引き連れたまま、ウーヌムは、そんなモデスタに歩み寄った。ベッドを覆うカーテン状のレースをザーッと開けて、彼女の体に手を伸ばすと……。

「おい、起きろ!」

 乱暴に力を込めて、モデスタの肩を揺するのだった。


――――――――――――


 妙に体が揺れる。大地震でも発生したのだろうか……。

 そんなことを思いながら、目覚めるモデスタ。夢の世界から現実へと戻り、まず気づいたのは、まだ夜だということ。室内は暗く、窓のカーテンの隙間から差し込む月明かりだけが頼りだが、それでも人がいることはすぐにわかった。

「誰ですか!」

 肩に感じる腕をバッと払いのけながら、枕元のスイッチに手を伸ばす。部屋全体を照らすほどではないが、ベッドサイドランプとして、天蓋に魔法灯が備え付けられているのだ。魔力を込めて点灯させると、少し明るくなった。

 視界に入ってきたのは、モデスタを覗き込む細身の男。その後ろには、小柄な男と巨漢の二人組も控えている。三人とも黒衣を着込んだ上に、顔まで黒布で覆っており、見るからに怪しげな格好だった。

 都市警備騎士として働くモデスタにとっては、暗殺者や夜盗の典型的な黒装束だろう。いや騎士云々以前に独身女性なのだから、夜這いの可能性を思い浮かべて、まずは貞操の危機を心配するべきかもしれない。

 しかしモデスタは、

「あら、あなたたちですか。驚かさないでくださいよ……」

 と、むしろ安心しきった態度を見せるのだった。


――――――――――――


 都市警備騎士団の南部大隊で働くモデスタ。

 同僚の中隊長は男ばかりであり、女性でありながら中隊長にまで出世したのは彼女だけ。なかなか頑張っているではないか、と自負したくなる時もある。

 だがドゥクス家の当主としては、この程度で満足するわけにはいかなかった。騎士の頂点は、まだまだ先にあるのだ。

 彼女の亡父は生前、大隊長の職に就いていた。彼の就任当時、まだ幼女だったモデスタは、

「お父様、すごーい!」

 と目を輝かせたものだったが……。

 それに対して父が謙遜してみせたのを、今でも覚えている。

「いやいや。大隊長といっても、しょせん地方都市の騎士団だからね」

 小さいうちは、父は本当に『謙遜』しているのだと思っていた。だが、どうやら違ったらしい。それをモデスタが悟ったのは、彼女自身が騎士学院に通い始めてからだった。

 サウザの都市警備騎士を目指して勉学に励んでいた彼女は、知ってしまったのだ。都市警備騎士団における『隊長』の格が、王都守護騎士団のそれとは大きく異なる、ということを。

 騎士学院の友人の父親が、サウザから王都に転属、つまり都市警備騎士から王都守護騎士に変わることになった際。こちらでは小隊長を務めていたのに、王都守護騎士団では、一介のヒラ騎士になるのだという。

 モデスタにしてみれば、それは降格人事にしか思えなかった。だが周りの者たちの反応は違っていた。栄転という扱いで、大喜びだった。

 つまり都市警備騎士団の小隊長は、王都守護騎士団のヒラよりも格下。ならば都市警備騎士団の中隊長は王都守護騎士団の小隊長よりも格下であり、サウザの大隊長は王都の中隊長よりも下、という話になるではないか!

「お父様の言葉は、そういう意味だったのね……」

 納得すると同時に、格差を思い知らされて、モデスタの中に生まれたのは黒い感情。王都に対する、妬み嫉みだった。


 騎士学院を卒業したモデスタは、無事、都市警備騎士団に配属された。

 ドゥクス家を継ぐ以上は、父のように、大隊長くらいにはなるべきだろう。いや、もっと上を目指す……。

 その思ったからこそ、しゃかりきになって働いた。女騎士という自覚もあって、若いうちは、上司に媚を売ることもあった。売るのは媚だけであり、さすがに体までは売らなかったが、それでも歴代の上司からは可愛がられてきた、とモデスタは思っている。

 しかし。

 女騎士であることが武器になるのは、若いうちだけだった。歳をとるにつれて、逆にマイナスに働くようになってしまった。

「女性の本分は、妻として母として、家庭と子供を守ることでしょう。そろそろモデスタ殿も、良い相手を見つけて、引退した方がよろしいのでは……?」

 そう言ってくる者たちが、騎士団の中に現れ始めたのだ。

 それでもモデスタは、そんな男尊女卑の空気を跳ね飛ばして、ここまでやってきた。通常の中隊長とは異なり、大隊長の補佐役をこなすという、特別な中隊長だ。

 だが、そこで彼女の出世は止まってしまった。

 前任の大隊長は、モデスタが小隊長になった頃から長々と、その役職にしがみついてきた男。いを理由に彼の引退が決まった時には、

「次の大隊長の候補は、私以外にいないはず! ようやく、私の番が回ってきたのね!」

 内心で小躍りしたいくらいに、モデスタは浮かれ上がったのだが……。

 老人から大隊長の職を引き継ぐことになったのは、モデスタではなかった。南部大隊の騎士ですらない、ウォルシュという男だった。

「誰よ、それ……?」

 調べるまでもなかった。騎士団の中で噂は広まり、男の素性は、彼女の耳にも入ってきた。

 ウォルシュは、王都守護騎士団の小隊長なのだという。王都の方に籍を置いたまま、サウザの都市警備騎士団に派遣されるという形で、南部大隊の大隊長を務めるのだという。

「こちらで何年か実績を上げたら、王都に戻ることが決まっているそうですよ。まあ『何年か』とは言っても、その期間は確定していない、という噂ですけど」

 部下の一人がモデスタに告げた際、後ろで他の者たちが交わしていた言葉も、しっかりと彼女の耳に入っていた。

「王都から来るってことは、それだけでエリートだろ? 羨ましいよなあ。同じ騎士とはいえ、俺たちとは住む世界が違っていて……」

「しょせん腰掛けなのに、立派な屋敷が与えられるらしいぜ。しかも王都に戻れば、最低でも中隊長。サウザでの業績次第では、大隊長のポストが用意されるとか」

「へえ? 帰った後の待遇に関わるとなれば、『腰掛け』どころか、真面目に頑張りそうだな。それこそ、自分から任期延長を願い出る可能性も……」

 素知らぬ顔で部下たちの話を聞き流したものの、内心では、歯ぎしりしたいくらいだった。

 王都守護騎士団の連中め! サウザの都市警備騎士団を何だと思っているのだ!

 騎士学院時代にも感じた、どす黒い感情が蘇る。

 再び思い知らされた、王都守護騎士団との違い。連中に対する、妬みや嫉み。

 しかも今度は、彼女自身の出世にも影響する問題だった。


 こんな形で、昇進に蓋をされてしまうとは……。

 そのウォルシュという男に居座られたら、自分の今後はどうなってしまうのか……。

 女性騎士であるが故に、引退を勧める周りの空気も感じるからこそ、いっそうモデスタは焦ってしまう。

 そして。

 この気持ちは彼女の心の中で、出世を阻む男に対する殺意の種となった。あくまでも『種』に過ぎず、芽吹くまでもう少し時間のかかる殺意だったけれど。

   

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