第八話 殺しの依頼

   

 入り口の月の第七、月陰の日。

 新しい一年が始まって一週間、新年にありがちな浮かれ気分も、ようやく人々から抜けてきた頃。

 真昼の太陽の下、オレンジ色のスカートをはいたモノク・ローが、サウザの街中まちなかを歩いていた。

 殺し屋として生きる彼女も、今の格好からわかるように、昼間は一般人だ。市井に紛れる意味で、周りの通行人のペースに合わせて歩くようにしていると、無意識のうちに周囲を観察してしまうのだが……。

 月陰の日といえば、一週間が始まる曜日。人々が仕事を休む太陽の日――七番目の曜日――の翌日であり、普通ならば、少し憂鬱な表情を浮かべる市民も見られるくらいなのに、今日は違っていた。

 人々は皆、穏やかな顔をしている。まだまだ気持ちの上では、新年休暇を引きずっているらしい。

「俺とは正反対だな……」

 苦笑いと共に、皮肉じみた呟きが、モノクの口から漏れた。

 彼女のオモテの顔は、『投げナイフの美女』と呼ばれる大道芸人。舞台に立って大衆を楽しませるのが仕事であり、人々が休みの日こそ、逆に忙しくなるのだった。

 実際、新年休暇の間は出番が激増。殺し屋として体力には自信があるモノクなのに、珍しく疲労を感じるくらいだった。

 なかなか休みも取れなくて、知り合いのところへ顔を出すことも出来ず……。ようやく今頃になって、新年の挨拶に向かう形になっていた。


「おやっさん、邪魔するぞ」

 モノクが入っていったのは、『ジョンの刃物屋』という看板の掲げられた、こぢんまりとした商店。舞台で投げるナイフを購入したり、刃物のメンテナンスを頼んだりする店だった。

「おお、モノクか。お前さんは、うちの常連だ。今年もよろしくな」

 カウンターの奥からヒョイッと顔を覗かせたのは、頭髪の白くなった老人だ。完全な白髪頭ではないが、明らかにロマンス・グレーの域を超えているレベルだった。

 彫りの深い顔立ちをしており、若い頃は、さぞやモテたに違いない。この店に来る度に、そうモノクは感じるのだった。

「俺の方こそ、おやっさんには世話になっている身だ。昨年同様、よろしく頼む」

 店名が『ジョンの刃物屋』となっている以上、彼の名前はジョンなのだろう。だが店の客たちは、誰もジョンとは呼ばないらしい。それが慣例なのだと理解して、モノクも他の者たちと同じく、彼を『おやっさん』と呼ぶことにしていた。

「ふむ。『俺の方こそ』と言ったか。だったら……」

 おやっさんは、短い白髭の生えた顎に手を当てながら、思案顔を見せる。

「……早速、わしのわがままを一つ、聞き入れてはくれないかのう?」

「内容による」

 と返しながら、苦笑するモノク。

 おやっさんが妙に年寄りじみた口調になる時は、だいたいロクでもないことを言い出す時だ。これまでの付き合いで、それくらいは理解できていた。

「いや何、簡単なことじゃよ。その『俺』という言葉遣いをやめて、もっと女の子らしくして欲しいのだ。『投げナイフの美女』という芸名に似合うくらいにな」

 ニヤリと笑う老人を見て、モノクは思った。彼は完全に冗談を言っているのだ、と。

「いくらおやっさんの頼みでも、それは無理な話というものだ。そもそも『投げナイフの美女』というのは、舞台の上だけのポーズに過ぎん。あれは演技であって、俺の本質とは大きくかけ離れており……」

「わかってるさ、モノク。今のは戯言ざれごととして、本当の頼みは……」

 モノクの言葉を遮った彼は、穏やかな笑顔を浮かべている。だが、わずかに眉だけが動くと同時に、その瞳が冷たく光った。

「……裏の方の仕事だよ。お前さん向けの話が一つ、舞い込んできたのさ」


 モノクがオモテの仕事で世話になっている『ジョンの刃物屋』。この店は同時に、裏仕事の仲介屋も営んでいた。つまり、モノクにとってのおやっさんは、裏でもオモテでも世話になっている人物だった。

「ほう。新年早々か……」

 と呟きながら、モノクは内緒話に備えて、カウンターに顔を近づける。

 今ならば他に客は来ないと判断して、おやっさんは、この話を持ち出したのだろう。それでも一応、気をつけておくべきと思えた。

「人の生き死にってもんに、暦は関係ないのさ」

 殺しを依頼するのは人間であり、毎日の営みの中で殺意を募らせていくはず。だから新年云々も関わりそうなものだが……。

 そう考えながらも、モノクは敢えて口にしなかった。今でこそ刃物屋の店主に収まっているおやっさんだが、彼も若い頃は、名うての殺し屋だったという。モノク以上に大勢の人間をあやめた結果、確固とした死生観を持っているはずだった。

「それで、俺向きの仕事とは……?」

「うむ。お前さんは、少しくらい標的が大物でも、全く気にしないからな。その殺しに正当な理由がある、と思える限りは」

「もちろんだ」

 さすがに「王様を殺してくれ」と頼まれたら躊躇するかもしれないが、ここは王都ではなく地方都市。その心配はないだろう。

 それよりもモノクにとって重要なのは、標的の命を奪うに値する案件かどうか、という点だった。殺し屋の中には「金さえ積まれれば誰でも殺す」というタイプも多いのが、モノクは違う。「俺は俺の正義に基づいて仕事を引き受ける」というのが、彼女の矜持だった。

「まあ、お前さんなら、そう言うと思ったよ。標的は、都市警備騎士団の大隊長らしい」

「都市警備騎士なのか。それほど『大物』でもなさそうだが……」

「いや、この程度でも尻込みする殺し屋は多いのだぞ?」

 と、おやっさんは苦笑いを見せる。

 都市警備騎士団の大隊長ともなれば、それなりに剣も扱えるはず。いや本人の腕前は別にしても、騎士団の中から選りすぐりの精鋭が護衛につく可能性は高いだろう。

 それに、依頼遂行の後も問題だ。警吏のトップを殺されたとなれば、捜査が簡単に打ち切られることはなく、犯人追及は熾烈になるに違いない。だから一切の証拠を残さず、騎士団の捜査から逃げ切れる自信のある者だけが、引き受けられる仕事だった。

 その点、モノクは都市警備騎士に知り合いがいることもあって、「何とかなるだろう」と気楽に考えている。

 おやっさんの方では、そこまで詳しく彼女の事情は知らないものの、モノクの余裕ありげな態度から、「何か手があるのだろう」くらいは察していた。

「お前さんが『引き受けてもいい』と思うなら、とりあえず、依頼人と引き合わせるぞ」

「ああ、頼む。その仕事を受けるか、受けないか……。結局のところ、依頼人から詳しい事情を聞くまでは、決められないからな」


――――――――――――


 それから二日後――入り口の月の第九、水氷の日――の夜。

 街の北側にある一軒の潰れた酒場に、モノクは忍び込んでいた。

 北部地域には、サウザの中でも最下層の庶民たちが暮らしている。安酒場も多いのだが、貧乏な客ばかりでは、店の売り上げも悪いに違いない。特に、さかり場から少し離れたところの店は、客入りの悪さも重なって、あっけなく閉店に追い込まれてしまうのだろう。

 この廃屋が、指定された待ち合わせ場所だった。


 店に入ってすぐ、モノクは室内灯のスイッチを発見。もはや使われなくなった店舗とはいえ、照明装置は人々の潜在的な魔力を利用した器具なので、システム自体は活きているはずだった。

 つい近づきそうになって、モノクは思い留まる。迂闊に魔力を込めて明るくしたら、店の外に灯りが漏れるかもしれない。

 だから敢えて魔法灯は消したまま、モノクは店内を見回した。暗闇に目が慣れてくると、照明なんて使わずとも、ボーッと状況が見えてくる。

 椅子やテーブルなどが撤去されているのは、借金のカタとして持っていかれたのだろうか。カウンターテーブルや壁際のソファーなど、備え付けの設備は、取り外されることなく放置されていた。閉店に伴う片付けではなく、簡単に持っていけるものだけ持っていった、という証だろう。

 そこまで見て取った段階で、モノクは気が付いた。奥のソファーに、誰かが座っているのだ。暗闇の中の人影は、まるで幽霊のようにも見えるが……。

「貴様が依頼人だな?」

「そう言うあなたは『黒い炎の鉤爪使い』ですか?」

 くぐもったような、妙な声質。

 質問に質問で返す形だが、それでも十分、答えになっていた。

「そうだ。早速だが、話を聞かせてもらおう」

「はい。わけあって、こちらの身元は明かせませんが……」

 話を切り出した依頼人に、モノクは歩み寄る。

 近づいてみると、依頼人の異様さが、より鮮明になった。

 大きな黒マントで全身を覆い隠しており、全く体つきがわからない。太っているか痩せているかというだけでなく、性別も年齢も推測できないくらいだった。

 頭巾を被っているために、顔も髪型も不明。目の部分も単純に穴が空いているのではなく、ご丁寧に網目メッシュで隠す仕様になっていた。

 ここまで徹底的に身元を秘匿する以上、この奇妙な話し声も、変声魔具ボイスチェンジャーで作ったものなのだろう。

 そう考えるモノクに向かって、依頼人は、ポツリポツリと語っていくのだった。

「……聞いてください。私は騎士団で働いているのですが、その上司が酷い男で……。もう私が死ぬか、あるいは相手に死んでもらうか。そう思い詰めるくらい、精神的に追い込まれてしまって……」

   

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