第五話 一夜明けて

   

 翌朝。

 つまり、入り口の月の第十七、草木の日の朝。

 昨夜の戦いによる疲れを引きずることなく、一晩グッスリ眠っただけで気力も体力も回復させて。

 いつも通りの時間に、ピペタ・ピペトは、都市警備騎士団の詰所へ入っていった。

 ザッと見回してみても、部下たちの姿は見当たらない。昨日とは違って、まだ三人とも来ていないらしい。

 そう思っていたら、ポンと肩を叩かれた。

「ピペト小隊長、今朝も早いのですね。昨夜は大変だったでしょうに……」

 振り返れば、いつのまにか後ろに立っていたのは、一人の女性騎士。といっても部下のラヴィではなく、上司であるモデスタ・ドゥクスだった。今朝もビシッと、紫色の長髪を頭頂部で束ねて、菱形イメージの顔になっている。

「おはようございます、モデスタ中隊長」

 ピペタは挨拶しながら、ふと考えてしまう。

 ウォルシュ大隊長が襲われたという話は、まだ騎士団全体には広まっていないはず。だがモデスタは、ピペタとウォルシュの間に位置する中隊長だ。だから早い段階で、連絡が入ったに違いない。

「モデスタ中隊長は、昨夜の話、どこまで御存知で……?」

「詳しく聞いてはおりませんけど……」

 一瞬だけ眉間にしわを寄せてから、彼女は大げさなくらいに、目を丸くする。

「襲撃があったというだけで、驚きですわ! ウォルシュ大隊長の単なる心配性かと思いましたのに、まさか本当に悪漢が現れるなんて!」

「ああ、それでしたら……」

 護衛の件を言い出したのはウォルシュだとしても、それを直接ピペタに告げたのはモデスタだった。だから一応、彼女に詳細を報告しておくべきなのだろう。

 そうピペタは考えて、

「まず、襲撃者は三人組でした。そのうち二人が、前後から通行人を装って……」

 と、語り始めたのだが。

 モデスタは苦笑いしながら、ピペタの話を止めるようにして、バタバタと手を振ってみせた。

「あらあら、違いますのよ。そんなつもりで声をかけたのではありませんわ。そういう話は、私ではなく、東部大隊の捜査チームに聞かせてあげてくださいな」

「東部大隊ですか?」

 ピペタは聞き返してしまうが、それに対してモデスタが答えるよりも早く、一人で勝手に納得する。

「ああ、なるほど。そういえば、ウォルシュ大隊長の屋敷は、街の東側にありましたな」

 騎士というより、貴族が住むような区画だったはず。ウォルシュは王都守護騎士団から派遣された騎士であるため、サウザの都市警備騎士団の方から、立派な住居を用意されているのだった。

 ピペタもウォルシュと同じく王都から来た騎士であり、二人とも正式な所属は、今でも王都守護騎士団のままなのだが……。ピペタの場合は『派遣』というより『左遷』という意味合いが強いので、小隊長という身分を与えられて、騎士寮で暮らすという待遇になっていた。

「そうですわ。ウォルシュ大隊長は、良いところにお住まいで……。それに加えて、昨夜の襲撃場所も、東部大隊の受け持ち区域でしたからね。あちらの担当になりましたのよ、この事件は」

 とはいえ、今からピペタが東部大隊に出向く、というわけにもいかないだろう。

 ピペタが抜けるのであれば、今日はピペタ小隊による見回りは休みになるから、別の小隊に代わってもらう必要がある。だが、その手配が済んでいるとは思えない。

 つまり……。

「ピペタ小隊長、あなたは今日の仕事が終わり次第、『城』へ向かって欲しいの。そこでウォルシュ大隊長と一緒に、東部大隊の捜査チームの取り調べを受けてもらうわ」

 というモデスタの言葉を聞いて。

 これでは二日続けて残業を命じられたようなものだ、とピペタは嘆くのだった。


「わかりました、モデスタ中隊長。では、今日の見回りは、なるべく早めに終わらせることにします」

「ええ、よろしくね」

 そう言い残して、モデスタはピペタから離れていく。

 何も考えずに後ろ姿を眺めていたピペタは、

「ピペタ隊長、おはようございます」

 ほぼ耳元といっても構わないくらいの近さで挨拶されて、ビクッとしてしまう。

 またもや女性騎士の声だが、今度は聞き慣れた声だ。振り向けば視界に入るのは、予想通り、部下のラヴィだった。

「ああ、おはよう」

「どうしました? 昨日に続いて、またモデスタ中隊長と親しげに話していたようですが……」

 ラヴィは、どこから話を聞いていたのだろうか。きちんと聞いていたら『親しげに』などという誤解は生まれないはずなのだが。

 ピペタがそう考えているうちに、ラヴィは何やら考え込むような表情で、グッと顔を近づけて、声のトーンを落とした。

「……今晩こそ、デートに誘われたのですか?」

「いやいや、そんな馬鹿な話。冗談にしても笑えないではないか……」

 昨日「今晩、時間あるかしら?」と言われた時は、ピペタも部下たちも一瞬、誤解したかもしれない。だが、あくまでも『誤解』に過ぎなかったのだ。それをラヴィが引きずっているのは、ピペタにしてみれば、少し意外にも思えた。

 しかし、まんざら根拠のない話でもなかったらしい。

「気をつけてくださいね、ピペタ隊長。噂によると……。最近のモデスタ中隊長は、結構頻繁に、部下の小隊長たちを食事に誘っているそうですから」

「ほう? そんな噂があるとは……」

「はい。やはりこういう話は、女子寮の方が早く広まりますからね」

 同じ騎士寮でもピペタは男性寮なので、このたぐいの話は耳に入りにくいのだろう。……というつもりで、ラヴィは言ったのだろうが。

 そもそも中年のピペタは、騎士寮では年齢的に浮いた存在である上に、ピペタ自身の性分としても、人付き合いを好まないタイプだ。寮内の噂が届かないのは当然だった。

 それはピペタ自身も承知しているので、内心、苦笑してしまう。

 一方ラヴィは、そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、さらに声を潜めて、噂話を続けるのだった。

「モデスタ中隊長としては、部下をねぎらっているつもりなのでしょうけど……。はたから見ると、男にちょっかいをかけているようにしか見えない、という話です」


「ふむ。あのモデスタ中隊長が……」

 モデスタのドゥクス家は、サウザでは代々続く騎士の家柄だったはず。そのドゥクス家を継いだ彼女は、色恋沙汰とは無縁の仕事一筋。男性騎士に負けないくらい勤勉に働き、中隊長にまで上り詰めた。

 それも単なる中隊長ではなく、大隊長の補佐をするような中隊長だ。ウォルシュが王都に戻って大隊長のポストが空いたら、モデスタが南部大隊のトップに立つのではないだろうか。

 それがピペタの知るモデスタであり、とても『男にちょっかいをかける』というイメージはないのだが……。

 しかし、よくよく考えてみれば。

 いくら『色恋沙汰とは無縁』とはいえ、いずれは結婚して子供を産まなければ、騎士の家柄も途絶えてしまう。その意味で、今さらになって婿探しに焦り出したのかもしれない。

 ピペタが王都の名門ピペト家の養子に迎えられたように、ドゥクス家だって、適当な養子を見つけてくるという手はある。必ずしもモデスタが子を作る必要はないのだが、養子を育てるにしても彼女一人では大変だろうから、やはり夫を物色し始めてもおかしくはない……。

 無関係な他人の家の問題について、つい考え込んでしまうピペタ。ふと気づけば、黙り込んだ彼の顔を、ラヴィがジーッと覗き込んでいた。

「ああ、すまん。しょせん他人事なのに、野次馬根性で、色々と考えてしまった」

「本当ですか? では、先ほどのモデスタ中隊長との談笑は……?」

「あれは仕事の打ち合わせだぞ。今日の方針だ」

「あら。その仕事を『なるべく早く切り上げます』と言っていましたから、てっきり、その後にプライベートの約束があるのかと思いましたが……?」

「ああ、その部分だけ聞いて、ラヴィは誤解したのか」

 少し謎が解けたような気分になりながらも、ピペタは苦笑する。

 今日の見回りを早めに終わらせるためには、自分だけでなく部下たちも急かす必要があり、どうせ三人には事情を説明するつもりだったのだ。

「ふむ。ウイングやタイガが来てからにしようと思ったが、ラヴィには先に話しておこうか」

 そうピペタが切り出すと、ラヴィの雰囲気が変わった。今までは雑談ということで少し砕けた態度だったが、仕事モードに意識を切り替えたのだろう。

「今日の見回りの後、私は『城』へ行かねばならんのだ」

「ウォルシュ大隊長に呼び出されたのですか?」

「いや、少し違う。ウォルシュ大隊長と共に、事情聴取を受けるのだよ。私たちは昨夜、新年会議からの帰り道で、謎の三人組に襲われたのでな」

 ピペタの発言は、よほど意外だったに違いない。ラヴィは小さく「えっ!」という驚きの声を発した後、絶句してしまうのだった。

   

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