大切な思い出です。
「……馬さん……拓馬さん」
ゆさゆさと体が揺さぶられる。
「うぅーん、後十分……だけ……」
ん? なんで俺は朝誰かから起こされてるんだ。
俺は絶賛一人暮らし。当然ながら同居人は誰もいない。
「……あ、あんまり起きないなら……し、仕方が、た、拓馬さんが悪いんですから……ねっ!」
何とも言えない嫌な予感に慌てて上体を起こす。
途端、目を開けるよりも早くおでこに激痛が走る。
「――つっ、何事……」
「うっ、う~、あんまりです。ちょっとした出来心だったのに。何も頭突きすることなんて……うぅ……」
おでこを押さえた宙を浮く和服美少女は涙目になりながら文句を言う。
だからそれはこっちのセリフだ。
朝起きるなりいきなりおでこを強打とかついてない、というかあんた実体があるんですか?
だとしたらどうやって隙間から侵入したのかが疑問すぎる。とは言え窓ガラスに損傷がないのは昨日確認したからそうやって侵入するほかないのだろうが。
「ほら、出てってくれ、着替えるんだから」
「いえいえ遠慮なさらず、私がここにいる理由は……って最後まで聞いてください!」
これ以上話していても何も得るものはない。
それに今日はまだ平日真っ只中、今日も今日とて学校はいつも通り変わらずあるのだ。
何故か触れる彼女の背中をグイグイ押して部屋の外まで運び出す。
申し訳程度に扉を閉めるが……。
「だから最後まで聞いてくださいよ」
当然昨日この家に侵入した実績を持つ彼女には意味がないというものだ。
というか昨日はどうやって侵入したのかを言わなかったのにこの場で再現してしまっているのですがそれは……。
「……それ、どうなってるの?」
彼女は扉の隙間から体の半分だけを部屋の中へと入れている。
「あぁ、これは隙間の部分だけ体を幽体にしているんです。全部幽体にできればすり抜けれるので楽なんですが……」
「…………」
何も知らない俺からするとそっちのほうが難しそうな印象を受けるのだが。
「とりあえず出ていけ。隙間からも入ってくるな」
「ぶぅ~。拓馬さんのいけず、いいですよ私は朝ごはんでも用意しておきますから。覚悟しておいてください」
あぁ、本当にどうしてこうなった。
というか最後のセリフのどこに俺は覚悟しておけばいいのだろう。
ちなみに朝ご飯は文句のつけようがないほどに美味しかった。
***
「それで、お前は何なんだ?」
自宅から学校までは歩いて十五分くらいかかる。
「だから幽霊です。あなたのことが大好きな、ただの幽霊です」
「俺はお前のことなんて知らないぞ。現にお前の名前だって分からない」
「もう、素直じゃないんですから。名前くらい言ってくれればお教えしますよ……でもそうですか、あなたは覚えていないのですね」
気になることを呟いたと思うとわずかに彼女のテンションが下がる。
ただそれもつかの間のことで直ぐに笑顔で語りだす。
「ちなみに私の名前は
「そうか、河原崎。それでどうして俺なんだ? さっきも言ったように俺にはお前の記憶はない。それは名前を聞いたからといって変わらないぞ」
俺は彼女のことは何も知らない。
俺が覚えている範囲の中で河原崎という苗字の人に会ったことはない。
「花音でいいですよ。私、自分の苗字は嫌いなんです……。それと、私があなたを好きな理由は分からないんです」
「はぁ? ならなんで俺なんだ、分からないんなら俺かどうかもわからないだろ」
好きの理由がわからないのにどうやって好きだと証明するんだ。
いや、そもそも本当に俺なのか?
「いえ、それだけは覚えているんです。数少ない私の中の記憶、その中でも大切な思い出です」
彼女が噓をつく必要は無いだろう。
でも、それでも今の状態でおいそれと信じられはしない。それに……。
「そんなの……」
お前の思い違いかなんかだろ。
そう言いかけた口は彼女の顔を見て固まった。
どこか遠くを眺めているその表情は悲しみや喜び希望や絶望が織り交ぜられたようで、彼女はそれでも笑いながら涙を流していた。
いったい何があったらこんな表情をするのだろう。
「……あぁ、それと、外ではあまり私に話しかけない方がいいですよ。今の私はあなたにしか見えませんから」
言われて周りを見渡すと確かに彼女のことが見えている人はいないようだ。
それよりも俺自身に
でも、もう少し早く教えてくれてもいいんじゃないかな。
俺は速足でその場から逃げ去った。
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