夢ならば……。

「ふぅ~……」


 なみなみと張られた浴槽は俺が入るとその分だけ中身がこぼれる。

 こうして風呂に入るというのは良いな、と思うのはやはり日本人特有の感情なのだろうか。

 俺の家にあるのはごく普通の一般家庭にある湯船だがこれが旅館にあるような檜風呂だったらどうなんだろうなんて何気に思ったりするのはいつものことだ。

 きっとさぞかしリラックスができるんだろうな。


「はぁ、しっかし何がどうなってるんだ……」


 帰って来るなりいきなり料理をご馳走されて、挙句にはこうして風呂に入ってこい、だもんな。

 確かに彼女の作る料理は最高だったし、何も準備することなくあったかい風呂に入れているというのは感謝が絶えないのも事実なのだが……。


「でも、幽霊、ね……」


 彼女が嘘を言っているといことはないだろう、それに彼女は終始浮いていた。

 どっきりや冗談の類ではない、そうだとしたら手が込み過ぎているし俺はそこまでのことをされるようなことはしていない。

 某ドッキリ番組でもこんなことはしないだろう。


 そして何より……。


『……あなたのことが大好きなんですから』


 確かに彼女はそう言った。

 別にその言葉を疑うわけではない。

 でも、俺は幽霊に好かれることなんてしていないし、そもそも彼女に会ったのは今日が初めてだ、初めてのはずだ。

 少なくとも彼女が生きているときに面識があったのなら、忘れているはずはない。

 あれだけ俺のストライクゾーンドンピシャな少女と知り合っていたのなら、間違いなく覚えている。となると、仮に彼女が幽霊だとしても彼女の生前に俺とは接点はなかったと考えるのが妥当だ。でもなら何で彼女は俺のことを好きといったのか、それになんで俺の名前や好物を知っているのか。

 まぁ、俺の記憶違いだって否定できないのだから現状は何とも言えないけれど。

 いや、それよりもそもそも幽霊なんてものがこの世には存在するのか。

 今の世の中、割と何でも科学で解明できてしまうのだ。

 よく墓場に出るという人魂も今では人間の体内にあるリンといわれる物質が体外に出て自然発火したものを勘違いしたというのが通説だし、それは死体をそのまま埋めていた時の頃の話、最近では見ることはほとんどないという。

 夢がない、とは思うが大体の超常現象や心霊現象なんてこんなものだろう。

 最近では技術の発達に伴ってものも簡単に作れるそうだし。幽霊や妖怪なんかは都市伝説でしかない。いたらいいのに、いたら面白いのになんて言う一種の現実逃避の手段。

 存在しないからこそ俺たちはそれの存在を願いそこにわずかながらの希望を見出す。いないからこそ、そうして面白おかしく想像するのだ。


「……でも、彼女は確かにそこに存在して俺に料理を差し出した」


 それは紛れもない事実。

 やはりこれは夢だろうか。夢はその夢を見るもの欲望や願望の結晶だという、普段言葉にしないけれど本当はこうしたいなんていった深層心理の表れだと聞く。

 確かにそう考えた方が都合がいい、納得がいくところも多い、でも何度起きようとしても目が覚めることはない。そもそもあの縛られていた時の感覚、料理の匂いや触感、今この時も全身で感じているお湯の温度、これらをすべて夢と片付けるとしてはあまりにリアル過ぎる。


「わっかんないな……やっぱり本人に聞くのが一番か……」


 一度すべてを忘れてこの湯船につかって……。


「はいはい、お呼びですか」


 律儀にバスタオルを巻いた姿で彼女が風呂場の扉を開け放つ。


「ゴッフ……ゴボボ……」


 なんでこんなところにまで出てくるんだ。

 風呂くらいゆっくりと入らせてくれよ……。


 突然のことに驚きすぎた俺は自宅の浴槽で不本意ながら溺れることとなったのだ。

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