第5話「好きな物に囲まれて」
「
フィリシアがカウンターに立つ女性に声をかけた。日向と呼ばれた女性は目の前の客の会計を手早く済ませ、見送った後に店内を軽く見回す。
「お皿を下げたら行きます」
「それは私がするわ、座って休んでちょうだい」
「・・・それじゃ、言葉に甘えて」
日向はにっこり微笑んでカウンターを離れる。入れ替わりにフィリシアが皿を下げ、彼女がプレートを持って外へ出て行くのを柚香は目で追った。
外に出たフィリシアは
「どう?」
柚香の座るテーブルへ戻ってきたフィリシアが、柚香の隣に座る女性の前に彼女の飲みかけのグラスをそっと置きながら日向に言った。
「フィリシアさん、これどれも私の好みです」
日向がフィリシアに向けたその笑顔を柚香にも向ける。
「ありがとうございます」
少し頬を紅潮させた柚香は嬉しそうにそう言った。
「日向さんも気に入るだろうと思ってたの、良かったわ」
フィリシアは日向の隣に座り互いに笑顔を向けあう。30代後半と思われる日向との年の差を感じさせない、姉妹のような空気感があった。
「いつも思うんですけど、フィリシアさんの人の好みを察知する能力・・・凄いです」
声と目に力を込めて日向がフィリシアに尊敬の念を送る。
「そんな事ないわ。その人を見ていたら自然と分かるものでしょ?」
日向が「とんでもない」と言うように首を振ってみせる。
「つい自分の好みを押しつけちゃったりする事があるんですよ」
日向が柚香に困った顔を作って見せる。彼女の言葉を聞いて柚香は頭の端で母のことを思いだしていた。
柚香があげる誕生日プレゼントを母はいつもそれほど喜んではくれない。逆に母からのプレゼントも柚香の好みと違っていて「分かってないなぁ」と思って微かに不満に感じていた。
(私の趣味を応援して欲しいって思ってたけど、私は母さんの趣味や好きな事を応援したり肯定したことあったかなぁ・・・・・・)
華やかなことがあまり好きではない柚香は、ホテルに気圧されてホテルランチに尻込みしブランド品を見て歩くことすら落ち着かず嫌がってきた。フィリシアのように、母が楽しいと思うことを「いいね」「素敵ね」と受け入れたことがないことに気付く。
「ちょっと落ち込んでるだけでもすぐに見抜かれるし、迷ってる時も押して欲しい方向へ向かえる言葉をくれるの。何よりフィリシアさんと話してると元気が出てくるのが嬉しくって」
日向が向かいに座る柚香にフィリシアの良さを説く。フィリシアのことが大好きだと体中から伝わってきて柚香も楽しくて笑顔で聞いていた。
フィリシアは額に手を当てて大げさに天を仰ぎ、もう片方の手を胸に当てて言う。
「今日作ったケーキには間違って賛辞の魔法の粉でも入れちゃったかしら」
「本心ですよぉ、魔法なんていらないわ」
「あら、嬉しい」
ふたりして見合って笑う。
「それは・・・分かります」
「でしょ」
笑顔を向ける日向に柚香も笑う。
今まさに心が癒されて元気が出てきている柚香には分かりすぎるくらいだった。そして柚香は思う、今度母に会うときにはほんの少しでもフィリシアのように母に向かい合いたいと。
「どれか買う?」
「これとこれを」
フィリシアの問いに日向は即座にピアスとネックレストップを手に取って見せた。
「じゃあ、私はこれとこれと・・・・・・」
テーブルに残った物から次々とフィリシアが手に取る。
「あ、そんなに。あの・・・好意は有り難いんですけど」
柚香は申し訳なくてフィリシアの手を止めた。可哀想に思っての事なのだろうが、だからといってこんなに沢山買ってもらうのは気が引ける。
「柚香さん、私は好きな物しか買わないの。私が気に入った物を私に売って下さいな」
フィリシアは残りの全部ではなく、確かに選んでいるようではあった。
「でも、こんなに沢山」
「柚香さんの作品は私好みのが多いのよ、本当に」
柚香の手を取ってフィリシアが微笑む。
「遠慮しないで売っちゃいなよ。この人、好きじゃない物はただでももらわないから」
フィリシアの背後から青年の声が割って入った。
柚香がフィリシア越しに向こうに目をやると、テーブルをひとつ挟んだ向こう側に30代前後の細身の男の人が座っていた。ノートパソコンを見つめたままこちらを見もしない、色白の少し小難しそうな人だった。
「この人の言うとおり。私は自分の好きな物しか買わないの」
フィリシアがウインクする。
「この喫茶店もフィリシアさんの好きで溢れてますもんね」
日向が店の中をぐるっと見やる。
「あっ、このコースターは彼女の作品よ」
柚香の隣に座る彼女を指し示し、彼女の前にあるグラスの下を指さして日向が言った。
編み上げられた丸いコースターはハニーブラウンの机や椅子に合う秋色をしていた。
明るく落ち着いた煉瓦色の外周、その内側に明るいブラウンの輪があって、中央がクリーム色をしている。煉瓦色と明るいブラウンの上を薄いピンク色の桜の刺繍が舞っていた。
「あぁ、作品というか・・・作るのが好きだから」
気恥ずかしそうに頭をかきながら作り手の彼女が言った。
「お皿やマグカップも陶芸をしている人に依頼して作ってもらってるし、このテーブルや椅子もフィリシアさんの知り合いが作った物なのよ。フィリシアさんは素人かプロかなんて気にしないの」
柚香は目を丸くして日向が話してくれた物達に目を向ける。どれもこれもしっかりと丁寧に作られていて素人の作品が混ざっているようには見えなかった。
「気に入ったら素人の物だろうとちゃんとお金を出して買うの。時々、買い取り価格の高さに驚く人もいるくらいよ」
そう言って日向が笑う。
「そのかわり、依頼したら物言う買い手だからチェック厳しいみたい」
日向がくすりと笑いながら柚香を見る。
「ここに置く物はイメージを統一したいの、作品の良さを残したまま大枠は合わせたいのよ」
フィリシアの言葉に、それはもっともだと柚香は頷いた。
「まぁ、フィリシアさんの好みに合った作品を作る人にしか依頼しないから、事細かに言わなくても結果的に馴染むんですけどね」
柚香の横でコースターを作った彼女が激しく頷いている。
「あ、そう言えばお名前を聞いてないですね」
「そうでした! ごめんなさい、貴方の作品につい目がいっちゃって挨拶忘れてましたね」
苦笑いする彼女に「私も忘れてました」と柚香も苦笑いを返す。
「
「
お互いに小さく頭を下げて笑顔を向け合う。
「ケーキ食べないの?」
「あっ、食べます。頂きます」
フィリシアに促されて柚香は手を出し忘れていたケーキを食べ始めた。
「私たちも残りのケーキ食べちゃいましょうか」
「私入れてきます」
日向がさっと立ち上がる。
「キッキちゃんも一緒に食べよう」
カウンターのスツールにちょこんと座り、大人しく本を読んでいるキッキに日向がかける声が聞こえた。
「いいの?」
「お手伝いしてくれたんだもの」
「やったぁ!」
キッキの嬉しそうな弾んだ声に喫茶店に残る常連さん達が一様にほっこりしていた。
柚香は改めて喫茶店の中をゆっくり眺める。
雑貨が置いてあるとは聞いていたがそれ程目立つ雑貨コーナーがあるわけではなかった。カウンターに少しずつ飾られている程度であっさりとしていた。壁には大小の絵が飾られている。
壁の面積の大きな場所にひときわ大きな絵が飾られていた。こぼれんばかりの花々に光が降り注いでいる。花と光に埋もれるように美しい金髪の女性が描かれていた。
「私の娘が描いた絵よ、綺麗でしょ」
「フィリシアさんの? 画家さんなんですか? 素敵な絵ですね」
絵を見上げるフィリシアは、夢を見るような眼差しで眺めていた。
「そうなの。時々売れてね、お金を送ってくれるのよ。今は・・・何処で描いてるのやら・・・・・・」
そう言うフィリシアは寂しそうではなかった。
「絵葉書をキッキと私に送ってくれるのよ」
「そうですか」
ぱっと向けられたフィリシアの目がきらきらしている。
「テレビ電話も出来るだろうに、いまどき絵葉書だなんて・・・」
首を振り「困った子」と言いたげでいて嬉しそうな顔をしていた。
「自由を教えたけれど、手綱を緩め過ぎちゃったみたいだわ」
そう言って声を立てて彼女は笑った。
「ママの絵、素敵でしょ?」
「あら、キッキ。食べてる途中じゃないの?」
いつの間にかキッキがフィリシアの側に立っていた。
「ママの絵が誉められてるのに食べてなんていられないわ」
フィリシアがキッキを抱き締める。
「私の手作りケーキはママの光の前ではかすんじゃうみたいね」
「フィルのケーキはとっても美味しくて好きよ。でも、ケーキと絵は比較するには違いすぎるわ」
声を上げてフィリシアが笑った。
小学校低学年にしては大人びた会話に柚香は目を丸くする。日本人の容姿に微かに外国の血を感じるキッキ。彼女の茶色がかった黒髪が光を受けて所々金色を帯びるのが分かる。
「この絵の女の人はフィルなの。でもね、ママにそっくりよ。私、この絵が大好きなの」
「ああ、そうなの。とっても綺麗だわ」
「でしょ、ママの愛が溢れてるもの」
柚香はキッキの説明に頷く。フィリシアに降り注ぐ光が母への愛の様に感じられた。
「淋しいときにはこの絵に聞いてもらうの」
キッキは当たり前のようにあっさりとそう言ってカウンターへ戻って行った。その後ろ姿をフィリシアは見つめていた。
「娘には好きな事は諦めずとことん頑張りなさいって教えてきたんだけど、キッキには淋しい思いをさせてしまってるわね。娘が幸せならって思ってたけど、彼女が母になることを忘れてたわ・・・・・・」
そう言うフィリシアは少し困り顔をしていた。
(子育てや親子関係に正解はないのかな・・・・・・)
娘の好きな事を応援せず苦言ばかりの自分の母とは真逆のフィリシア。彼女の困り顔を見てどちらに転んでも悩み所はあるのだと柚香は思った。
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