第4話「蜂蜜色の空気」

 頷いた柚香を見た彼女がパッと立ち上がる。


「さぁ、こっちよ」


 さくさくと歩き始める彼女を見て柚香も慌てて立ち上がった。

 彼女は60代後半というところだろうか、もしかしたらはつらつとした70代かもしれないと柚香は見当をつける。


 案内された先は公園の駐車場。彼女が「どうぞ」と乗り込んだ車はレトロな印象の車だった。


「車、運転なさるんですか?」

「そうよ、車は私をどこにでも連れて行ってくれる相棒なの」


 そう言ってウインクする彼女の仕草がチャーミングだ。


「私はフィリシアよ、貴方は?」

「柚香っていいます」

「どう書くの?」

「果物の柚に香と書きます」


 柚香はこの説明で伝わるだろうかとフィリシアの顔を伺う。


「素敵ね、爽やかで懐かしい感じがするわ」

「ありがとうございます」


「運転しながらだと漢字が浮かばないわね、後で辞書で調べなきゃ。覚えてた文字も忘れちゃって、漢字はいつまで経っても終わらない勉強みたいだわ」


 フィリシアはちょっと眉を寄せてから直ぐに笑った。


 アメリカンスクールに通っていたのか、それとも外国からやってきたのかその会話からは分からなかった。でも、流暢な喋りに外国のイントネーションがかすかに混ざることから、何処か別の国から来たのかもしれないと柚香は感じた。


 車はスムーズに進み町並みから離れ雑木林を過ぎて丘を登って行く。自分の住む町を見下ろすのは引っ越してきて初めてだった。

 木々の間を見え隠れしながら建物が少しずつ遠ざかり目線が下がっていく。夕日に色づき始めた空を暗くなりかけた遠くの山並みが切り取っていた。


「いい色ね」

「はい」


 グラデーションのかかった空が刻々と色を変えていくのを、柚香は助手席から眺めていた。


「朝も綺麗よ。あの山並みに朝日が当たって良い色に輝いて見えるの、今日も頑張ろうって思えるわ」


 柚香も早起きしてアパートの窓から見たことがあった。


「あ、分かります。元気が出ますね」


 フィリシアに目を向けると彼女もチラッと目を向けて笑った。


(丘の上からなら障害物もなく眺められてもっと素敵なんだろうな)


 車は丘の上までやってきて道沿いの建物の横に止まった。


(・・・洋風の建物)


「はい、到着」


 道と平行して横長の壁を向けた建物が目的地だった。

 建物と道の間に車を止めるスペースが5台分ほどもうけられていて、フィリシアは車の頭を壁に向けて止めた。降りたフィリシアが建物の左側へと歩いて行くのを追って柚香はついて行く。


「大事な荷物は持ってるわね」

「はい」


 雑木林に囲まれた建物を回り込む。道路側から見ると建物の左側にステップ付きの玄関があり、こじんまりとした看板が揺れていた。


「あっ、魔女の・・・!」


 ドアの上、道から見える位置にぶら下がった看板に「魔女の喫茶店」と書かれているのを見て、柚香は目を丸くしフィリシアに目を向ける。


「いらっしゃい、魔女の喫茶店へ。私が魔女のフィリシアよ」


 目を細めて笑うフィリシアが「どうぞ」と優しく背を押す。思わず本当に魔女なんですか・・・と聞きそうになって柚香は自分の口を押さえた。


「ねぇ皆! この子の素敵な作品を見てちょうだい」


 フィリシアの声が入り口から店全体に広がって、まばらに座る人々の目が集まった。


 柚香から鞄を受け取ったフィリシアが店の中央へと歩き、突然注目を浴びた柚香は入り口に突っ立って中の様子に目を泳がす。


 入り口の対面にL字型のカウンターがあり、夕日の見える左手の窓が大きく作られてそちらもカウンター席になっていた。あとは間隔をあけてテーブル席が幾つか配置されている。


「どれも素敵なの! あ、これは貴方の好みかも」


 空いたテーブルに鞄を置いてフィリシアが早速売り込みにかかる。


 それほど大きくはないフィリシアの声は透き通って響き、それぞれ席に着いていた客が集まり始めた。常連客らしい女性へフィリシアが髪留めを手渡す。


「さぁ、柚香。いらっしゃい、あなたの作品でしょ?」


 大きな身振りで招くフィリシアにそう言われて柚香は慌てて彼女の側へ駆け寄った。


「有り難うございます」

「皆が選びやすいようにこのテーブルに全部だしちゃって」

「は、はい」


 フィリシアに言われるまま鞄から商品を取り出すと桜の花びらが一緒に舞い上がった。取る度に舞ってテーブルの上にも床にもはらはらと落ちていく。


(ああ! あの風で舞った桜がこんなに入っちゃてる!)


「すいません。うわぁ、花びらが・・・」

「かまわないわ綺麗だし、部屋の中に春が来たみたいで素敵じゃない」


 確かに綺麗ではあるがそれにしても多すぎる。


「でも、すみません。ほうきはどこですか?」

「箒は魔女に任せて、後で掃いておくから」


 既に床に落ちた花びらが踏まれて汚れ始めているのを見て申し訳なさが先に立つ。柚香はペコペコと頭を下げながら鞄の中身の残りを取り出しにかかった。


 柚香が出す側から誰かの手が伸びてきて焦る。


「んー、私の好みじゃないわ」

「そう? 私はこれ好きだな」


 誰が誰と話しているのか顔も確認できないまま商品を全てテーブルに置き終わり、やっと柚香が顔を上げると7・8人の女性がテーブルを囲んで立っていた。


「私はもっとゴージャスなのが好きなの」

「前にごちゃごちゃしてるの買ったらレースの服に引っかかって破いちゃったの。それ以来そういうのは買わないようにしてるんだ」


 装飾品多め女子のネックレスを指さしてふんわりフリル&レースの女子がそう言った。確かに柚香のレジン作品と比べると翼モチーフや角張った結晶の形の物が付いていてゴージャスだった。


「ごちゃごちゃじゃない、これはゴージャスなの」

「私はそういうのは買わないって言ってるだけよ」


 つばぜり合いがヒートアップしそうなところでフィリシアが二人の肩を叩く。


「人によって何をどう感じるかは違って当然ね。気に入りそうなのがあるか他のもよく見て、無さそうだったら他の方のために場所を空けてくれるかしら」


 高校生か20歳前後位の2人が目を合わせて苦笑う。


「わぁ、何これ。桜を持って帰ってきたの? フィル」


 直ぐ近くから女の子の声が聞こえて柚香が声の主を捜すと、小学校低学年くらいの女の子が柚香の脇に立っていた。そして、テーブルの上を眺めて呆れと笑いが混ざった顔でフィリシアを見上げていた。


「キッキ帰ってたの?」

「お手伝いしてたのよ」

「そう、有り難う助かるわ。下の公園で桜と雑貨の妖精さんを連れてきたのよ」

「素敵!」


 女の子を抱きしめるフィリシアの幸せそうな顔と、彼女を抱きしめ返すキッキの嬉しそうな顔が微笑ましい。


「桜たちが笑ってって言ってるわ」


 ふいにキッキが柚香を見上げる。


「泣かないでって」


 柚香はどきりとした。


(え・・・なんで?)


 キッキはフィリシアから離れ柚香をぎゅっと抱き締めた後カウンターの裏へと走って行った。


「キッキは娘の子供なの」

「あぁ、お孫さん」


 それを聞くと先程の会話に深みが増す。


(まさか、魔女の力が!?)


 目を丸くする柚香を見てフィリシアが笑う。


「あの子は草花や動物とも話をするのよ」


 柚香の目が更に大きくなる。


「それに、洞察力も凄いの」


 そう言ってフィリシアは柚香の鼻をちょんとつつく。


「さぁさぁ、貴方はすべき事があるんじゃないの? お客様が待ってるわよ」



 最初に集まった中の何人かが買ってくれて、入れ替わりで離れた席の人も見てくれた。持ち込んだ3分の1くらいは売れただろうか。


「どうやって作るんですか?」


 女性が厚みのあるレジンの中に浮かぶモチーフや封入物を不思議がって柚香に問う。


「えっと・・・そんなに難しくはないんですけど・・・・・・」

「さぁ、かけて。ゆっくり説明してさしあげて」


 フィリシアに促されて柚香が椅子に腰掛ける。質問した女性も隣に座った。


「モールドという型があって、初めに少しレジンを流し込んでまず硬化・・・紫外線を当てて固めるんです」


 女性が真剣に話を聞いてくれていることが柚香は嬉しくて気恥ずかしくて目が合わせられず、作品を見ながら説明を続ける。


「固まったら少しレジンを足して、奧より手前に浮かせて見せたいモチーフを入れて固める。それを何度か繰り返して作るんですよ」


「固まるまでにどれくらいかかりますか?」

「1回に流し込むレジンの量や入れる封入物でも変わりますけど、私は少しずつ入れるので3分4分くらい」


 小さく何度も頷きながら柚香の話を聞いている。


「それを何度も繰り返すんですね」

「はい、レジン入れてモチーフ入れて微妙に位置を調整しての繰り返しです」


 彼女が手にした奥行きのあるレジンを覗き込んで「時間かかりそうね」と言った。


「手作りの物で時間のかからない物なんてないと思うわよ」


 ケーキセットを手に戻ってきたフィリシアがそう言った。


「そうですよね、花の所なんて細かく重なったりしてて凄いなぁ」

「そんな、私よりもっと細かくて凄い人沢山居るんですよ」

「これも私にしたら凄い細かい作業だと思います!」


 両手を握りしめた彼女は憧れのこもる目を柚香に向けた。


「有り難う・・・ございます」


 レジンを目に入れてしまいそうな勢いで見つめる彼女の言葉に柚香は恐縮する。友達以外からこんなに熱い思いを聞いたことは初めてだった。


「柚香さん、どうぞ」


 フィリシアが柚香の前にケーキセットを置いた。


「えっ、あの・・・注文してないんですけど」

「これは私の奢りよ。チーズケーキはお嫌い? ショートケーキがいいかしら? 紅茶は?」


 面食らう柚香をフィリシアが楽しそうに見つめる。


「奢りだなんて・・・。チーズケーキ好きです、はい。あ、でも・・・私の方がお礼をしたいくらいなのに」


「お客さんが楽しそうにしているのが私は大好きなのよ、ありがとう」

「いえ、そんな」


 優しさに飢えてるわけでもないのに胸がきゅんとする。嬉しさに頬も耳も紅潮するのが分かった。



(私、もう魔女の魔法にかかってるのかな)



 喫茶店の中が柔らかな黄色に包まれているようで、蜂蜜色の空気が染み込んで柚香は幸せな気持ちでいっぱいだった。



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