第3話「桜の花びらに降り立つ者は」

 沙樹の声に振り返った柚香の目からどっと涙が溢れて、沙樹は驚き柚香の両腕を取って撫でた。


「あの人達、他の所で見たことがある気がする。ごめんね、柚香。1人にしてごめん」


 涙で沙樹の表情はよく分からない、けれど沙樹が申し訳なさそうにしているのは声で分かった。だから、何でもないように見せようと首を振って笑顔を作る。でも、一生懸命笑顔を作ってみても涙が止まらなかった。


「何言われたの? ごめん」


 優しく背を撫で沙樹が顔をのぞき込んでくる。


「大丈夫、だいじょうぶだよ。ははは・・・」


 涙でくしゃくしゃの顔で笑ってみせる。

 沙樹の顔に気が緩み優しい声に心がほどけて、後から後から涙がこぼれてしまう。泣くまいと思っても涙のバルブが閉まらない。


 まだ手の震えが止まらなかった。


「大丈夫、だいじょうぶだよ・・・」


 言ってる自分の声が涙で震えてるのが柚香にも分かった。

 柚香達のブースの前を人がチラチラと見ながら過ぎて行く。いつまでも泣いていてはいけない。


(泣いてちゃ駄目だ)


 空を見上げ柚香は必死で涙を堪えようと努めた。


(別のことを考えよう。買ってくれた人のこととか、あの女の子の嬉しそうな笑顔とか)


 気を逸らし、笑顔笑顔と心で唱える。そして、なんとかピエロみたいに赤い鼻のまま笑顔に戻った。そうやって柚香はなんとか初出店を無事に終わらせることが出来たのだった。



「売れたのは半分強と言うところか、結構売れたね! 良かったねぇ、柚香お疲れさま」


 沙樹がとびきりの優しい笑顔を向ける。柚香の肩を叩き労をねぎらい、笑顔が戻った柚香に沙樹も安心した様だった。


「何処かでスイーツでも食べて帰ろうか」


 気遣ってくれる沙樹の気持ちが嬉しくて、柚香の笑顔もほんの少し明るさを増す。


「そうだ! 魔女の喫茶店って聞いたことある?」


 赤鼻の笑顔で柚香が頷く。丘の上にあるという洋風の喫茶店の噂は引っ越して直ぐに耳にした。


「ハンドメイド雑貨も売ってるんだって。私まだ行ったことないんだ、柚香は?」

「私も噂を聞いただけ」

「じゃ、行ってみない? 店主のおばあちゃん、本当に魔法使いらしいよ」


 沙樹が悪戯っぽい顔で笑っている。


(ハンドメイド作品・・・かぁ・・・・・・)


 少し気が引けた。今は手作りの作品を見たくない気がしたし、自分が作る物より良い作品から力をもらうどころかかえって落ち込みそうな気がした。


「行こう行こう」


 沙樹が楽しそうに柚香の荷物に手をかける。


「あっ・・・・・・、ちょっと止めとこうかな」

「え? 何で? 気分転換しに行こうよ」

「んー・・・、ちょっと」


 早く家に帰ってベッドに潜り込みたかった。

 柚香は辛いときにはもっぱら寝てやり過ごすタイプだ。でも、そう言ったら沙樹はもっと引っ張り出そうとするだろう。何と言ったらいいかと頭を巡らす。


「この荷物かさばるし、次のためにクオリティーの高い物作れるように努力しなきゃ!」


 そう言って柚香はファイティングポーズをとってみる。


「柚香・・・無理してない?」


 一転して沙樹の表情が曇った。


「無理・・・してるかも」

「柚香」


「でもね、沙樹のせいじゃないし買ってもらえたことは嬉しくて楽しかった。だから、沙樹は気にしないで。私が気持ちの切り替え下手なの知ってるでしょ?」


 沙樹の顔から言葉が漏れ出てる。「だから気分転換しに行こうって言ってるんだよ」と言いたいのを堪えている顔だ。


「心配しないで、ガッツリ寝て明日にはすっかり忘れちゃうから」


 空元気なのはばればれだが、沙樹は引いてくれた。


「んーーっ! 分かった。怒りを吐き出せるくらい元気になったら言ってよ、憂さ晴らしにカラオケでも何でも付き合うから」


「ありがとう」


 フリーマーケットに出店しようと焚きつけたことを沙樹は後悔しているんじゃないかと柚香は気にかかる。


「本当にごめんね」


 沙樹がそう言うのを聞いて「やはり」と柚香は思う。


「大丈夫、気にしないで楽しかったよ。大丈夫、うん、次はもっと上手くやれる。じゃぁね」


 柚香は腫れの引きはじめた目とほんのり赤い鼻で精一杯の笑顔を作って手を振った。


 沙樹と別れて元気そうに歩いて・・・、いつの間にか足取りから元気が消えていく。


(真っ直ぐ家に帰ってベッドに潜り込みぐっすり眠ったら忘れられる、今は過去になる)


 そう思って家に向かっていた。




 家へ向かっていたはずの足が止まった。

 公園は人が少なくベンチが空いていた。桜が綺麗じゃなかったら立ち止まらなかったかもしれない。


 かさばりはしてもそれほど重くない荷物が重く感じた。だから柚香はベンチに腰を下ろし、何気なく鞄を開けて中身を手にとって見つめていた。


 売れて手元を離れた作品、商品のことを思い返し買ってくれた人のことを思い出して顔がほころんだ。


「あの女の子の笑顔、嬉しそうだったなぁ。スキップして帰ってくの可愛かったぁ」


 そこまでは良かった。その後思い出さなくて良いことまで引っ張り出してしまった。せっかく鼻の赤みも消えたのに。


(覚悟が足りなかった・・・)


 言い返したりしなくてももっと良い切り返しが出来たんじゃないか、自分に付け込まれる隙があったんじゃないか。徐々に自分を責め始めて、繰り返し思い返すほどに涙が溢れてくる。


 あの女の人が手にしていたブローチが目に留まり更に泣けてくる。ブローチを握りしめながらぐずぐずと泣いている。そんな自分が嫌だった。


「楽しくて幸せだったのに、こんな事で台無しになるなんて・・・・・・嫌だよ」


 地面に落ちた桜の花びらが柚香の前を風に押されて飛ばされていく。吹き飛びながら渦を巻いた花びらがほどけて、はらはらと落ちていくのを柚香は見つめていた。


 更に強い一陣の風が桜をざわつかせ、


 ザザザザ・・・・・・


 桜の花びらが舞い吹雪く、目の前が桜色に染った様に見えるくらいに。


(あぁ・・・桜が・・・!)


 沢山の花びらが髪にかかり服にこぼれ落ちて埋もれてしまうかと思うほど多く舞っていた。


「うわぁ・・・」


 風の吹き抜けた後に静けさがやってきて、沢山の舞い上がった桜の花びらがそっと地面に降りたつのを柚香は眺めていた。


「・・・・・・!」


 舞い上がった花びらの殆どが地面に降り立つのを見ていた柚香の目に靴が写った。靴から足、足から腰と辿って顔を上げると、柚香の座るベンチの少し前におばあさんが立っているのに気付いて驚く。


(え? いつの間に・・・近くに誰かいたっけ?)


 あんな強い風の中どこからやってきたのか。


 柚香は思わず辺りを見渡したが彼女とおばあさん以外近くには誰もいない。唐突な気がして柚香はおばあさんから目が離せなくなった。


 しゃんとしたおばあさんは真っ直ぐこちらを見ていた。彼女はお洒落な感じで若々しく感じられた。緩く編み込まれた真っ白な髪が右肩から垂れている。外国の人かハーフなのか色白で鼻が高く、お年寄りにしては身長があってすっと芯が通っているような強さを感じた。


「あら、あなたフリーマーケットに出店してた方じゃない?」


 開け放たれた鞄からのぞく品物を目にして彼女はそう言った。


「お隣、いいかしら?」

「あ・・・あぁ、どうぞ」


 少し横にずれて彼女の座るスペースを広げながら柚香は慌てて涙を拭いた。


「ふふふ、桜の妖精みたいね」

「妖精・・・ですか?」


 彼女は柚香の頭に乗った花びらを取って見せてくすりと笑う。


「ああ、桜まみれだ」


 見れば肩や袖スカートの上にも花びらが沢山付いていた。きっと頭も凄いことになっているに違いない。そう思って柚香は立ち上がり服に付いた花びらを落とし頭も軽く振ってみる。


「見てもいいかしら?」


 興味津々で鞄を指さす彼女に柚香は頷く。


「どうぞ」


 そっと柔らかな笑顔を向ける彼女に柚香も笑顔を返した。

 柚香の涙に気付いていておかしくないのに、彼女はその事にはふれず楽しげにひとつひとつ見ている。彼女が商品を一生懸命見ている間、柚香は彼女を見ていた。不思議に彼女の体には桜の花びらがほとんど付いていなかった。


「まぁ、素敵ね」


 少女のように目をきらきらさせて手に取る彼女を柚香はほっこりと眺めていた。


「あ、そうだ。あなた時間ある?」

「え?」

「お迎えされなかった物、持ち帰るのはもったいないわ」


 取り出した物を鞄に戻して彼女がぱちんと鞄の口を閉じる。


「買ってくれそうな人達がいるところ知ってるの、甘いスイーツもあるし・・・どう?」


 柔らかな物腰と優しい声、そしていたずらっ子みたいな笑顔に柚香はいつの間にか飲まれていた。


 彼女からはメアリーポピンズかオズの魔法使いに出てくる人物みたいな、ファンタジックな気配がしていて柚香はそれに惹かれてつい頷いてしまった。


「嬉しいッ。じゃ、行きましょう」



 もし彼女が詐欺師だったなら、きっと沙樹に「迂闊なことして!」と叱られることだろう。



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