第2話 金子堅太郎遭難事件
明治20年。井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎の三人が大日本帝国憲法の草案を作っていた頃、世情はとても不安定だった。
9月27日の夕方。
金子堅太郎が退庁して家に戻ろうとすると、そこに金子家の家僕がやってきた。
迎えという雰囲気ではなく、真っ青な顔をしている。
「壮士二人がやってきて、帰りを待たせてもらうと言っています」
壮士とは自由民権運動をする血気盛んな若者たちのことである。
仕込杖を手に暴力行為に及ぶこともあり、官憲が目を光らせていた。
「どうして、うちに?」
「それが伊藤総理の官邸に面会を求めて行ったのだけど、不在だったから金子家に来たと。金子氏も不在ならば帰宅まで待たせてもらうと、玄関に座って動きません」
堅太郎が家僕の話を聞いていると、そこに伊東巳代治がやってきた。
「ああ、金子君。そいつら、さっき来た奴かも」
「見たの?」
「うん。伊藤さんに会わせろというから不在だって言ったら帰っていった」
壮士にしてはずいぶんとあっさりしているようだが、堅太郎には理由が分かった。
巳代治が怖かったのだ。
見た目は優男であるものの、巳代治は百七十センチ近く身長があり、上背がある。
そんな程度でこそこそ逃げるのかと、堅太郎は内心で溜息をついた。
「退庁時間ではあるけど、今は家に戻らないほうがいいんじゃない? 僕のところにでも来る?」
「いや、気持ちはありがたいけど帰るよ」
堅太郎が敢然と帰宅しようとするのを見て、巳代治は一人、護衛を呼んだ。
「内閣が雇っている護衛だ。使える護衛だから連れて行くといいよ」
「ありがとう」
その護衛を付き添いとして、堅太郎は家僕と共に帰宅した。
堅太郎の家は中六番町にあった。
自宅の玄関に堅太郎が入ると、壮士たちはすでに勝手に表座敷の次の間に入っていた。
仕方なく堅太郎が会うと、二人の壮士は堅太郎に迫った。
「国家の重大事につき、是非とも総理大臣に面会したい。会えるように取り計らって欲しい」
「総理は多忙だ。面会の目的をあらかじめ伝えてから面会できるかが決まる。まず、その要件を僕に話してもらおう」
堅太郎は逆に要求したが、壮士たちは首を振った。
「直接でなければ言えないな」
「僕も要件がわからないなら、取次はできない」
お引き取り願おうと堅太郎が言いかけた時、壮士の一人がそばに置いた新聞紙の包みを掴んだ。
「貴様に言う必要はない!」
堅太郎は新聞紙の中身に気づいた。
(仕込み杖か!)
壮士は抜く手も見せず斬りかかった。
「!?」
驚いたのは斬りかかった壮士のほうだった。
新聞紙の中に棒鞘の日本刀を隠していたのに、堅太郎がその太刀先を身をかわして避けたからだ。
「文官なら簡単に斬れるとでも思った? 悪いけど、僕らも士族だから撃剣や柔術の心得くらいはあるんだよ」
「この……!」
壮士は次の行動を起こそうとしたが、太刀が深く畳に刺さってしまっている。
堅太郎はもう一人の壮士が向かって来る前に、わざと大きな物音を立てた。
その音を聞きつけて、巳代治がつけた内閣雇いの護衛と、金子家の書生が飛び込んできた。
「金子さん!」
「金子先生!」
ちょうどそこで壮士の刀が畳から抜け、二の太刀を振り上げようとしたが、護衛と書生が後ろから飛びついて抑え込んだ。
もう一人の壮士がどうすればいいのか迷っているうちに、麹町署の巡査がやってきて、壮士二人を拘引していった。
「大丈夫でしたか?」
「ああ、ありがとう」
拘引に来てくれた巡査たちと、護衛と書生に礼を言い、堅太郎は溜息をついた。
「こんなことをしているから、ますます自由民権派への締め付けがきつくなるのに……」
堅太郎は留学後そもそもは民権運動に参加していたのだ。
沼間守一の『嚶鳴社』小野梓の『共存同衆』にも参加していたし、その頃の仲間もたくさんいる。
彼らは洋行帰りの英才たちばかりだったが、自由民権運動が地方に広がり、暴力化・先鋭化が激しくなっていくのを堅太郎は憂うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます