第133話 夫婦の初バレンタインデー

 朝起きて、「さむっ」と身体が震える。

 真冬のつくなみ市は本当に寒い。

 今日は二月十四日。バレンタインデーだ。

 

「ミユは……もう起きて、色々してるのかな」


 時計を見れば午前八時。

 日課のジョギングも終えて、朝食の支度でもしているんだろうか。

 と思ったら、


「リュウ君。朝ご飯出来たから。顔洗って、歯磨いて、出てきてね」


 とリビングからミユの声。


「了解。ふわーあ」


 結婚して、もう一ヶ月以上になる。

 結婚前と違って、大きな違いはない……ように見えた。

 最初の数日は。

 ただ、それからというもの、妙にミユが甲斐甲斐しいのだ。

 もちろん、同棲時代からそうだったけど、磨きがかかっている。

 こんな風に、慣れた感じで、寝室に呼びかけてくるようになったのも、

 結婚してからだ。


(尻に敷かれているって奴だろうか)


 でも、そんな日々が嫌じゃないどころか、幸せだ。


(さて、顔洗うか)


 というわけで、我が家のいつもの食卓。


「そういえば、もう今日、バレンタインデーなんだよな」


 なんとなく思い出した話題を振ってみる。


「うん。腕によりをかけて手作りするから。期待しててね?」

「ありがたく待っておくよ」

「よろしい」


 前なら、もうちょっと遠慮気味に「買ってきたのでいいから」

 と言っていただろう。でも、素直に好意を受け入れてくれた方が

 ミユも嬉しいようだし、自分から申し出た場合は素直に受取るようにしている。


「今日はこれから、ちょっとByteに顔だして記事書いてくる」

「そういえば、もう少しで締め切りだったね。行ってらっっしゃい」

「ああ、行ってくる」


 とその前に、ミユをぐいっと抱き寄せる。


「うん……」


 目を閉じるミユに、チュっと短いキス。


「やっぱり、まだ恥ずかしいね」


 少し笑いながら、ニマニマとしている俺の嫁。


「俺もだよ。でも、その内慣れるだろ」

「でも、慣れない方が楽しいかも」

「ああ、そうかもな」


 夫婦らしい習慣を、ということで思いついた事の一つがこれだ。

 どっちかが家をしばらく空ける時は、行って来ますのキス。

 思いつきで始めたんだけど、なかなかどうして悪くない。

 

(こういうの続けられたら、いつまでも新鮮な気持ちなのかもな)


 なんて考えながら、筑派大学への道を急いだのだった。


◇◇◇◇


「よーし、これで記事はかけた」


 昼食休憩を挟んで合計四時間程。

 今回執筆したのは、「HTTPサーバの作り方」。

 元々は、バイトで得たネットワーク知識を元にした記事だ。

 自分で、HTTPサーバのサブセットをつくるというものだ。

 なかなか記事としては難しいものだったけど、充実感がある。

 そして、俺もそれなりに出来るようになってきたんだと。


「よし、帰るか」


 席を立った所、


「ん?竜二りゅうじは、もう帰りか?」


 ちょうど入れ替わりに、しゅんさんが入ってきた。

 名字だとミユとまぎらわしいということで、名前呼びになった。


「ええ。嫁が待ってるんで」

「竜二も言うようになったな」

「さすがに一ヶ月も経てば、少しは変わりますよ」

「俺も、その内、お前らみたいになるのかもしれないな」


 たぶん、考えているのは、彼女であるみやこの事だろう。


「俊さんも博士後期ですし、学生結婚ありなんじゃないですか?」


 彼は博士後期課程一年。ストレートに行っても、博士号取得まであと二年近く。

 都の方が待ちきれずに逆プロポーズしてしまいそうだ。


「ただなあ。都はまだ一年だから、つくなみに来いとは言えないだろう」

「あ。考えてみればそうですね」


 東京とつくなみ市という距離の壁があるのだった。

 

「博士後期なんて、研究しかやることないから、東京に移住は出来るが……」

「さすがに、そこまでしたら、都の方が恐縮してしまいますよ」


 それに。


「俺達にとっても、俊さんは恩人ですし、ね」


 なんとなく、つくなみ市を去られて東京に行かれるのはすこし寂しい。


「ま、後輩からそこまで想われて光栄だよ」


 と、少し彼も嬉しそうだった。

 俊さんとも、少なくともあと二年は付き合いがあるだろう。

 それ以上は、彼の進路次第だけど。


(俺も、少しずつ、進路考えていかないとな)


 そんなことを考えながら、家路についたのだった。


◇◇◇◇


「おかえり、リュウ君」


 と玄関に帰るなり、ミユが駆けて来た。

 そして、今度はミユの方から抱きしめてのキス。


「ちょ、不意打ちはズルいぞ」

「おかえりなさいのキスも良くない?」


 やった、とばかりの悪戯めいた笑み。


「いや、そりゃ、悪くないけど……」


 行ってきますのキスはそろそろ慣れてきた。

 でも、こう、不意打ちでされると照れる。


「じゃあ、これからもしよ?」

「ああ、わかった。わかったよ」


 ますますミユの事が好きになっていると実感する。


「はい。バレンタインのチョコレート」


 丁寧に箱詰めされたチョコレートを渡された。

 家の中だから、そのままでもいいのに……は無粋だろう。

 箱を開けると、そこにはハート型のチョコレート。

 はいいんだけど、何かデコレーションがある。


「うん?これって、ひょっとして、むげんだいの事か?」


 なんとなく見覚えのある記号だと思った。


「そうそう。夫婦になって、初バレンタインだし、ちょっと凝ってみたんだ」

「これってさ……」

「言わないでもわかるでしょ。無限大の愛っていうか」


 と言いつつ、照れているミユ。

 そんな姿が最高に愛しい。


「じゃあ、ちょっと一口頂くな」


 口に運ぶと、チョコレートの味に、ミルクと、少しの酸味?


「なんか、酸っぱい味が混ざってるけど。これなんだ?」

「ちょっとオレンジの果汁入れてみたの。どう?」

「後味すっきりって感じでなかなかいいな」


 でかした、とばかりに、手入れされた髪を優しく撫でる。


「ふふ。良かった。ちょっと心配だったし」

「付き合う前もくれてたし、別に心配することなんてないだろうに」

「隠し味に挑戦したのは初めてだから、気になるの!」


 実に可愛らしいことを言うミユを見て、少し悪戯を思いついた。


「なあ、ミユも一口どうだ?」


 とひとかけらをミユの口に運ぶ。


「あーん」


 とミユも躊躇なく、チョコをモグモグと食べる。


「うん。我ながら、結構よく出来てるかも」


 うんうんと満足そうだけど、悪戯はここからだ。

 椅子を立って、ミユの側へ行く。


「え、ええと。どしたの?」

「キス、したくなって。嫌か?」

「嫌じゃないけど、今、チョコが口の中で、って……」

「こう、チョコ食べながらとかよくないか?」

「もう。変なこと考えるんだから」


 と言いつつも、拒む様子はないので、そのまま深い口づけを交わす。

 唾液の他に、甘い、甘いチョコの味がお互いの口に広がる。


「う。なんだか、変な気持ちになりそう」

「ま、俺もちょっと、抱きたくなってきたんだけど」


 今のキスもあるけど、おかえりなさいのキスも強烈だった。


「う、うん。それじゃあ……」


 ということで、二人で寝室に直行して、あれこれしたのだった。


「なんか、リュウ君、前よりがっつくようになった気がする」


 行為の後、じろりと見据えられる。


「いやだって、お前が結婚してから、もっと可愛くなるし」

「そ、そんな褒め言葉でごまかそうとしても駄目!」


 と言いつつ、ニヤニヤしているミユである。


「そう言いつつ、お前もまんざらじゃないんだろ?」

「それはそうだけど……」

「何か不満とかあるのか?」


 もし、あるなら解消しておきたい。


「不満じゃないけど。前より気持ちよくなってるから、困るの!」

「夫としては、気持ちよくなってくれて嬉しいんだが?」

「私もその、嬉しいけど。とにかく!今度は、私からいっぱいしてあげるから」


 何やら、妙な対抗心を燃やしているらしい。


「じゃあ、期待してるよ」


 なんて言いながら、お互いニヤけている表情を全然隠せていない。

 こうして、幸せな一日が過ぎて行ったのだった。

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