第132話 二人は同じ名字

 一月某日。今日は「形式論理と型システム」の講義だ。

 

「さて、カリー=ハワード同型対応を使った、証明の前に、改めて自然演繹での証明について復習しましょう。(A → B → C) → (A → B) → A → Cについて証明します」


 と講師が、黒板に記号を書いていく。


「この命題の自然演繹による証明図の一部は、こうなります」


 

A → B → C ∈ Γ      A ∈ Γ

――――――――― axiom ―――― axiom

Γ |- A → B → C       Γ |- A

―――――――――――――――――――――

    Γ|- B → C



 と、証明図がカカカッとものすごい速さで書かれていく。


「さて、この証明図を元に、命題の証明を完成させてください。では、はじめ!」


 制限時間は十五分。

 以前は手こずったけど、落ち着いてやれば解けそうだ。

 手元のノートに、黒板の証明図に加えて残りの部分を書き加えていく。

 慣れてくると、「証明とはこうやって書くのか」がわかって面白い。


 隣のミユを見ると、鼻歌まじりに楽々といった様子で解いている。

 木橋も余裕そうだ。ちなみに、陽向は今日は来ていない。

 さすがに、陽向は受験間近という事もあり、家で勉強中。


 十五分後。


「はい、終わり!さて、せっかくなので、誰かにこの問題の解答と解説をしてもらいましょうか。解答をしてくれる人、挙手をお願いします」


 と講師が言うものの、場はシーンとしたままだ。

 一応、俺は解けた。右隣のミユも解けているぽいし、左隣の木橋も。

 しかし、自信がないのか、面倒くさいのか、誰も手を挙げない。

 ちなみに、俺は自信がない方だ。


「うーん。こういう沈黙って困るんですよねえ」


 と講師が言いつつ、思案した様子。

 確かに、困るんだろうけど、それなら誰か指名して欲しい。


「では、私の方から指名することにします」



 うげ。当たりませんように。当たりませんように。

 いや、別に単位には影響しないだろうけど。

 それでも、大間違いだったら恥ずかしい気持ちはある。


「せっかくなので、乱数で決めましょうか。えーと……」


 と言いつつ、スライドに投影された画面に、


jshell> (int)(Math.random() * 35)

 

 と打ち込んでいる。受講者はおよそ三十数名。

 雑に乱数で誰かを決めようということか。

 いかにもこの学部らしい。


 講師がエンターキーを押すと、


jshell> (int)(Math.random() * 35)

$1 ==> 30


 という数字が表示される。

 しかし、30とだけ表示されても……。

 あ、名簿を配列に見立てて、添字が30なのか。


「えーと、30番目は……と。高遠たかとおさん」


 あー、答えなきゃか。


「あ、はい」

「あ、はい」


 と同時に立ち上がった俺たち。


「え?」

「え?」


 二人目を見合わせてきょとんとする。


「あ、すいません。高遠美優たかとおみゆうさんの方ですね」


 慌てて、講師が訂正する。

 あー、なるほど。そういうことか。


「はい」


 ミユが改めて、前へ出て、証明図の残りを完成させる。

 迷いなく、埋めて行くところはさすがだ。


「はい。合っていますね。意外と適用規則をミスする学生も多いのですが」


 感心、感心、と講師はミユの解答を褒めていた。

 講義が終わった後のお昼休みにて。


「なんか、名字で呼ばれるとああいうことになるんだな」

「ね。少しびっくりしちゃった」


 同時に立ち上がった俺たちは、びっくりだった。


「それで、もっと夫婦って実感できたんやないか?」

「まあな。しかし、同期の奴、気がついただろうか」


 結局、機会がなく、一部除いて、同期とは親しくなっていない。

 しかし、あんなハプニングがあれば、気になるやつも居そうだ。


「普通やったら、たまたま名字同じって思うかもしれへんな」

「でも、私たち、一緒に行動すること多いから、たぶんバレちゃったよね」

「大学生なのは不幸中の幸いか」


 なんせ、大学生にもなれば、同じクラスに四六時中居ない。

 きっと、「あー、あいつら結婚したのかな」くらいじゃないだろうか。


「こんにちは。三人とも。ちょっと席いいかい?」


 と学食で声をかけてきたのは、痩身で長身の男。

 眼鏡をかけていて、少し知的な感じのするファッションだ。


「え、えーと……」


 ミユが戸惑い気味だ。

 確か、名前は覚えていないが、同期の奴だったはず。

 考えてみると、木橋とByte関係以外だとほぼ初めてか。

 同期のやつにこうして声をかけられたのは。


「あの、すいませんけ……」

「あ、大丈夫だよ。どうぞ、どうぞ」


 空いている一席を譲るミユ。

 少し緊張しているようだけど、大丈夫らしい。


「それで、悪い。名前なんだっけ」


 同期の名前を覚えていないのは、少しバツが悪い。


「ああ、熊本武志くまもとたけしだ。よろしく」


 痩身の体躯に似合わない名前だな。


「じゃあ、熊本。なんでまた急に、俺達のとこに?」

「元々、興味はあったんだよ。君たちはプログラミング得意そうな集まりだったし」


 と目を輝かせている。なるほど。


「つまり、熊本もプログラミングオタクの類か?」

「プログラミングオタクって程じゃないけどね。メジャーな言語は使いこなせるよ」

「いや、それ、十分オタクの域だろ。ちなみに、使える言語は?」

「うーん……C++、Java、Python、JavaScript、Goと言ったところかな?」

 

 普通に多言語マスターだった。しかも、Goも使えるとは。


「なんか、色々作ってそうだな。後でGitHubアカウント教えてくれよ」

「ああ。こっちこそ、教えて欲しい」


 というわけで、GitHubギットハブアカウント交換会。


「お前、つええな。エディタを一から作ってるのかよ」

「Electron製だから、色々既製品組み合わせてるけどね」

「いやいや、★3000くらいあるし、スクショも綺麗じゃねえか」


 しかも、シンタックスハイライティングも対応で本格的だ。

 エディタの名前は、Muuと書いて「むー」と呼ぶらしい。


「なんつーか、凄いやつがゴロゴロいるな。うちの学部」

「いや、話聞く限り、君たちも凄そうだけど?」

「俺以外はな」


 卑屈になってるわけじゃないが、力量差が有りすぎる。


「もう。リュウ君も出来るのに」

「いやいや、まだまだだって」


 と夫婦で言い合ってると。


「その……ちょっと気になってたんだけど。さっきの講義」

「あ」


 ひょっとして……。


「なんか、朝倉さんだった、よね?名字変わってた気がしたんだけど」


 ああ、そこはやっぱ疑問に思うか。

 言ってもいいよな、と目線を送る。コクリと頷くミユ。


「ああ、実は、結婚したばっかなんだよ。俺たち」

「学生結婚ってやつかい?羨ましいな」

「まあ、籍入れただけだけどな。熊本は誰かいい人でもいるのか?」


 適当に世間話がてら聞いてみる。


「東京にいるから、普段は会いづらいけどね」


 遠距離恋愛ならぬ中距離恋愛といったところか。


「しかし、夫婦になると、やっぱり少しずつ変わっていくもんだなあ」

「そうだね。他にも、色々変わって来そうで楽しみ」


 お互い笑い合いながら、冬の昼を過ごした俺たちだった。

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