第130話 夫婦になって変わったこと

 1月7日の月曜日。今日は、冬休み明け初の授業日だ。

 なのだけど、寒い。とにかく、寒い。

 いくら、ここ、つくなみ市が寒いと言っても、寒すぎじゃないか?

 しかも、なんだか、身体がだるいし、頭痛もする気がする。


「なあ、今日って異常に寒くないか?」

「それは確かに寒いと思うけど。昨日もこんなじゃなかった?」


 既に起きて、日課のジョギングに行って来たらしいミユは元気だ。

 こんな寒いというのに、本当にコツコツやる奴だと思う。


「いやいや、段違いに寒いぞ。身体がだるくなってくるくらい」

「ひょっとして、リュウ君、風邪引いたんじゃない?」


 心配そうなミユがかがみ込んで、手をおでこに当ててくれる。


「やっぱり、熱がある気がする。体温計持ってくるね」

「悪い。頼む」


 パタパタと救急箱を取りに行ったらしいミユだけど、すぐさま戻ってきた。


「はい、熱測って見て?」

「うい……」


 なんか、風邪じゃない?と言われると、本当に風邪じゃないかと思えてくる。

 ピピピ、ピピピ。体温計が鳴ったので、取り出してみると、38.2℃。


「やっぱり、熱あるね」

「授業初日から、風邪かあ。ま、単位危ないわけじゃないし、いっか……」


 模範的な学生とまでは行かないが、前期の授業の単位は全て取得している。

 ま、一日くらい休んでも、ダメージは大きくないだろう。

 

「私も、今日は自主休講して、看病するから。ゆっくりしよ?」

「単なる風邪だし。むしろ、講義ノート取って見せて欲しいくらいだけど」

「今日の講義は木橋きばし君も履修してるし。連絡しておくから」


 なんだか、本当に心配そうな顔をしているミユを見ていると、悪い気がしてくる。


「そうだな。じゃあ、お言葉に甘えて」

「もう夫婦なんだから。それくらい遠慮しない!」

「そうだな。夫婦、なんだよな」


 少しぼーっとした頭に、その言葉が心地よく響く。


「そうだよ。私たちはもう家庭を持ってるんだから。富める時も病める時もって誓いの言葉あるでしょ?」

「俺達は式挙げてないと思うけど。ま、言いたいことはわかる」


 今更変な遠慮するな、ということだろう。


「そうそう。リュウ君、食欲はある?お粥なら食べられる?」


 問われて、お腹の調子を意識する。んー。


「お粥はちょっときついかもしれない。ゼリー飲料なら……」

「わかった。ちょっと、コンビニで買ってくるね。他には?」

「喉乾いたし、なんかジュース飲みたい気分。りんごジュースとか」


 この際、思う存分甘えてしまおう。

 他にいくつか、買って来て欲しいものをリクエストすると、


「じゃあ、行ってくるね!」


 と、素早く身支度をして、家を出て行ってしまった。


「風邪になると、妙に心細いもんだよなあ」


 別に、ミユは近くのコンビニに行っただけで、すぐ帰って来るのに。


「でも、そうなんだよな。夫婦、なんだよな」


 既に、ミユとは家庭を作って、二人で生涯をともにする間柄なのだ。

 そんな、当然の事を、今更になって実感した気がする。

 でも、それはそれとして、身体がだるいし、頭痛もする。

 確か、買い置きの風邪薬があったはず。

 ああ、でも。


(寝てなさい!って言われそうだな)


 ミユがそう言うのが容易に想像出来てしまう。

 ま、少しの間、待つか。


◇◇◇◇


「お待たせ、リュウ君。はい、頼まれたの。ゼリーはすぐ飲む?」


 いつの間にか帰ってきたミユが、レジ袋をドサッと床に置いた。


「頼む……」


 はい、と手渡されたゼリー飲料の容器から、ちゅーちゅーと吸い出す。

 ああ、なんだか、少しだけ落ち着いた気がする。


「このゼリー飲料発明した人、天才だな」

「お粥が無理でも、これなら行けることもあるもんね」

「それと。頭痛もするから、風邪薬、取って来てほしいんだけど」

「わかった。風邪薬ね。今取ってくるから」


 ミユとの付き合いも長いけど、こういうのはあまり無かったかもしれない。

 風邪薬を飲んで、三十分くらい経つと、身体が楽になってくる。


「ああ、なんか、熱引いて来た気がする」

「風邪薬で無理やり熱下げてるだけだから。油断しちゃ駄目だよ?」

「わかってるって。でも、これならお昼は食べられそうだ」


 ほとんど無かった食欲が少し回復して来ているのを感じる。


「じゃあ、お昼はお粥作るから。それとも、おじやがいい?」

「お粥よりは、おじやがいいな」

「わかった。じゃあ、おじやね」

「ああ」


 そう言って、しばらく、ぼーっと天井を見つめる。

 視線を感じるので、横を向くと、ミユがじーっとこちらを見ている。


「看病はありがたいけど、スマホ見るなり、ゲームするなり、暇潰したらどうだ?」


 というか、こう、じーっと見られていると、こっちが少し落ち着かない。


「せっかくの機会だし。こうして、リュウ君のこと見てる」


 ベッドの縁に座りながら、ニコニコ笑顔のミユ。


「別に、わざわざ風邪の時にみないでもな……」

「風邪の時だから、だよ」

「まあいいや、好きにしてくれ」


 落ち着かないので、スマホでツイッターをぼんやりと眺める。

 とはいえ、何があるわけでもない。それに、風邪のせいか気力もない。

 ちら、とミユの方をみると、やっぱり俺の方をじーっと見つめていた。


「ずっと見てて楽しいか?」

「楽しいよ」

「そんなもんかね」

「実はね、憧れだったの」

「何が?」

「旦那様の看病をするの」


 そう言って、いつの間にやら取り出した冷えピタをぺたんと貼られる。

 ひんやりとして気持ちがいい。


「また妙な憧れもあったもんだな」

「でも、こういう時間もちょっと良くない?」

「悪い気分じゃないな。でも、ミユは、嫁、なんだよなあ」

「実感、湧いてきた?」

「少しは。同棲の時だったら、授業出とけとか言ってたかもだし」

「だったら、やっぱり、結婚して良かったのかな」


 結婚、か。これからは、ずっとミユが一緒なんだよな。

 あるいは、前みたいに熱中症の時でも、また違うのかもしれない。


「良く出来た嫁をもらって幸せだよ、俺は」

「なに?急に嬉しいこと言ってくれちゃって」


 ニコニコが、ニマニマに変わった。こういうのも可愛いな。


「実際、そうだろ。まあ、結婚する前からだけど」

「も、もう。リュウ君ったら。風邪で心弱ってる?」

「別に。いつも思ってるよ。ありがとな」

「それなら、私の方こそ、ありがとうだよ。お嫁さんにしてくれて」

「いずれは、ここに、俺達の子どもも加わるのかな」


 漠然と、そんなことを考えた。


「そ、それはそうかもだけど。どうしたの、急に?」

「ただ、なんとなく思っただけ」


 まあ、頭がぼーっとしているからこそ、かもしれない。


「そっか。でも、その時は、つくなみじゃなくて東京に戻ってるのかな」

「こっちで就職するって事もあるかもしれないけどな」

「だね。研究所とかいっぱいあるし、それに、大学院に進学するなら」

「Byteの人たち、修士までは進むの全然ありみたいなこと言ってたよな」

「うん。情報系なら、修士まではむしろ就職に有利なくらいだって」

 

 しかし、進学か。その場合、四年と思っていた大学生活も、さらに二年か。


「ミユはさ。就職先とか、そういうの考えたことあるか?」

「うーん。プログラム書くのは好きだから、ITエンジニアは考えたことあるよ」

「ミユの腕なら、引く手数多だろうな」

「それは言い過ぎだって」

「また、そうやって謙遜する」

「謙遜じゃないって。でも、リュウ君はどうなの?」

「俺も……まあ、プログラム書くのは楽しいし。ITエンジニアはありかな」

「じゃあ、同じ会社受けてみない?」

「いいな。それ。夫婦揃って、同じ会社に就職とか」

「会社で働く同僚さんに珍しがられそうだよね」

「な。「なんで、名字が同じなんですか?って」」


 風邪のせいだろうか。そんな将来像が、なんとなくあり得るように思えてくる。


「その時は、リュウ君はどう答えるの?」

「ああ。「妹なんですよ」って」

「それは大減点なんだけど」

「冗談だって。ちゃんと、夫婦だって言うよ」

「それならいいけど。でも、これからも、いっぱい楽しいこと待ってそうだよね」

「ああ。一緒に色々やってこうな」


 そんな事を語らいながら。

 ぼんやりとした頭で、俺たちは、しばしの時を過ごしたのだった。

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