第89話 俺たちは引っ越しをした(後編)

「よし、続きやるか」

「うん!」


 というわけで、荷解きの作業に取り掛かった俺たち。まずは、日々の作業に大事なPCデスクとPCをなんとかする必要がある。右側の部屋は寝室にするので、左側の部屋にデスクと梱包されたPCを運び込んで、作業をしていく。


「ミユの机と隣でいいか?」

「うん。一緒に作業することもあるし」


 PCデスクは隣り合わせ。デスクにPCとディスプレイを置いて、配線をする。


「ま、こんなもんか」

「細かいところは明日やればいいもんね」


 続いて、寝室だ。幸いにして、まだ寝室用の家具は他に無いので、二人用のマットレスとダブルベッドなどを敷くだけだ。


「寝室はかなり広く使えそうだよな」

「リュウ君、寝相悪いから、ちょうどいいかも」

「マジか!?」


 寝相悪かったのか。少しショック。


 その他、冷蔵庫や電子レンジ、炊飯器といった家電の配置、棚へ色々収納などを終えた頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。


「あ、夕ご飯どうしよう!」


 思い出した、というようにミユが声を出した。


「つっても、今から作るのしんどいだろ。コンビニ飯でどうだ?」

「うーん……たまにはいいか」


 というわけで、近所……元々俺たちが住んでいた甘久保三丁目あまくぼさんちょうめにある、大手コンビニチェーンの7-10セブンテンに出発。


「昨日まで家のすぐ前にあったのに、変な気分だ」


 目の前のコンビニを見た感想はそれだった。昨日までは、アパートを降りてすぐ横にあったから、そこに行くために数分歩いている事に少し違和感がある。


 甘久保三丁目の7-10は、筑派大学つくはだいがくの学生が多いからか、全国でも屈指の売上を誇るらしい。とはいえ、中身は普通のコンビニだ。だいぶ涼しくなってきたとはいえ、多少暑いので、俺はとろろそば、ミユはグリルチキンのパスタサラダというチョイスだ。


 ぱぱっと家に戻って、コンビニ飯を食べ始める俺たち。


「なあ、それって量少ない気がするんだが……」


 ミユが食べているグリルチキンのパスタサラダを見て、正直な感想を漏らす。俺の蕎麦の容器に比べても一回り小さくて、それで足りるんだろうかと思ってしまう。


「ダイエット。作ると、つい食べ過ぎちゃうから」


 とはミユの弁。


「気にし過ぎだと思うんだけどなあ」


 もう何度目になっただろうか。そんなやり取りを交わす。


「しっかし。とろろそば、意外に美味いな。コンビニ飯と思ってたけど」

「こっちのも結構いけるよ。はい」


 フォークでパスタを巻き取って、差し出してくる。こういうことを照れもせずできる仲になったんだなあと思いつつ、パクリと食べる。もぐもぐ。


「うん。結構いけるな。ドレッシングが絶妙っていうか」

「酸味がいい感じでアクセントになってるよね」

「そうそう。そういう感じ」


 料理を褒めるボキャブラリーが貧困なのはなんとかしたい。


「じゃあ、こっちのもどうだ」


 容器と箸ごと渡す。さすがに蕎麦を「あーん」するのは少し難しい。蕎麦をもぐもぐと食べる様を眺める。


「あ、美味しい。意外とコシもあるし」

「コンビニ蕎麦の麺なのにクオリティ高いよな」


 などと、最近のコンビニ飯は意外と美味しいことを実感した俺たち。食後に、ダイニングでミユが淹れてくれたお茶を飲みながら一服していると、引っ越したんだなあという実感が湧いてくる。


「そういえば、お風呂、入るよな」

「もちろん、二人でだよね?」

「ああ、そりゃな」


 二人でお風呂に入れるというのがここを選んだ理由の一つでもあった。自動でお湯を張る機能にお任せして、ダイニングに戻ってくる。


「あれ?早いね」

「いや、自動でお湯張ってくれるみたいだから、ボタンだけ押してきた」

「文明の利器だね」

「その言葉、古いぞ」

「それ、傷つくんだけど」


 どうでもいい事を話しながら、お湯が張られるのを待つこと15分。「お湯が張られました。スイッチを押して~」などと、音声でアナウンスが流れるのにまたびっくりして。それから、ようやくお風呂に入ることに。


「浴室がほんとにひろーい」

「前だと、一人で身体洗って浴槽浸かってが限界だったしな」


 今のここは、二人が向かい合わせになっても大丈夫な浴槽に、二人が座れる浴室スペースがある。


「~~~~♪」


 シャワーを浴びて身体を洗っているミユを待ちながら、なんとなく観察する。


(やっぱり、引き締まってて、綺麗だよな)


 ミユの肢体を見ると、無駄な贅肉がついていなくて、それでいて、胸はきちんと出ている。身体にはほとんどシミもなくて、ほんとに綺麗だ。


「それって、やっぱり結構気を遣ってるのか?」

「え?」

「いや、その、身体が綺麗だなと思ったから、手入れに気を遣ってるのかなって」

「そこまでじゃないよ。シャンプーやリンスはこだわってるけど、それくらいかな」

「そんなもんか」

「あとは、きちんと運動してるくらいかな」

「そこは見習いたいところだな」


 シャワーを終えたミユが湯船に浸かっているのを横目に、今度は俺がシャワーを浴びる。


(これからは二人で浴槽使うんだから、身体は念入りに洗わないと)


 と思いつつ、いつもよりきっちり身体を洗って、シャンプーできっちり髪を洗ったのだった。


 そして。


「あー、極楽、極楽」


 引っ越し作業で疲れた身体がほぐれていく。


「リュウ君、おじいちゃんみたいだよ」


 向かい合っているミユが可笑しそうに笑う。


「まあ、どうせ、体力ないし」


 ちょっと不貞腐れてみる。


「拗ねない拗ねない。じゃ、ジョギング再開しない?」

「涼しくなってきたし、ありかもな」


 大学1年生にしてこの体力の無さは少し危機感を抱いた方がいい気がしてきた。


「指、綺麗だよね」


 ふと、ミユが漏らす。


「指?そうかな。普通にしてるだけだぞ」


 自分で指をしげしげと眺めてみるが、特に何の変哲もないように思う。


「やっぱり綺麗だって。普段、キーボード使ってるからなのかな」


 指をじーっと見ながら、なんだか感動していらっしゃる様子。


「それ言ったら、お前の指も綺麗だと思うけど」


 確かに、俺も指は比較的綺麗な方かもしれないが、爪の切り方とかは色々適当だ。ミユは爪のお手入れもきちんとしているし、それに、指から毛が生えていない分、俺のよりもやっぱり綺麗に思える。


「お手入れはちゃんとしてるつもりだけど、普通だと思うんだけど……」


 ミユはミユでいまいちピンと来ていないらしい。


「ミユは、やっぱ、ダイエット要らないんじゃないか?」

「何?突然」

「別に贅肉もないし。むしろ、夕食も足りてないんじゃ?」

「リュウ君のエッチ」


 唐突に罵倒された。


「いや、一緒にお風呂入ってるんだから、それくらい、いいだろ?」

「冗談だってば。でも、この辺りとか、ちょっとつまめるでしょ?」


 脇腹を手の指でつまんで見せてくる。


「ほんのちょっとだろ。むしろ、無かったらガリガリ過ぎだって」

「そうかなあ」

「今くらいの方が綺麗だって。ほんと」

「むー。ちょっと考えてみる」


 ここまで言ってもまだ納得が行かないらしい。ほんと、逆にこれ以上痩せたら不健康だと思う。


「そういえば、これだけ広いとお風呂場でもエッチなことできそうだよな」


 いや、別にそういうプレイが好きなわけじゃないが、なんとなく思ったのだった。


「リュウ君のエッチ」


 胸を隠す仕草をするミユ。頬は……お風呂のせいかどうかわからないが、少し赤い気がする。


「別に今するわけじゃないって」

「その内するつもりなんでしょ?」

「いや、するかもだけど」

「否定しないんだ?」

「今更、否定する仲でもないだろ?」


 そのうち、お風呂場で襲いたくなることがあるかもしれない、などと思う。


「ちょっと前のリュウ君はそんなことさらっと言えなかったのに」


 じとっと睨みつけてくる。


「そりゃまあ、俺も成長したからな」

「そんな所は成長しなくていいんだけど」


 その後、ゆっくりと湯船に浸かって、思う存分新居のお風呂を満喫したのだった。


 お風呂の後は寝る時間。ダブルベッドに二人ごろんとなりながら、ミユと俺はそれぞれ電子書籍を読む。ネット回線はまだ来ていないが、ポータブルWi-Fiのおかげで、とりあえずはタブレットもそのまま使える。


「そろそろ、寝ようぜ」


 タブレットを閉じて、ミユに言う。


「わかったよ」


 ミユが返す。消灯して、ミユの身体を抱き寄せる。


「なんか、暖かいな」


 今日はいつもより、ミユの身体を暖かく感じる気がする。


「お風呂ゆっくり入ったせいかも」


 少し照れたようにミユが返す。暗がりなので、表情は見えない。


「そうなのかもな。なんか、体温が高いっていうか」


 抱きしめてて、なんだかほっとする感じだ。


「……ここ、いいところだね」


 俺の方を見つめながら、ぽつりとつぶやく。


「だな。静かだし、広いし。こうしてられるし」


 言いながら、強く抱き締める。


「ちょっと強いんだけど……」


 少し小さな声で抗議される。


「あ、すまん。強すぎたか」


 慌てて、手を離す。


「別にいいよ。ギュッとされるのも好きだし」


 今度は、ミユの方から抱きしめられる。と思ったら、ちゅ、っと口付けられる。


「なんか、今日はやけに甘えて来てないか?」


 身体の抱きしめ方とか、キスの仕方からそう感じる。


「そういう気分になることもあるの」


 言いながら、身体のあちこちをぺたぺたと触られる。


「ちょ、くすぐったいって」


 触られるのは嫌じゃないが、さわさわされると、気持ちいいよりくすぐったい。


「じゃ、もうちょっと控えめにするね♪」


 なんて、弾んだ声。


「いいから、そろそろ寝ようぜ?」


 こうやってじゃれ合ってるのもいいけど、眠くなってきた。


「うん。じゃ、手、繋いでて?」


 乞われるまま、手を布団の中で握りしめる。


「こうか?」


「うん。ありがと」


「じゃ、おやすみ」


「おやすみ」


 そう言い合って、俺たちは眠りについたのだった。

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