第82話 先輩が深夜にラーメン屋に行こうと誘ってきた件

【これから、ラーメン屋に行くが、一緒にどうだ?】


 夕食を終えて数時間して、もうすぐ日が変わろうという時間。唐突に、しゅんさんからメッセージが来た。


 ラーメン屋か……ちょっと小腹が空いてきたし、いいかもしれない。


「……というわけで、どうだ?」


 隣で電子書籍を読んでいるミユに聞いてみる。今、こいつが読んでいるのは『Linuxシステムプログラミング入門』という本で、バイト関係の勉強のために買ったものだった。山崎やまざきさんは必要経費ということで、申請してOKと言っていた。


「私もちょっとお腹すいてたし、ちょうどいいかも」


 というわけで、俊さんに車で迎えに来てもらえることになった。


 車が、真っ暗な夜道を走る。つくなみはちょっと道を外れると周りが真っ暗で、あらためて田舎だなと実感する。こういう夜のドライブに、いつかミユを連れて行きたいな。


「で、どこに行くんですか?」


 助手席から俊さんに聞いてみる。


山水さんすい、といってわかるか?」

「ちょっとわからないです」

「車持ってないとわからないか。車で30分くらいのところにあるんだが、背脂チャッチャ系で結構美味いんだ」

「背脂チャッチャ系?」


 初めて聞いた言葉だった。最近のラーメンはかなり細かく分かれているので、聞いたことがない用語も多い。


「豚の背脂を、網で「チャッチャッ」と振りかけるんだって」


 後ろからミユの声。


「そうそう。ついでに言うと、山水は醤油豚骨しょうゆとんこつだ」


 醤油豚骨か。聞いたことはあるし食べたこともあるけど、普通の豚骨とどう違うのだろう、と調べてみると、豚骨ベースのスープに醤油ダレを使ったものらしい。


「なんか、お腹が空いてきましたよ」


 山水ラーメンのページを見ていると、とても美味しそうだ。


「じゃあ、ちょうど良いタイミングだったな」


 どこか上機嫌な俊さん。


「何かいいことでもあったんですか?」

「いや、明日締め切りの論文をさっきようやく提出できたんだ」

「それは、お疲れ様です。査読……でしたっけ?通るといいですね」


 まだ大学1年生の俺たちだが、論文というのは査読を通って、初めて世の中に出るということはわかって来ている。博士後期課程の俊さんの主な仕事は、論文を書くことらしい。


「トップカンファレンスだからなあ。正直、運も絡むな」


 達観したように言う俊さん。


「トップカンファレンス……というのは?」

「国際会議……国際学会と言い換えた方がわかりやすいか。その中でも、特にレベルの高いのをトップカンファレンスと言ってな。論文を通すのは難しいが、そこに通るのは大きな実績にもなる」

「難しいというのが、ピンとこないんですが」


 論文がきちんとした形であることを審査するのはわかるけど、それ以上に何かあるんだろうか。


「簡単な話だ。トップカンファレンスと言っても、会期は数日間。応募が100や200あれば、その会期中に発表できる論文は限られてくる、ということだ」

「抽選ということですか?」

「いや、さすがにそれはない。ただ、枠が限られている以上、より優れたと認められる論文が優先的に選ばれる」


 定員が決まっている試験で、合格者とそうでない人が決まるようなものか。


「厳しいんですね、色々と」

「まあ、俺の分野は実験がPCだけでできるだけ、まだマシだよ」

「逆にそうじゃない分野ってあるんですか?」

「HPC(ハイパフォーマンスコンピューティング)なんかはそうだな」

「スパコンとかがそうでしたっけ」

「厳密にはそれ以外もあるんだが、そんなイメージだ」

「なるほど」


 スパコンを使って計算をしようと思うと、自宅のPCでとは行かないだろう。


 そんな事を話しているうちに、目的地の『山水』に到着。バスなど来そうにない通り沿いにあって、とても徒歩では来られそうにない。


 入り口の券売機で、揃って特製ラーメンの券を購入。ちなみに、俊さんの奢りだ。カウンター席に3人並んで待つ。


「先輩、ちょっと聞きたかったんですけど」

「ん?どうした」


 ミユが質問する。少し目が輝いている気がする。


みやこちゃんとは最近どうですか?」

「都から聞いてないのか」


 すっかり呼び捨てになっている。


「都ちゃんは……なんだか幸せそうですけど、先輩はどうですか?」

「確かに、よく、惚気話送ってくるよな」


 最近、よく、俊さんとの惚気話を送ってくる都である。


「都はそんな事まで……まあいいか」


 そう言う俊さんは、普段と違う優しげな笑みだ。


「正直、助かってるよ。論文執筆の間とかは、割と孤独だからな」

「俊さんも寂しかったりするんですね」

「俺も人恋しくなることくらいあるさ」


 その言葉には、実感が籠もっている気がした。


「それで、それで?先輩から見て都ちゃんはどうですか?」

「勘弁してくれ……と言いたいが、正直、俺には勿体ないほどだよ。研究の邪魔をしないように気を遣ってくれるし、話も聞いてもらってるし、ほんと、色々尽くしてくれてる」


 俊さんの悩みを聞いたのは、以前の1回きりだったけど、今は都にそんなことを話しているのだろうか。


「やっぱり、都ちゃんと引き合わせて良かったです」

「そうだな。朝倉あさくらのおかげだな」


 なんて会話を交わしていると、ラーメンが到着。黄みがかったスープに、白い油が浮いていて、食欲をそそる。


 麺をすすって、スープを一口。


「美味しいです。もっとギトギトしてるかと思ったんですけど……」

「意外とあっさりしてるよね」

「山水はその辺りも売りだな。以前は秋葉原にも支店があったんだが……」

「潰れちゃったんですか?」

「どうもそうらしい。寂しい限りだ」


 しみじみと語る俊さん。それから、ささっとラーメンを食べ終えて、店を後にする俺たち。


「美味しかったです。ゴチになります」

「いつもありがとうございます」


 帰宅途中の車中で、揃ってお礼を言う。


「これくらい、なんともないさ」


 涼しい顔で答える俊さん。


「でも、やっぱ車あると行動範囲が違いますね」


 山水なんか、車なしだと来るのは難しいだろう。


「まあ、つくなみは車社会だからな」


 車、か。


「そういえば、免許いつ取ろうか」

「バイトの給料が出る頃には、夏休み過ぎちゃいそう」

「だよな。平日に教習所に通うかな」


 最初、合宿でというのを考えたのだけど、時期を逃している。


「俺としては、合宿がオススメだな」

「というと?」

「平日は大学の授業があるし、近くに教習所もない」

「言われてみればそうなんですが、次の長期休暇って先じゃないですか」


 次だと、合宿で連泊できそうなのは、冬だろうか。


「早く免許取りたいのなら、そっちでもアリだな」

「ちょっと悩ましいです。早くドライブデートとかしたいですし」

「もう。リュウ君……」

「お。珍しく惚気けるな」


 俊さんがニヤニヤとしている。


 こういう事を言うのは以前は気恥ずかしかったものだけど、素直に言えるようになったのは、婚約したのが大きいのだろうか。


「俺も成長しますから」


 そう言いながら、暗い窓の外を眺めたのだった。

 

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