第28話 幼馴染が心配性になった件について

 熱中症で入院してから1週間とちょっと。晴れて、血液検査の数値も正常になり、退屈な入院生活とおさらばしたわけだが、今、俺は別の問題を抱えている。


 ミユが来訪して朝ご飯を一緒に食べた後のことだった。授業に出ようとすると、


「帽子忘れてるよ。はい」


 と帽子を手渡してくる。


「いや、別に普通に授業行くだけだから」


 もう6月も終わりに近づいていて、うだるような暑さだが、講義を受けに行くだけで帽子というのも大げさだ。


「油断大敵。講義中に熱中症になったこともあるんだよ」

「あー、うん。わかった、わかった」


 本当に心配という顔なので、これでミユが安心できるなら、と諦めて帽子を受け取る。


 そして、講義中も。


「あー、暑い。ここ、エアコンついてないのかな」


 たまたま、今の部屋にはエアコンが付いていないので、最近の湿度の高さもあいまって余計感じる。すると、


「はい。水分補給は大事だよ」


 水筒から、何やら液体が注がれる。


「ああ。サンキュ」


 手渡された液体をぐっと飲み干す。ん?なんだこれ。スポーツドリンクのようにも見えるけど、そんなに甘くない気がするし、少し塩っ辛い気もする。


「なあ、これって何だ?」


 隣で講義を受けているミユに聞いてみる。


「スポーツドリンクを薄めて、ちょっと塩を足してみたんだ。しょっぱ過ぎた?」

「いや、そこまでじゃないけど、なんでそんなに」

「スポーツドリンクは濃すぎるんだって。あと、塩分が足らないから、追加してみたんだよ」

「なんで塩分がそんな要るんだ?」

「熱中症で一番大敵なのは、塩分不足なんだよ」

「塩分くらいご飯にいくらでもあるだろ」


 そう反論する。たとえば、学食を想像してみる。牛丼1つでも頼めば、塩気が十分含まれた、煮込まれた牛肉もあるだろうし、和食系を頼めば、これまた塩分がありそうな味噌汁が付いてくるだろう。


「それでもだよ。ご飯だと吸収が遅いからね。飲み物だったら、素早く吸収されるから」


 そんな持論を力説するミユは真剣そうだ。


(まあ、普通に飲めるし、いいか)


 そう思った俺だったが、その後もミユの心配性は続く。


 少し暑さで気だるそうな様子を見せたり、「暑い……」とでも言おうものなら、どこからか持ってきた冷えピタを渡されたり、特性の水分補給ドリンクを渡されたり。


 心配してくれるのは嬉しいが、少し過敏過ぎる。意を決した俺は、学生ラウンジで少しミユと話し合うことにした。


「なあ、今日のおまえ、ちょっと変だぞ」

「別に普通だと思うけど?」

「いやさ、ちょっと暑いからって帽子だの水分補給だの冷えピタだの、いくらなんでもやりすぎだろ」


 俺が熱中症で入院したからといってもここまでするだろうか。


「そんなことないよ。熱中症は、ほんとに怖いんだから」


 怖いくらい真剣な顔でそう訴えてくる。いや、確かに熱中症は怖いんだが。


「いやさ、ミユも前はここまで対策してなかっただろ。ていうか、ミユ自身はいいのか?」


 もちろん、俺が熱中症になったことを知った、ということもあるだろう。にしても、少々過敏なように見える。


「熱中症で、リュウ君……だもん」


 少し小さい声。


「ええと、俺が、何だって?」

「リュウ君、熱中症で死にそうになったじゃない!また、熱中症になったらどうしよう、って心配にもなるよ」


 声を荒げて叫ぶミユ。ミユがなんでそれを知ってるんだ?


「いや、熱中症って言っても、軽いので済んだわけだしさ」

「熱中症で1週間も入院するって、結構重症なんだよ」

「調べたのか?」


 ちゃんと調べたことはないけど、そういう情報も検索すれば出てくるかもしれない。

 

「うん。それに、お医者さんも、リュウ君はもうちょっと遅れてたら危なかったって」


 まさか、担当の医師が喋っていたとは。守秘義務とか大丈夫なのか、と言いたくなったが、緊急連絡先に指定してたわけだから、患者の家族と同じようなものと考えていたのだろうか。


「いや、すまん。心配させたくなかったから、ちょっと誤魔化したんだが」


 こんなことになるくらいなら、ちゃんと言っておけばよかったかもしれない。


「リュウ君が心配させたく、なかったのは、分かるよ。でも、ちゃんと、言って、欲しかったな……」


 途中から、途切れ途切れの涙声。瞳からも、ぽろぽろと涙がこぼれてきている。それを見て、俺がどれだけ彼女に心配をかけていたかようやくはっきり自覚した。


「そっか。心配かけちゃって、ごめんな」


 そう言って、彼女の身体を抱きしめて、髪を優しく撫でる。


「まあ、ミユの言うとおりで、正直、割とヤバい状態だったらしい」

「やっぱり、そうだよね」

「でも、退院したわけだし、普通にしてて大丈夫だって」

「でも、また熱中症になって、リュウ君が死にそうになったら……」

「大丈夫だって。信用できないか?」

「だって、リュウ君、また、今回みたいに無理して隠そうとしそうだもん」


 今回、軽くみえるように装ったのが逆効果だったらしい。


「わかった。約束、しようぜ」


 そう言って、ふと、子どもの頃を思い出した。思えば、小さい頃は、ささいな事でもよく約束をしたものだった。特に、仲直りするときだったか。育つにつれて、そんなこともしなくなっていったけど。


「約束?」

「約束。昔、よくやっただろ。こう、さ」

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます、だよね。覚えてる」


 ようやく、ミユが少し笑ってくれて、安心する。


「子ども臭いかもだけど。無理しないって約束するよ。どうだ?」


 ミユの様子を伺う。すると、彼女はふっと笑って


「ちょっと私も心配し過ぎだったね。約束、しなくても大丈夫だよ」


 強がりではなく、落ち着いた表情でそう言った。


「本当に大丈夫か?」

「うん。そこまで言ってくれたから、ちょっと冷静になっちゃった。私、なんでここまで心配してるんだろって」


 それに、と。


「これくらいのことも、約束が無いと信じられないんだったら、ダメだって思うから」

「そっか。なら良かった。俺も、これからはちゃんと言うから」


 というわけで、ミユの心配性はようやく落ち着いたのだった。


 しかし、心配させまいと言ったことが逆効果になるとは……。そして、ここまでミユが心配性になるとは。幼い頃から一緒に育った俺たちだが、まだまだわからないことだらけだ。

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