第25話 幼馴染と海に行く件について(中編)

 そうして始まった自転車旅行。大学構内から北に長く伸びる道路をスイスイと進む。ジョギングをしている人たちを見かけるけど、静かだ。


「それにしても、この大学って大きいですよね」

「キャンパス単体では国内上位3位に入るくらいだからな」


 と俊さん。


「そんなにですか…」


 大きいとは思っていたけど、それほどとは。

 

 大学構内を抜けると、並木が立ち並ぶ広い街路。つくなみは、研究都市とはいうものの、田舎というか自然が豊かだ。


「それにしても、暑いね。もう夏!って感じ」


 暑いといいつつ、元気そうな声で言うミユ。


「いやほんと、なんでこんな暑いんだか」

「大丈夫?」

「30分も経ってないぞ。心配し過ぎ」


 日よけの帽子をかぶってこなかった俺のことを、しきりに心配してくる。体力はともかく、少し心配し過ぎではないだろうか。


 さらに道を進むと、平らだった道路の傾斜がだんだん急になってくる。力を入れて漕がないと。


「すー、はー。すー、はー」

「すー、はー」

「えっほ。よいさ」


 俺たちが力をこめて漕いで上っている坂道を、俊さんは謎の掛け声をかけながら平然と登っていく。最初のが俺で次のがミユ、最後のが俊さんだ。この人が運動をしているところみたことがないのだけど、どういう体力なんだ。


 しばらくそうしていると、今度は下り坂だ。


「うわ。急に下りだ」

「ひゃー。涼しー!」

「たまらんねー。これがいいんだよ。これが」


 三者三様に降りていく。下り道は漕ぐ力は要らないが、スピードが出過ぎそうで少し怖い。

 

 下りきったと思ったら、再びすぐに上り坂が見えてくる。


「はあ。はあ。はあ。はあ」

「はあ。はあ」

「うんうん。いい景色」


 二連続の登り坂をものともせず、俊さんは進んでいく。いやほんと、どれだけ体力があるんだ、この人。


「いったん休憩にしよう」


 坂道を上りきったところで、俊さんがそういった。


「さすがにきつかったです」

「私も、ちょっときつかったかも」

「最初はそんなもんさ」


 そういえば、俊さん、凄く慣れているな。


「大洗には何度も?」

「ほぼ毎年だな。学部に入ってからだから、合計で7回目か」


 平然とそんなことを言ってのける俊さん。


「そんなに……」


 毎年これだけの道のりを行き来するバイタリティには絶句だ。


 汗を拭きながら、リュックからペットボトルの水を取り出して、ごくごくと飲む。


「長丁場だから、少しずつな」

「はい。もちろん」

「リュウ君、俊さん。飴」

「お。助かる」

「朝倉は気が利くな」

 

 ミユがパイン飴を俺たちに配る。こうやって舐めていると、少し元気になった気がする。


「これで15kmってところだな」


 手元のスマホを確認して、俊さんがそう言った。


「これをあと二回ですか。先は長いですね」

「この暑さだ。きついようならすぐ言ってくれ」

「はい」


 上り坂の二連続にはちょっと疲れたが、水と飴で回復したし、まだまだいけそうだ。


 坂道を下ると、平らな道が続く。周りは畑か林、といった有様だ。信号もほとんどない。

 

「涼しいねー」

「ああ。そうだな」

「うむ。木陰になっているからな」


 しばらくは道が木陰になっているおかげで、少し涼しい。

 

「別世界って感じです。信号もないですし」

「周りも木ばっかりだよね。わくわくするかも」

「そうだろう、そうだろう」


 俊さんはちょっと嬉しそうだ。連れてきた手前、やはり楽しんで欲しいのだろう。


 木陰の道を進んでいくと、どんどん周りが暗くなってくる。道路の両脇は、木、木、木。林の中に道路があるみたいだ。


「ひゃ、真っ暗だよ」

「足元が見えづらい」

「足元に気を付けてな」


 先頭の俊さんが道を照らしながら言う。林の中にある細い道は、さっきと違った意味で別世界だ。


「幻想的だね。お話の中の世界に居るみたい」


 ミユが感嘆の声を上げる。


 こうやってこいつが楽しんてくれてるなら、来たかいがあったかもしれない。


 林の道を抜けると、民家がぽつぽつと見えてくる。大抵は、古めかしい平屋だ。


「よし、もう一度休憩しよう」


 近くに自転車を停める。だいぶ走った気がするが、道が平らな分、さっきより楽だ。


「のんびりできそうな家だ」


 素直な感想をもらす。


「でも、不便じゃないかな」


 ミユの現実的な感想。


「まあ、車があればなんとかなるもんだ」


 車か。そういえば、前に免許の話をしたことを思い出した。


「免許って取っといた方がいいんですかね?」

「私も。ちょっと気になってました」

「そうだな……」


 ちょっと考え込む俊さん。


「学生のうちに取っておくのが無難だな。車に乗らなくても身分証明書になる」

「「なるほど」」


 揃って頷く。大学生になると身分証明書を提示する機会が時々訪れるが、学生証がなくてもいいというのは気楽かもしれない。


「社会人になると時間がなくなるしな。同期が言ってたことだが」

「そういえば、俊さんの同期は皆?」

「修士まではともかく、博士まで行くとなるとな」


 修士や博士についてはまだきちんと考えたことがないけど、そこには壁があるのだろう。


「とにかく。免許は取っておいて損はない。お前たちもこの夏に取ってみたらどうだ?」

「ミユと一緒に取りに行こうかってこないだ話してたところですよ」


 俊さんも同じ車に居た気がするけど。


「そうか。カップルで免許合宿というのもいいかもしれないな」


 カップルで、と言われると少し気恥ずかしくなるな。ミユの様子を見ると、同じように少し居心地が悪そうだった。


「話し込んでしまったが、そろそろ出発するぞ」

「あとどれくらいなんでしょうか?」


 結構な距離を走ったと思うのだけど。


「あと、10kmってところだな。もうすぐだ」


 もう残り1/4を切ったのか。なら、頑張れそうだ。


 そうして、再び、僕たちは進み始める。

 

 大洗海岸が近づくにつれて、少しずつ、街らしい景色が見えてくる。


「あと、5kmか。もうすぐだな」


 俊さんがそう言う。さらに進むと、海らしい香りが漂ってくる。


「海が近づいて来たのかな。潮の匂いがするね」

「そうだな。前に行ったのはいつだったか」


 高校の時は、夏に海に行った覚えがないし、中学ぐらいか?


「俺は毎年のことだな」


 進行方向をみると、遠くに海が見えていた。


 程なくして大洗に到着。海岸の手前で自転車を停めた俺たちは、揃って一言。


「「「海だー!」」」


 お約束の言葉を叫ぶのだった。


「でも、誰も居ないね……」

「シーズンオフだからなあ」

「だからこその贅沢というものだ」


 誰も居ない海岸を独占できるのは、贅沢といえるかもしれない。晴れているので、海もとてもよく見える。


「……」

「……」

「……」


 3人でぼーっとして、晴れた6月の海辺を眺めていたのだった。シーズンオフに3人で何をしてるんだろうな。


「あ、そうそう。お昼にしないと」

「もうそんな時間か」

「そうだな。昼飯にするか」


 俊さんのレジャーシートを敷いて、3人で座る。かなり大きめのもので、3人でも余裕がある。


「はい。リュウ君」

「おう。助かる」


 ミユから弁当箱を受け取って、蓋を開ける(ちなみに、弁当箱は女の子らしい、デザインに凝った代物だった)。おにぎりが3個に、玉子焼き、唐揚げ、レタスのサラダに、プチトマト、煮物、とバランスよく並べられている。予想していたより随分しっかりした代物だった。

 

「おにぎりとおかずくらいって言ってたのに……」

「お弁当作ってあげるの久しぶりだから。ちょっと張り切っちゃった」


 ミユの奴は少しドヤ顔だ。これだけのものを作るのは、随分手間がかかっただろうな、とか、朝早く起きてたんだろうな、とか、こういうところが可愛いんだよな、とか色々な思いが駆け巡る。ただ、出てきたのはいつものような言葉で。


「ミユはほんと偉いなー。よしよし」


 帽子を取ってミユの頭を撫でる。日差しに当てられたせいか、少し髪も熱い気がする。


「〜〜♪」


 ミユの奴はといえば、嬉しそうに目を細めている。


「君ら、ほんとに仲がいいなあ」


 そういえば、この人がいるのをすっかり忘れていた。


「い、いや、これはですね……」


 しどろもどろで弁解しようとするも。


「別に俺はどうこう言わないから。好きなだけイチャイチャするといい」


 俊さんは生暖かい目線でそんなことを言うのだった。とはいえ、イチャイチャすればいいと言われてできるはずもなく、俺は押し黙ってしまったのだった。とりあえず、弁当を食べよう、弁当を。


 まずは玉子焼きを一口。


「うん。美味い!」


 甘さ控えめなところが、俺の好みをよくわかっていて、さすがミユ。


「よかったー。ほら、どんどん食べてね」


 そう言って、ミユの奴は唐揚げを箸でつまんで差し出してくるが、これは、あーん、という奴では。


「いやほら、俊さんが見てるし」

「俊さんなら、飲み物買いに行くってあっち行ったよ」


 遠くに見える俊さん。飲み物なんて十分持ってきたはずなのに、気を利かしてくれたんだろうか。というわけで、大人しくミユの箸から唐揚げを受け取って咀嚼する。あーんは気恥ずかしいが、こっちも美味い。ただの唐揚げといえば唐揚げだが、ちゃんと味が奥まで染みている。


「美味しい?」

「ああ、美味いよ」

「良かったー」


 なんだか定番のやりとりをこなす俺たち。いや、別に味には全然不安は無かったんだが。


「これって、どうやって作ったんだ?」

「唐揚げのこと?普通に作っただけだよ」

「妙にジューシーというか、味が染みているというか」

「下味をつけるところにコツがあるんだよ。一度わかれば誰でも出来るよ」


 ミユの奴はこともなさげに言ってのけるが、そういうものだろうか。唐揚げのレシピを渡されて、これだけ美味しい唐揚げを作れる気がしない。


「私も食べようかな」


 そう言って、自分の分の弁当箱を取り出す。


「ちょっと少ないな。いや、俺のが多いのか?」


 俺のより、おにぎりが少ないし、おかずも少し少なめだ。


「リュウ君の方が私より食べると思って」

「そっか。ありがとな。なんつーか、ミユはいいお嫁さんになりそうだな」


 ここのところ、ミユに振り回されっぱなしで忘れていたが、こういう細かいところに気がつくのもこいつの良いところだ。


「リュウ君、それってプロポーズ?」


 途端に小悪魔ぽい笑みを浮かべるミユ。


「あ、いや、そこまでじゃなくてだな。単に言葉のアヤと言うか」

「ふーん。リュウ君はその程度の覚悟だったんだ」

「いや、そういうわけでもなくて……」

「冗談だってば、冗談」


 てへへ、と反省の色もなさげなミユ。乗ってしまった俺も俺だが、嵌めたミユが可愛くて小憎たらしい。


「はー。なんか、最近、ミユに振り回されてばかりだな、俺」

「それはどうかと思うな。高校の頃、どれだけ私が待ったと思ってるの?」

「う。それは悪かったが」


 それを言われると弱い。そんな感じで、結局、30分ばかりイチャイチャ(?)してしまったのだった。


 そして、30分後。


「お。もう食べ終わったのか?」


 いつの間にか戻ってきていた俊さんが、素知らぬ顔で言う。


「ええ、はい。もう」

「すまんな。俺も、さっさと食べるとするか」


 そう言って、買ってきていたコンビニ弁当を食べ始める俊さん。


(さっきの、ひょっとして、気を利かせてくれました?)

(まあ、高遠が思ってる通りだ。で、イチャイチャできたか?)

(ノーコメントで)


 気を利かせてくれるのはありがたいが、ほんとによくわからない人だ。そんなことを思っていると、ふと。


「そういえば。前の先代部長の話なんですが、今は俊先輩、お好きな人は居ないんですか?」


 ミユがそんなことを言い出した。人の恋路に首を突っ込むとは、また珍しい。いや、以前のミユだったら珍しくもないか?


「見てわかるだろう。特に居ないな。この歳になると出会いもないしな」


 そう言って自嘲する。


「誰か相手が欲しいって思わないんですか?」

「ま、同期も皆就職したし、誰かお相手が居れば、と思うが」


 少し寂しそうにつぶやく俊さん。この人もなんだかんだで、そういう気持ちを持っているんだな。


「じゃあ、作りません?」

「は?」

「ど、どうしたんだ、朝倉」


 唐突なミユの言葉に、戸惑う俺と俊さん。何を言い出すんだ、こいつは。


「俊先輩、彼女欲しいんですよね?」

「ああ、まあな」

「ちょっと、昔の友達に連絡とってみます!ええと……」


 突然、何やら調べだしたミユに俺はびっくりだ。特に、あの事件の後、男子は当然として、同性の友達もだいぶ減って、人見知りの気が強くなったこいつにしては珍しい。

 

「いや、朝倉。気持ちはありがたいが、すぐというわけじゃなくて……」


 さしもの俊さんもちょっとうろたえ気味だ。


「先輩。7月4日の土曜日、空いてますか」

「あ、ああ。空いてるが」

「じゃあ、空けてといてもらえます?」

「それは構わないが。誰と会うんだ?」

「昔の友達です。みやこちゃんって言うんですけど」

「都か。しかし、どうして……」


 九条都くじょうみやこは、俺たちの中学時代の友達だ。その古風な名前が目を惹くが、京都の名家出身だ。高校こそ別になったものの、大学に進学した後も、時折連絡を取り合うことがある。


「都ちゃん、最近、誰かいい人居ないかなってぼやいてるんだ」

「そ、そうなのか。俺とはそういう話はしないが」

「女の子には女の子同士の話があるんだよ」

「で、それで俊さんのお相手にってか?わからなくもないが……」


 それにしても、急すぎやしないだろうか。


「ともかく!それで、どうですか?」

「まるで、お見合いみたいだな」


 苦笑する俊さん。俊さんにしてみれば、まさにそうだろう。それに、話に聞いた先代部長をまだ想っているのかもしれないし……などと考えていると、


「ま、ただ、話してみるくらいなら」


 とOKの返事。

 

「じゃあ、都ちゃんに連絡しときますね」


 それと、と続けて。


「服装はちゃんとしてきてくださいね!清潔な感じで」


 容赦のない一言。まあ、いくら俊さんがいい人だと言っても、普段のようなよれよれTシャツにボロボロのデニムだと確かに、都にはつらかろうとは思うが、もう少しオブラートに包んだ方がいいのではないか。


「わ、わかった。それはちゃんとする」


 俊さんも自覚はあるらしく、珍しく真面目な表情で頷いた。って、俺たちは海まで来て何の話をしてるんだろう?


「ミユ、話が脱線してるぞ。というか、そろそろ時間」


 時計を見ると、昼ご飯を食べてから2時間余り。帰りにかかる時間を考えると、そろそろ出ないと。



 というわけで、大洗海岸を見るという目的を果たした俺達は、帰路につくことにしたのだったが……


「なんか、やけに暑くないか?」

「それは暑いと思うけど……」

「日陰とはいえ、長時間同じ場所にいたからな……」


 ミユや先輩と俺の温度差が少し気になる。


※後編に続く

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