第12話
「どうして私にその町のお話をしてくださったのですか」
アイとヒラキはひたすらに下流を目指して歩き続けていた。夜もできる限り月明かりを頼りに歩いて、一刻も早く別の集落を見つけたかった。
「その町はニジェイロという名でございましたが、アイさんのような遠くを見通す視野をお持ちの方を必要としてございました」
「どういうことですか」
アイの顔にはさすがに疲労が浮かんでいた。
「今日はこの辺りでお休みになりますか」
「いいえ、行ける所まで行きます」と気合を入れ直す。「今はヒラキさんの翼が羨ましいです」
ヒラキは、人間の脚はつくづく不便だと思った。まず、二本しかない。歩こうとして足を前に出せば、自ずと一本足になってしまう。これでは安定しない。まして荷物を持っていればなおさらだ。手は確かに便利だろうが、脚が四本あってもいいと思う。とは言え、ヒラキの脚も実は二本だ。ヒラキは人間に少しだけ親近感を覚えた。
「私は鳥でございます。翼をもつ代わりに、腕がございません。空を飛べる代わりに、重い物を持ち上げることはかないません」
「そうですね」
アイはふぅと息を吐いて倒木を乗り越えた。ヒラキは羽を二往復させて飛び越えた。
「話の続きを申し上げますと、私はその後、ユージール王国のアーグ宰相と行動を共にしました」
「ヨーゼさんはどうしたのですか」
「彼は私の唯一の友人でございますから、一時の暇を申し上げてから町を離れました」
「そう。寂しがったでしょうね」
「たいへん泣いていらっしゃいました。人間は涙を沢山流すことがおできになるのでございます。私は泣いたことがございませんから驚きました。鳥にはそのような機能がないものと存じます」
「ヒラキさんは寂しくなかったのですか」
アイはさり気なく聞いただけだったが、この質問はヒラキにとっては意外だった。ヒラキは今まで、そう聞かれたことがなかったような気がした。「血も涙も無いのか」と聞かれたことはあるが、その時は「血はございますが涙を流したことはございません。しかし流れない程度に涙があるとも考えられますので、涙に関しましては判断いたしかねます」と答えた。その後なぜか「じゃあ血を流させてやる」という展開になったと記憶している。
「寂しいとはどのような気持ちでございましょう。私には分かりかねます」
ヒラキがそう答えると、アイは足を止めて、「またヨーゼさんに会いたいと思いますか」と真剣な顔で聞いた。
「そう存じます」
「では、ヒラキさんも寂しいと思っているのですよ」
アイはいつものように微笑んだが、ヒラキはすっきりしない気持ちだった。寂しくなくてもその人に会いたいと思うことはあり得るのではないかと思った。
「歩くのはここまでにいたしましょう。話は戻りますが、私がニジェイロのお話を差し上げた理由を申し上げます」
アイの身体はもう限界だった。木の根元に崩れるように倒れ込む。
「私はアーグ宰相に、織物をそれほど大量に買う理由をお尋ねしました」
「ヒラキ殿にはお教えいたそう」と笑む宰相は、常に自信に満ち溢れている。四頭立ての屋根付き馬車がゆっくり進んでいく。
「単純な話よ。あと五十年も経てば、虹織は消える。最盛期の今が買い時というだけのこと」
「なぜそう思われるのでございますか」
馬車の後ろには牛車が荷を引いている。
「虹織の作り手は老人ばかり」と、宰相は声を上げて笑った。「次のなり手はもうおらぬ」
「町を挙げて育てていらっしゃるようにお見受け致しましたが、それでも次のなり手がいらっしゃらないのはなぜでございますか」
そう聞きながら、ヒラキはヨーゼの言葉を思い出した。「マックスは色んな職人たちが取り合ったらしいぜ。職人は年寄りが多いから、みんな優秀な跡取りが欲しいんだよ」
育てているのになり手がいないということは、虹織が難しすぎて脱落する人が多すぎるか、そもそもの子どもの数が少ないかの二択だ。そして宰相の思う正解は、後者だった。
「男も女も職人になれる。ふん、笑わせてくれる」
吐き捨てるように言う宰相の目が鋭く光った。
「ニジェイロの女は子を産まぬ。かの町は年寄りばかりよ。百年後には小さな小さな集落になっておるかもしれんな」
宰相はそう言って、今度はグフフと笑った。
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