第8話

 翌朝、村はいつも通りの静かな朝を迎えた。木の上で一夜を明かしたヒラキは、サク婆さんの家に飛んだ。サク婆さんは、娘のハナと並んで縁側に腰かけていた。

 ヒラキは二人の前の庭に降り立つと、「掟の改正、おめでとうございます」と祝辞を述べた。しかし、ハナは思ったほど嬉しそうには見えなかった。「嬉しくないのでございますか」

「母が助かったのはそりゃあ嬉しいわ。でも……」

 ハナは少し言い淀むと、「代わりに、アイが……」と消え入るように言った。掟の改正は、最後まで信念を曲げなかったアイだけが追放されることで決着していた。

「彼女が村を追われるのは、母上の代わりというわけではございません」

「……」

 サク婆さんの細い腕が、優しくハナの肩を抱いた。「この子にとって、あの子は特別でね」

 家こそ違えど、ハナとアイは同じ頃に生まれ、幼い頃から一緒に過ごすことが多かったのだそうだ。「少しだけ大きかったアイは、ハナにとってお姉さんだった」のだという。

 ハナは、「分かるでしょう? アイは昔からあんな感じで、口でも手でも誰にも負けなかった。いつも泣き虫の私を守ってくれてた」と鼻をすすった。

「最年少でブル家の族長になって、私はいつもその背中を追いかけてた。それなのに……」

「彼女が考えを改めて新しい村に残ってくれていたらよかったとお思いですか」

「いいえ。そんなのアイじゃないわ。アイは、正しいと信じた道を貫く……強さがあるの」

 ヒラキは慎重で臆病な鳥だ。だから「それではアイさんが追放されるに至ったのには喜ばしい面もございますね」とは言わなかったし、ましてや「それならアイさんを笑顔と拍手でお見送りすれば宜しいのに、自分だけ悲しむのは身勝手ではございませんか」とも言わなかった。

 その代わり、ヒラキは「私はこの村をお暇致します」と挨拶して飛び立った。


 村を出て川沿いに少し飛ぶと、ほどなくアイに追い着いた。両肩から袋を斜め掛けにしている。

「後ろから失礼致します」

 ヒラキは声をかけながらアイの周りを一周飛ぶと、静かに横に舞い降りた。アイは何も言わずににこりと微笑んだ。

「私の来訪を予期されていましたか」

「今度は、いいえ、です。とても驚きました」

「死ぬつもりは皆目ございませんね」

「どうしてそう思うの?」と言うアイは、楽しんでいるようにも見える。

「川沿いを進んでいらっしゃる。水が確保できる上、もし他の集落があるとしたら、やはり水の近くでございましょうから」

「今度もヒラキさんにはバレバレですね」

 二人は歩きながらおしゃべりに興じた。


 ヒラキは今回のシュウの反乱を振り返って、「掟破りを力で抑えるための三家鼎立は合理的と存じましたが、老若男女二百人より、武器を持つ十一人の男でございました。勉強になりました」と総括した。するとアイも、「抑止力が足りなかったのです」と応じた。

 それからアイは村を懐かしむでもなく、「彼らはこれから幸せを謳歌するでしょう」と他人事のように言った。そして、「『アイは間違っていた。シュウが掟を変えてくれて良かった』と信じたまま死んでいくのです」と続けた。ヒラキは相槌を打って聞きに徹する。

「しかし、村を外へ広げ、それがいつか別の村とぶつかった時、また争いが始まるのでしょう」

 アイはそう言って遠くを見つめた。ヒラキは、この人はあの小さな村でどれだけ遠くを見ていたのだろうと驚いた。驚いて、聞き役に回っていたことを忘れてしまった。

「自分たちが足るを知り力を抑制していても、他に外向きの集団が一つでもあれば、いつかは外から攻め込まれると存じます。その時に対抗できるだけの力を持っておくことが重要と考えるならば、誰よりも早くに外へ出て戦い、誰よりも早く強者になることも有効な手となり得ます。人間が欲望を持つ限り、争いは宿命でございますから」

 アイは「それもそうか」という顔で少し考えてから、「世界に限りはあるのでしょうか。この大地に人間が溢れてしまう日は来ないのでしょうか」と疑問を口にした。旅人であるヒラキなら、答えられると思ったのかもしれない。

 ヒラキは一言、「旅人になりなさい」と答えた。

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