第5話
しばらくして、シュウが突然笑いながら口を開いた。
「俺が見込んだ通りだ。お前とは意見が合う。実は、もう始まってるんだ。まぁ、この続きは飯を食いながら」
これまで無言を貫いてきた妻らしき人が、椀を二つ持ってきた。「粗末なものをお出しして申し訳ありません」と言って一つをヒラキの前に置くと、「シュウはずっと悩みながら、正しい道を探してきました。ヒラキさんの力強いお言葉は本当にありがたい」と何度も礼を言い、「是非ともお力添えをお願いします」と慇懃に下がっていった。
翌朝、シュウは野山を歩いていた。ヒラキはその肩の上で、「見せたいもの」が少し離れた屋外にあるという自分の推測が正しかったことに満足していた。
「ここだ。これだけ離れれば、偉そうなブル族の奴らも、ましてやリン族は誰も気付かねぇ」
山を二つほど越えた川沿いに、昨日と同じような景色の村がもう一つ広がっていた。シュウは得意気に続ける。
「ここにもう二十人いる。エド族は百二十人いるってことだ。ここの奴らは向こうではもう死んだことになってる。行き来はない」
守る価値のない決まりは守らないというのがヒラキの生き方だ。同じように、ここにも村の掟を守ろうとしない人間がいた。それでもシュウはまだ割り切れていないようだった。
「ただ、ここだけの話、怖いんだ。俺のせいで、長く続いてきた平和な暮らしが粉々になっちまうんじゃないかって」
ヒラキは「粉々になると存じます」と食い気味に答えた。「そうお思いならなぜお始めになったのですか。平和を犠牲にしてでも成し遂げたいというお気持ちがおありだったのではありませんか」
どうして人間はやると決めた後にもう一度迷うのだろう。
「リン族のハナに会ったって言ったな」
「えぇ、お会いしました」川沿いで泣いていた妊婦のハナ。
「俺にも同じようなことがあった」
一人の青年を、大人が三人がかりで羽交い絞めにしている。
初老の女性が「ごめんね。ごめんね……」と言いながら離れていく。
「離せ! この野郎! くそっ」
青年は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を振り乱して叫んでいたが、徐々に抵抗する力を失っていった。そして最後には地面にくずおれた。やがて日が落ち、星が瞬いても、青年はずっと虚空を見つめていた。
シュウが語った昔話だ。
「これが正しいことだと思うか? これが本当に村のためになると思うか? 俺はそれからこの村を造り始めた」
シュウの声に自信と決意が戻ったようだった。人間はやはり情緒が不安定だとヒラキは思った。シュウはハナについても、「自分の子を産むために自分の親を殺すなんて、そんな酷い話があってたまるか」と怒りを込めた。
「では私はこれで失礼致します」と言って、ヒラキはおもむろに片羽を広げる。
「おい、ちょっと待て。どこ行くんだ」とシュウが慌てる。
「見せたいものがあるということでございましたのでお供致しました。無事に拝見しましたので失礼致すまででございます」
ヒラキはなぜシュウが驚いているのか、理解できなかった。
「どこ行くんだ」
「他の族長様にもお会いしたく存じます」
個人的にはブル族のアイと話したかった。今のヒラキの興味は、掟を破ろうとする人々に対して、どのように掟を守らせているのだろう、ということに移っていたからだ。
「待て。今行かれちゃ困るんだ」
シュウの左手がヒラキの片脚をしっかり掴んだ。力づくでも行かせないという意思の表れだ。
「私を無理矢理お連れになってもあなたのお役には立ちません。逃げるためにありとあらゆる手段を取るだけでございます。もしこの村の存在が知れることを危惧されているのでしたら、あなたから聞いた話も含めまして一切他言致しませんことをお誓い申し上げます。その言葉さえ信用できないと仰るなら、そもそも私にご自身のお考えをお話になるべきではございませんでした。しかしあなたはお話になった。私にお考えをお話になった時の信頼を以て、お手を放して頂きたい」
ヒラキは大空へと舞い上がった。人間は情緒が不安定だから、時々予想もしない行動を起こすことがある。ヒラキは一つ学んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます