第2話
村を俯瞰してみると、一つの山の両側を流れてきた二本の細い川が、合流しているということが分かった。Yの字に流れる川を挟んで、三つの山が向かい合っている格好だ。一番大きな屋根は、川の合流地点のすぐ脇にあった。
ヒラキは目がいい。ヒラキは人間の目がどれほど見えているのか知らないが、少なくとも人間の百倍はいいと自分では思っている。それでも、未来を見通せないという点では人間と大して違わない。
川辺に一人の女性が座っているのが目にとまった。他の人間は畑で働いているようだったが、一人だけ単に座っているように見える。ヒラキは近付いてみることにした。
それは、ハナという身重な女性だった。もうかなりお腹が大きい。
「浮かない顔をしておられるようお見受け致しますが、差し支えなければその訳をお聞かせ願えませんか」
ヒラキは空気が読めるが、図々しい鳥だ。落ち込んでいる人というのはむやみに話しかけられることを嫌う。できることならそっとしておいてほしいものだ。それでも、相手が見知らぬ鳥だとなぜか話せてしまうことがあるということを、ヒラキは知っていた。
「この村にはね、色々あるのよ」
ハナは流れる川面を見つめていた。
「掟があるとお聞きしました。他にも何かあるのですか」
ヒラキは聞いたばかりの「足るを知る」という言葉を投げた。
「そう、足るを知る。でも、それだけではないの。いや、それだけなのかもしれないけれど」
「どういうことでございますか。仰っていることが矛盾しているように聞こえます」
「……矛盾しているのよ。いや、逆。ものすごく筋が通ってる」
「失礼を承知で申し上げるならばあなたのお話は筋が通ってございません」
ヒラキはそう言って首を傾げた。一方のハナはもう泣きそうな顔をしている。情緒が安定していないから発言も安定しないのだなと、ヒラキは一人で納得した。
それからヒラキは、ちょろちょろと流れる川の音を聞いた。ヒラキの耳は人間と同じで、聞きたい音は聞こえて、余計なことは聞こえない。
しばらくして、ハナは「この子の顔を、母に見せたかった。母にこの子を抱いてほしかった」と、絞り出すように言った。そして顔をうずめて泣いた。
ヒラキは次の言葉を少し迷った。「見せたかった」、「抱いてほしかった」ということは、きっとそれは叶わないのだろう。だとすると、ヒラキの推測はこうだ。最近母が死んだ。そうなると、「心中お察し申し上げます」と言いたいところだが、ヒラキは母を知らなかった。母を失った心中を察することはできない。「ご愁傷様でございます」は、何か言っているようで何も言っていない。
結局ヒラキは、「なぜ母上はあなたのお子をご覧になれないのですか」と聞いた。母が死んだというのはヒラキの推測でしかない。母は失明して腕を折ったのかもしれない、と思ったのだ。ヒラキは慎重な鳥だ。
「母はもうすぐ、もうすぐ……」
「お亡くなりになるのですか」
ハナは静かに頷いた。
「なぜお亡くなりになるのですか」
「掟よ」
ハナはまっすぐにヒラキを見た。そして、「母は、この子が生まれる前に、死ななければならない」と言った。
「それはどのような掟でございましょう」
ヒラキの頭にはすぐにいくつかの選択肢が思い浮かんだが、どれも筋が通っているとは思えなかった。そもそも掟など、筋が通っている必要も無いのだけれど。皆がそれを守るべき掟だと思い込んでさえいれば、それは掟として機能するのだから。
「この子が、百と一人目なの」
ハナは自分の腹を愛おしそうにさすった。子どもの方も、もう産まれる準備はできているという感じだった。「私たちリンの家の者は、百人を超えてはいけないのよ。それが掟。超える直前に、最も年長の人を、追い出すの」
「母上を亡くしたくなければ、他の者を一人お減らしになればよいではありませんか」
ヒラキはさらりとそう言った。
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