第23話 最後の糸口

 ツキン――ッ


 シャロンは頭に細長い針でさしぬかれたような鋭い痛みを堪えたものの、エルザに速攻見抜かれてしまう。王妃も心配そうに微かに眉を下げ、

「ちょうど試合も休憩に入るから、少し休んでいらっしゃい」

 と言った。そのテオドラとよく似た面差しを見つめ、シャロンは何かが浮かんだ気がするが、捕まえる前にフワッと霧散してしまう。

 もどかしさと、断続的に刺すような頭の痛みに根負けし、シャロンは素直に頷いた。

「ではお言葉に甘えて、失礼します」


 立ち眩みを起こさないようエルザの手を借りてゆっくりと立ち上がり、彼女と一番近くにいた近衛兵の一人を伴い試合会場を離れた。その近衛兵がエルザの夫ゼノンだったことに気づき、少しだけ気持ちが楽になる。


 木陰を選んでゆっくり進んでいくと、不意に名前を呼ばれた気がした。頭痛がひどくならないようゆっくり視線を巡らすと、少し離れたところにジェイクの姿が見える。現金なもので、それだけでシャロンは一気に気分がよくなった。

「ライクストン様」

 エルザたちの手前名字で彼を呼ぶと、エルザは一度頷いて視線をめぐらせる。そして

「姫様、あちらでどうぞ」

 と囁くと、ゼノンに目配せをして少し離れた。その気遣いにシャロンは感謝し、ジェイクを手招きしてエルザの指したベンチの設置されている木陰に入る。エルザとゼノンが見て見ぬふりをしてくれているだけで周りには誰もいない。すべてではないが、ほんの少しだけ二人きりの空間を作れる場所だった。

 ジェイクに、彼女が仲良しの侍女で近衛兵はその夫だと教えると、彼は一瞬眉をあげたあと、エルザに会釈した。自分を推してくれている侍女だと気づいたらしい。


「ジェイク、どうかしたの?」

 会えたのは嬉しいが、どうしてここにいるのか不思議に思い尋ねると、彼は心配そうに眉を寄せた。

「いや。君の具合が悪そうだったから驚いて追いかけてきたんだ。大丈夫かい? 疲れたんじゃないか?」

 まさか一睡もしていないとは思わないのだろうが、心底シャロンを心配している様子のジェイクに、胸の奥からふつふつと幸福感があふれ出す。


 夢じゃない。そう思うだけで幸せで、なんだか涙が出そうだ。

「ジェイクの顔を見たら元気になったわ」

「本当に?」

「ええ、本当に」

 ジェイクの指を握り笑いかけると、彼はホッとしたように微笑んだ。


「今日のジェイク、とってもかっこいいわね‥‥‥」

 吐息と共に告げると、ジェイクは「へっ?」と間の抜けた声をあげたまま、なぜか硬直してしまった。

「本当よ。会場で一番かっこよかったもの。女の子たちの悲鳴や歓声もすごかったでしょう?」

「でもぼくは、君の応援が一番うれしいよ」

「そう? 試合の後に花輪を投げかけてくれる女の子が現れても、私のほうがいい?」


 イタズラっぽく笑うと、ジェイクは一瞬虚を突かれたような顔をした。が、次の瞬間すぅっと青褪め、「お願い、それも忘れて」と囁いたので噴き出してしまう。

 前世の馬上試合で優勝したジェイクが、花輪を投げてくれた女の子とイチャイチャしていたことを言ったのだが、彼にとっては十年以上前の話なのだ。それでもすぐになんのことか気づいてくれたのは、同じようなことが何度かあったからだろうか。


「ごめんなさい。思い出してしまったから、ついからかいたくなって」

 クスクス笑ってみせるけど、本当は嘘。思い出した瞬間ヤキモチを焼いていた。今のことじゃないのに、あまりにも過去の出来事と状況が似ていると思ったら、つい口をついてしまったのだ。

 我ながら可愛くないわと思い、つい視線が下がる。


 そんな気持ちを知ってか知らずか、ジェイクは両手でシャロンの顔を包むと、コツンと額を当てた。

「もう二度としないから」

 その声に、シャロンは小さく「うん」と答える。目を閉じると一瞬口づけられ、二人で微笑んだ。小さなモヤモヤがきれいに霧散し、我ながら本当に現金だとシャロンはおかしくなる。


「あのね。今朝、父――国王陛下にあなたのことを話したわ」

 手をつないだまま木陰のベンチに腰を下ろすと、ジェイクが一瞬目を見開き、じっとシャロンを見つめた。

「それで?」

「歓迎、ですって」

「ほんとに?」

 またからかわれているのではないかと言うような顔をするジェイクに、本当だと頷く。

「あなた、ダリアの称号も得ているのね」

 それは騎士の称号の一つだ。複数の中隊長を束ねるくらいの権限がある。場所によっては領主並みの権限も行使できる。そんな称号だった。


 だが素直な賛辞を浮かべるシャロンとは対照的に、ジェイクは少し気まずげな顔をした。

「それは、以前国で疫病が発生したときに、ぼくが君のまねをしたから‥‥‥」

 自分だけの手柄ではないというジェイクにシャロンは首を振る。功績は大きいが、それだけで得られる称号ではないことはシャロンも知っているのだ。

「でも、病が広がらないように率先して働くあなたは、とても素敵だったわよ」

 あの姿を見て、完全に恋に落ちてしまったのだから。


「でも今世では君はいなかった――って、まさか、側にいたのか?」

 ギョッとしたような顔をするジェイクに、シャロンは「少しだけね」と笑った。

「えっ? 嘘だろ? 全然気づかなかった。ぼくは君に会いたくて会いたくて死にそうだったのに、声もかけてくれなかったなんて」

「――だって、そんな風に思ってくれてるなんて、あの頃は考えもしなかったんだもの。絶対バレないように、私だって必死だったのよ」

「そんな‥‥‥」

 ジェイクにはよっぽどショックな話だったのか、両手で顔を覆ってがっくりとうなだれてしまう。

「あー、ジェイク? ごめん、ね?」

「――――たの?」

 ん?


「どこにいたの?」

「えーっと、ロゼット様の所の下働き」

「はぁ?」

 顔をあげ、心底驚いたように目を丸くするジェイクに、シャロンはもう一度「ごめん」と言った。


「でも、あそこの下働きは男ばかりで」

「うん、だから十歳くらいの男の子の姿になってました。――あ、心配しなくても十日ちょっとだけだったし、ほかの人にはバレてないし、ね?」

「ね? じゃないだろう。十日ちょっとって、修羅場だったほとんどの期間じゃないか」

「だからごめんてば」


 こんなに落ち込ませるとは夢にも思わず、シャロンはオロオロとしながら本気で頭痛を忘れていたが、ふと何かが降ってくるように閃くものが見える。

「あ‥‥‥」

 頭の中で散らばっていたいくつもの点が光り、今なら糸を通すように次々につながげていけると思った。

 漠然と「しなきゃいけない」と思ってしてきたことの理由が見えた気がした瞬間、ズキンと頭に強い痛みが走り、シャロンは息を飲む。

「シャロン!」

 とっさにジェイクの胸にすがり、そこに自分の額を付けて大きく何度も息をつく。

「ジェイク……私を縛っていた……最後の、鎖の、糸口が見えた」

 歯を食いしばってそう告げると、ジェイクはハッとしたように頷いた。一緒にミネルバに習ったのだ。これを力づくで解こうとすれば、これから強い痛みが襲ってくることを彼も理解したのだろう。これを逃したら、次はいつ捕まえられるか分からないことも。

 決心を込めてジェイクを見つめると、彼は真剣な目で「支える」と頷いた。彼がここにいてくれる、理解してくれる人がいる。それが今は何よりも心強い。


 目の端に駆け寄ろうとするエルザが見える。その向こうにロイを押さえるゼノンが見えた。

「エルザ」

 歯を食いしばりながらもなんとか笑いかけると、エルザが「姫様!」と悲鳴に近い声を上げる。相当顔色がひどいようだと思い、必死に痛みを逃すため呼吸を整える。

「大丈夫。強い発作が……くっ……来るだけ。でも……ちょっと動くのは無理みたい。だから……ここでやり過ごすから――お願い、騒がないでいてね」

「姫!」

 ゼノンを振り切ったロイが駆け寄り、ジェイクに何事かと聞いてくる。医師を呼ぶと言うロイをシャロンが止めた。


「大丈夫です。ロイ様」

 ジェイクに支えられながらまっすぐにロイを見る。彼も心配して来てくれたことが分かったが、今騒がれては困るのだ。

 すっと息を細く吸い、集中して別の音を織り込む。

「以前あった事故の影響です。これから強い発作が起こりますが、手も口も出さないでくださいませ」


「だが!」

 どんどん顔色が白くなるシャロンに、なおも言いつのろうとしたロイの顔が、痛みで勝手に浮かぶ涙でグニャリと歪んで見える。

「対処は、ジェイクができます。彼がいるから大丈夫。っ……ですから決して、今から起こることは他言なさらないで」

 口出しを我慢してくれるジェイクに感謝しつつ一気に言い切り、エルザ達にロイを頼む。エルザたちは普段のカロンとは違う毅然とした風格に一瞬圧倒されたあと、すっと背筋を伸ばし「承知しました」と答えた。


 それにホッとした瞬間グラグラと視界が揺れ、強い痛みで吐き気が起こる。

 一瞬ジェイクにひどい姿の自分を見せたくないとも思ったが、背中にそえてくれる手の温かさにすがった。一人にしてと言う代わりに自分からも「支えて」と頼む。

「お願い、ジェイ…………っく」


 歯を食いしばりジェイクのシャツを握って痛みに耐える。頭の中で白い光が弾け、のたうち回るような苦痛と共に、何がなんだかわからなくなった。

 次々に映像が浮かびぐるぐる回る。

 途中舌をかまないようジェイクに助けられ、最後には胃の中のものを全部吐き出した。とはいえ、朝から飲み物を少し飲んだだけなので殆ど吐くものがない。吐きたいのに吐けず散々苦しんだ後、やがて霧が晴れるように痛みが消え、ぐったりとジェイクにもたれかかった。


「シャロン、大丈夫か」

「――ありがとう、ジェイク。もう‥‥‥大丈夫」


 シャロンは肩で息をし、汗でびっしょりになっていた。時間にすればほんの数分のはずだが、何日も苦しんだような気がして、ズブズブと体が泥の中に沈むようだ。

 いつの間に用意していたのか、エルザの差し出す水で口を漱ぎ、濡れたタオルで彼女に顔や首筋をぬぐってもらう。

「ありがとう、エルザ。もう……大丈夫。心配、ないわ」

 毅然としながらも涙目になっている侍女に礼を述べると、ホッと力が抜けて瞼が重くなってくる。蒼白になっているロイの顔が見えたが、あとはジェイクに任せようと思った。


「ごめん……、眠りそう……」

「うん。がんばったね。ゆっくりお休み」

 後は任せてというジェイクの声に安心し、シャロンはすうっと眠りに落ちていった。

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