第22話 親善試合

 セパーロの会場は、シャロンが知る限りいつも盛り上がっているが、今日の盛り上がりは普段以上だった。

 広い試合会場内で二つの陣営に別れ、藤で編んだ軽いボールをけり上げたり手で打ったりして得点を競うのだが、逞しい男性たちの躍動感溢れる動きはそれだけで目を奪われるものがある。


「姫様、ライクストン様の活躍すごいですね!」

 会場に目が釘付けのまま、侍女たちが次々と興奮したようにシャロンに耳打ちしてくる。

 そう。ジェイクの活躍はすごかった。

 ネイディア人なら娯楽としてよく行う競技なので、外国人であるジェイクたちには不利ではないかと不安だったのだが、それは全くの杞憂だった。身軽なジェイクの活躍はその躍動感も目を惹くものがあり、彼が飛び上がって球を相手側の陣地に蹴り込むと、応援席にいる女性たちの黄色い悲鳴がものすごいことになっていた。

 今のシャロンは、あれが自分の最愛の男性だという誇らしいような気持ちと、周りを牽制してしまいたいようなやきもきした感じとでなんとも複雑だった。


 ――もう。なんであんなにかっこいいの。


 ジェイクに最優秀選手になってと言ったのは自分だ。彼はそれに精一杯応えようとしてくれている。なのに実際に活躍する姿を見てしまうと、そんなに目立たなくてもいいと思ってしまい、でも同時に彼の活躍を目に焼き付けたくて目が離せなかった。

 昨夜は救護室を使ってもらうことは諦めたので王宮に戻ってそれぞれ休んだのだが、しっかり休めているようでホッとした。

 帰りはミネルバが道を作っていたとはいえ、シャロンを抱いたままヒョイヒョイと崖を上ってしまうジェイクに驚いたし、いつのまにあんなに逞しくなったのだろうと思う。前世よりも精悍さが増しているのは確実だ。

 それもこれもシャロンのためだと、少しくらいは自惚れてもいいのだろうかと考え、熱を帯びた頬を慌てて抑える。


 シャロンはといえば、昨夜は眠ってしまったらやっぱり夢だったことにならないか怖くて、つい夜明けまで考え事にふけってしまった。今はまだ、幸せと不安が天秤のように揺れ動く。


 四年前、もしも雪が降らなければ何か変わっていたのかな――ふとそんなことを考え、首を振る。

 記憶のないあの頃ではシャロンのほうが子どもで、きっとジェイクの気持ちは受け止めきれなかっただろう。昨夜みたいな真剣なの目をされては、ただ怯えてしまったと思うのだ。

 これは少しずつ少しずつ育ててきた気持ちだ。


 彼に恋をしたのは、前の時も今回も同じ十六歳の時。どちらも疫病と戦った時だ。前世の時はジェイクを助けに行き、シャロンも前線に立った。今世では誰にも気づかれないよう、魔法で男の子に見せて影で動いた。その中で真剣に働く彼を見て、その姿にどうしようもなく惹かれていった。親友でも家族でもない、違う想い……。

 そんな自分の気持ちをごまかしていた時、別の国で打算的な求婚をされた。


 いつもそうだ。シャロンを求める人は男女問わずシャロンではなく、紅蓮の館に住む女、もしくは魔女がほしいだけ。どんなに賛辞を述べられようと、それはシャロン自身のことではない。

 リュージュの森で過ごしていたときのような、魔女とはいえ一人の女の子として扱ってくれるところが希少なだけ。わかっていたから、いつも如才なくのらりくらりとかわして逃げる。そう、いつものこと。

 でもあの日はその求婚者ではなく、突然ジェイクのことで胸の内がいっぱいになった。打算を隠さない求婚者から逃げながら、自分がジェイクに恋をしていたことをはっきりと自覚してしまった。


 バカみたいだと思った。

 嫌われていると思っていたから。

 一方通行だと思っていたから。


 このときは覚えてはいなかったけど、実際前世のときは常に近くて遠い、そんな関係だったのだ。

 ジェイクの側にいる前世のシャロンは彼の姉や妹のようなものだった。彼が綺麗な女性の愛をかけて闘うところも、可愛いお嬢さんに惚れられたとデレデレしているところも、ずっと間近で見聞きしてきた。遠話石の向こうでジェイクが楽しそうに話すのを聞きながら、ギリギリと痛む胸の内が声ににじまないよう気を付けていたことを思い出し、また胸が痛む。記憶がよみがえったせいで、まだつい最近のことみたいな気持ちなのだ。


 そんな彼が、十年もシャロンを想ってきてくれたという。

 あんな目をした彼をシャロンは知らない。

 他の女の子ではなく自分に口づけをくれた。求婚してくれた。自分を追いかけるために準備してきたと教えてくれた。


 少しずつ違うのに、やっぱり戻ってしまうこの想いを、初めて告げた自分の気持ちを受け止めてもらえた。側にいると約束してくれた。


 ――夢なら醒めないで……。


 しかしシャロンの記憶が戻ったことで、もう一つその奥の記憶も頭をもたげていた。昔から自分の中にあった「大人」の感覚だ。自分のもののような違うようなそれが、記憶として顔を出しそうでもどかしくて仕方がない。シャロンが時をかけたのは二度のはずだが、違うのかもしれないと思うと少し怖い。それでもジェイクがそばにいてくれると思えば、戦おうと勇気を出せた。

 なぜならそれがテオドラと結びつくことだと、直感が訴えている。

 魔女は直感を無視しない。それは経験や知識が教えてくれる警鐘や好機につながっているからだ。



 会場がどっと沸く。

 ジェイクが最後の得点を入れて試合が終了したのだ。

 ジェイクがシャツの裾で汗を拭いつつ、会場を見渡すふうにしてさりげなくシャロンを見る。一瞬浮かんだ彼の笑顔に心臓が殴りつけられたような衝撃を受けた。

 思わず彼の胸に飛び込みたい衝動と、熱を帯びた頬を両手で覆いたくなるのを必死で我慢していると、いつの間にか隣に来ていた母――王妃にクスクスと笑われてしまった。

「なかなか素敵じゃない?」

 チラリとジェイクと国王を見た王妃がこっそりとシャロンに囁くと、一番近くにいたエルザがコクコクと頷く。

「お母様ったら」

 急いで表情を戻し、すました顔でシャロンはにっこり笑う。


 朝一で、国王夫妻にカロンとしてあいさつに行ったとき、父である国王から

「どうだ、カロン。伴侶にしたい男はいたか?」

 と面白そうに聞かれ、自分の気持ちを正直に話してみた。思うところがあってのイチかバチかの賭けもあったが、エルザをはじめ、何人かの侍女ががすでに根回しをしていたらしい。父である国王の答えは「そうか」と、あっさりしたものだった。

「ライクストン卿は、あの年でダリアの称号も得ている。我が国に来てもらえるなら願ったりだ」


 ダリアの称号――。


 シャロンは記憶をさらい、ジェイクが十八という若さでその称号を得ていたことに一瞬目を見開いた。王からの信頼の厚さがうかがえる。

 なのにジェイクに流浪の騎士になってもいいと許可したのは、おそらくはいずれ友である「白き魔女」を連れ帰るだろうとの目論見があったのだろうとシャロンは思ったが、彼はそこまで考えていないように思う。

 結婚の許可のためにジェイクは帰国が必要だが、王女との結婚のほうが彼には利点があるのだろうか‥‥‥。それとも紅蓮の館のシャロンのほうがいいのだろうか。彼が幸せになれる道を選びたいと一瞬悩み、次いでそっと首を振る。

 二人の未来だ。どちらかを除け者にすることも犠牲にすることもしてはいけない。

 この件は一人で悩まず、彼と相談しようと決めた。


「イズィナ国といえば、ロイ殿下も素晴らしい方だと思うが?」

 一応と言った様子でジェイクの名目上の主の名前を出され、シャロンは「そうですね」と言った。予想してたとおりなのですっと細く息を吸い、特別な音を声に織り込む。

「ロイ様は素晴らしい方だと思います。今日の親善試合でもきっと活躍してくださることと思いますわ」

 織り込んだ音は国王夫妻にしっかり届き、二人がコクンと頷く。時が切り離されたような一瞬の後、シャロンは改めて

「今日の親善試合が楽しみです」

 と笑った。



 ふと気づくと、やはり試合で大きく活躍していたロイがまっすぐにシャロンを見つめているのに気づいた。

 痛みを覚えるほどの熱心なその視線に、急に胸の奥がざわめいて落ち着かなくなる。


 ――やっぱり私は、彼を知ってる?


 ジェイクの友人だということは知っている。前世で彼がケリをつけてくれたことも。

 でも違う。そうじゃなくてもっと前……。


 ふと、ジェイクが初めて紅蓮の館を訪れたときのことを思い出した。

 季節は違うが、どちらの時も前触れもなくバタンと大きな音を立てて扉が開き、現れたその姿を背の高い立派な騎士のようだと思った。たしかあの時その騎士が、

『見つけたぞ、シャロン。君は僕のものだ!』

 と、嬉しそうに叫んだ……ように聞こえたのだ。


 でもあのときは気のせいだと思った。なぜなら次の瞬間には、そこに十歳のジェイクがいたのだから。一瞬見えた騎士は今のジェイクたちのように立派な体躯の大人だったし、その髪は太陽にきらめくような金髪だった。ジェイクのような青みがかった黒髪ではなくて、金。

 それは今、なぜか見つめ合っているロイのような濃い金色の……。


 そこまで考えて首を振る。

「まさかね……」

 そう。まさかだ。

 彼はジェイクや自分と同じ年なのだから、あれがロイだった可能性は万に一つもない。あの時いたのはジェイクだけ。あれは一瞬太陽が見せた幻影だ。


 シャロンは失礼にならないよう気をつけながら、さり気なく視線をそらす。

 不思議なほど純粋な想いが伝わってくるが、あんな風に見つめられるべきなのは自分ではない。

 シャロンが想うのはジェイクだけ。


 だから突然頭の奥に現れた、幸せそうに笑う男性の姿を懸命に振り払った。同時に聞こえるハスキーな女性の声にも心の中で耳をふさぐ。


『――ドレスアップした男性って、それだけで見惚れる価値があるのよ』


 頭の中に浮かぶ、見慣れぬ婚礼衣装に身を包む男女の顔は見えない。見えないのに、胸が苦しいほど懐かしい。


 ――誰? あなたたちは一体誰なの?

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