第5話 通り抜け
今は地方銀行で働いている花さんが、まだ幼い頃の話である。
その日は日曜日で、彼女と妹と弟、それに母親の3人が家にいた。父親はどこかに出かけていたという。
当時、彼女は4歳だった。小さな居間で妹と遊んでいて、隣の寝室では母親が、まだ赤ん坊の弟を見ていた。
部屋には夕日が差し込んでいた。瞼に焼き付きそうなほど赤い夕焼けだったのを、なぜかよく覚えているという。
襖を開けて、母親が顔を出した。
「お母さん、ちょっとトイレに行ってくるからね」
そう言うと襖を半開きにしたまま、足早に廊下へと消えた。
寝室には蒲団が敷かれていて、小さな弟が眠っている。あまり泣かず、よく眠る赤ちゃんだった。
花さんは妹と顔を見合わせた。母親がわざわざふたりに声をかけていったのは、ちょっとの間弟を見ていてね、ということだと、彼女たちはわかっていた。
ふたりは寝室に目をやった。特になんということもない。弟が眠っているだけだ。同時に視線を戻すと、お互いの顔を見つめ合うような状態になった。妹がくすりと笑った。
その途端、どーん、という大きな音と振動が、寝室から響いてきた。
妹と一緒に寝室へ顔を向ける。花さんが見た妹の顔は、驚きのあまり真っ白になっていた。それとほぼ同時に、トイレの方から母親が転がるように駆けてきた。
何の前触れもなく、寝室にあった背の高い箪笥が倒れたのだ。弟が寝ていた蒲団は、完全に箪笥の下敷きになっていた。
そして、倒れた箪笥の背の上で、弟が何事もなかったかのように眠っていた。
後年、彼女は大きくなった弟に、
「あんた、赤ちゃんの時に箪笥を通り抜けたことがあるんだけど、覚えてる?」
と尋ねてみたが、まったく信じてもらえなかった。
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