第29話 要するに顔

 マリさんが、同棲していた男性と別れたという。


 半年ほど前に「めちゃくちゃ好みの顔の男と付き合ってる」と、聞いてもいないのに嬉しそうに報告してきた彼女に、何があったというのだろうか。


 ひさしぶりに会うと、マリさんは挨拶もそこそこに、


「私が付き合ってた奴さ、たまに生き霊みたいなの出してたんだよね」


 と話し出した。




「別に何をするわけじゃなくて、うちの中をペタペタ歩き回ってるだけなんだけどさ。服装はそのときのそいつと同じなんだけど、足元だけ絶対裸足なの。そんでこう、うつむいてウロウロしてんのね。どうしたの? って声かけようとしたら、当の本人がトイレから出てきたりしてさ。あれ? っと思ったら消えてるの」


 その彼氏によれば、


「俺は見たことないけど、家族とか元カノとかによれば、たまに家の中に出てるらしい」


 とのことで、本人もあまり気にしていないらしい。なのでマリさんも、努めて気にしないようにしていたのだが……。


「今年のはじめかなぁ。会社の飲み会から帰ってみたら、生き霊がダイニングテーブルの回りをペタペタ歩いてるのよ。そのとき急にその気になって、話しかけてみたのね。何やってんのー? って。そしたらそのときは無視されちゃったんだけど」


 マリさんが洗面所でメイクを落として、ぱっと顔を上げると、洗面台の鏡越しにそいつと目が合った。鼻息がかかるほどすぐ後ろに立ち、そいつは物凄い目付きで彼女を睨み付けていた。


「ひっ、て変な声が出ちゃった」


 マリさんは洗面所を走り出て、寝室に飛び込んだ。本物の彼氏はベッドで眠っていた。


 彼を叩き起こして洗面所に引っ張っていくと、もうそこには誰の姿もなかった。




「それから、なんか怖くなっちゃって」


「ああ、それで別れたの?」


 そう言うと、マリさんは首を横に振った。


「あ、ううん。そうじゃなくって、それは別にいいのよ」


「いいのかよ」


「まぁ聞いてよ。そいつ顔はいいから浮気しまくっててさ、まぁそれも別にいいんだけど、私の既婚者の友達に粉かけて、無視されたんでキレて彼女を殴っちゃったのね。そんで友達の旦那さんが当然だけどめちゃくちゃ怒って、弁護士まで連れてきて治療費とか慰謝料とか払えって話になったんだけど、そしたらそいつ貯金がないどころか、借金まで作ってたってことがわかっちゃって。しかも知らないうちに会社辞めてて、私の財布から金抜いたりしててさぁ」


「クズにも程があるだろ……で、それで別れたんだ?」


「うーん、それも違うっていうか……とにかく私、治療費なんか立て替えてやらないからねって言ったの。そしたらそいつが、前科つけられちゃうって泣きながら土下座してきてさ。その顔がめちゃくちゃブサイクだったんだよね。それでスーッと気持ちが冷めちゃって、別れた」


 ま、要するに顔だよねと言って、マリさんは楽しそうに笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る