五 宝探し



 だが結局その日、勇者が夕食の獲物を狩りに出ることはなかった。理由は実に単純である。手軽に狩れそうな小動物など、竜の縄張りに生息しているはずがなかったのだ。竜にそう諭された勇者は「あ」と口を開いたが、しかしご機嫌なロギアスタドーラがその大きな翼でひとっ飛びしてグリフォンを一頭彼らのために狩ってきてくれたので、仲間達が夕食を細々と保存食で済ませる必要はなくなった。


 しかし親切な竜王が食べ易いようにと目の前で生きたまま真っ二つに引き裂いてくれたので、勇者以外の仲間達は軒並み食欲をなくし、中でも妖精達は震えながら抱き合ってめそめそ泣き始めてしまった。物知りな竜は草食のエルフのために野苺を蔓ごと引っこ抜いてくれてもいたのだが、半分ほどがぐしゃりと潰れ、半分ほどはグリフォンの血に染まってしまっていて食べられる部分は少なそうだ。


 勇者は弱ってしまった仲間達を見回して、とりあえずそこで真っ二つのまま置き去りにされた獲物をなんとかしようと聖剣を抜いた。既に死んでいる上に吊るして血抜きをするのも難しい地形だったので、ざっとバラしてから遠い目になった神官に浄化してもらい、肉以外の残骸を手早く片付ける。頭と内臓は要らないからと隣の穴に戻っていた竜達に声を掛けると、雛達がピヨピヨ言いながら寄ってきて美味そうに食べた。一番栄養価が高くて美味いところを雛に献上するとは良い心がけだと父竜に褒められ、苦笑いしながら野営地へ戻る。


「……で、さっきは何を訊いてたんだ?」

 勇者が初めて捌く獲物をどう解体しようか悩んでいる間に、賢者は去り際のロギアスタドーラと何か会話していたようだった。ちらりと小耳に挟んだ感じだと語学の話ではなさそうだったので内容を尋ねてみると、浄化された蔓から丁寧に野苺を摘んでいた賢者は端的に答えた。


「竜族にとって、魔竜ラドラグとは如何なる存在なのか」

「へえ……で、どんな存在だって?」


 面白そうな質問だなと思って身を乗り出したが、賢者はどうにも煮え切らない様子で腕を組む。

「そなたにはあれが竜に見えるのか、と不思議そうに問われた」

「ああ、誇り高き竜族を魔獣なんぞと一緒にしてくれるなって感じか?」

「いや……」


 曖昧な表情で首を振った賢者によれば、黒い鱗に赤い瞳の渦を持った魔竜のことをロギアスタドーラは「黒毛虫の雛」と称したそうだ。彼は轟くような声で考え込むように唸りながら「そうさな……育つと大きくなる。それこそ丘のように」と自分の肩のあたりまでの高さを翼で示し、賢者が生態や強さを尋ねても興味がなさそうに尻尾を地面の上でずるずると振るばかりだったらしい。


「彼はこう言った『強い? ……そうさな、まあ強いやも知れぬが、あれは肉食ではない故に領域の獲物が減ることはなく、気性は穏やかで糞もせぬ。淀みを撒き散らす人間を駆除してくれる。そこらを歩いていても放っておくな』と」


「淀みを撒き散らす人間を、駆除する……」

 引っかかる言葉に眉を寄せると、賢者も頷いた。

「私も同じことを考えた。つまり、魔獣そのものが淀みをばら撒く存在ではないかと。しかし竜は『バラせば撒くが、放っておけばむしろ淀みを減らす。あれは食うても美味くないからな』と、当然のようにそう言った……魔竜は、あるいは魔獣は、我々が考えていた生物とは違った存在なのやもしれぬ」


 なんだか難しい話になってきたぞと、勇者は腕を組んで後ろの岩に寄りかかった。

「黒毛虫の雛、なあ……」

「丘のように大きく黒い体毛に覆われた魔獣を、果ての夢で見たと言ったな。それは『黒毛虫』という描写に当てはまるのではないか」

「ああ、うん……でもあれはほんとに『もこもこ』って感じの形で……ほら、魔法使いが好きな小石なんとかって丸い毛虫と似てる形だ。魔竜が大きくなったらそんな風になる感じじゃないぞ? あれが脱皮して竜になるっていう方がまだ自然だと思う。どう考えても竜型の方が強い」


「丘のように大きな、こいしもどき……」

 横から話を聞いていた魔法使いがうっとりして、虫嫌いの賢者が大変渋い顔になった。


「……ふむ、つまりその『毛虫』の状態が幼虫のようなものである可能性か。仮にそうであったとすれば、魔狼ヴォーラ魔猪シュボアルも同様にその形態で生まれるのだろうか。分類するとすれば近縁種に当たるのか、通常の竜と狼のように全く異なった生物であるのか、となると胎生か卵生か──待て、幼虫ではなくさなぎである可能性はどうであろうか? つまりウサギ型から狼型へ、狼型から熊型へ、そして竜型を経て何かもっと強大なものへと変態するのだ。その変化の間の一時期として、蛹化ようかするように『毛虫』ようの形態が存在するのであれば、ロギアスタドーラがあれを『幼虫』と称したことにも説明がつく。魔獣は普通の動物が淀瘴に下った生物、つまり動物型のオークのようなものであるという説を私は否定していたが、もし魔獣の在り方が虫を思わせる変態を伴ったものならばそれが立証されるとは思わぬか」


 長々と語った賢者は「いいことを思いついた」みたいな顔で嬉しそうにしているが、魔獣の生態なんぞにそこまで強い興味もない勇者は少し話に飽きてきていた。そういう細々とした分類よりも竜と魔竜の力量差はどのくらいあるのだとか、成体のワイバーンと魔竜が戦ったらどちらが勝つのかとか、そういうことが知りたい。がしかし、魔竜よりももっと強い魔獣の存在の可能性には興味をそそられた。


「もっと強い魔獣か……どんな形だろう」

 今まで見た魔獣は「毛虫」を除けばどれも勇者の知っている動物の形をしていた。そうなると竜が変化した先というのも何か別の生物と似た形をしていると考えるのが自然な気がするが、竜より強そうな生き物なんて思い浮かばない。


「全く未知の生物の姿をしている可能性もあるが、飛翔せぬ代わりに顎が発達した地竜であるとか、そういった存在も考えられる」

 賢者が楽しそうに言うと、向こうで話を聞きながら鍋をかき混ぜていた神官が「……地竜?」と首を傾げた。

「……干しミミズではない」と賢者。

「ああ、そのまま地面を走る竜ってことですか。ファールみたいな」


「どういうこと?」

 吟遊詩人が首を傾げると、神官が説明してくれる。

「民間療法に近しいものですが、そういう名前の解熱剤があるのですよ。その材料になるのが……ほら、あのムカデさんくらいの姿をした大きなミミズで」

「黙れ」

「え、つまり雨上がりに岩場で干からびてるあれの大きいやつだよね……どんな病気だったとしても絶対飲みたくない……」


 そんなもの飲むくらいなら死んだ方がましだ、みたいな顔の賢者が重々しく頷いて同意した。勇者が「魚の餌になるくらいだし、干して粉にすればそこまで気にならないだろ」と言うと、とんでもなく蔑んだ目で見下ろされる。そんな顔しなくてもと思ったが、これ以上話を深めるとまた仲間達の食欲が失せそうだったので、苦笑して無神経扱いに甘んじることにした。





 そのままその日は疲れもあったので洞窟で休み、次の日になってから宝石探しへ乗り出した。黒ずんではいるものの良い具合に空は晴れ、寒さもそこまで感じない。賢者が周囲の地形を細かく紙に書き起こしているのを覗き込みながら、いい感じに結晶が生えている洞窟がないか確かめる。するとひらひらと飛び回りながら楽しげにしていた妖精が声をかけてきた。


「ねえ勇者、もしかして童話の挿絵みたいに岩場からニョキニョキ宝石が生えてると思ってない?」

「違うのか?」


 問い返すと、呆れ笑いをしながら首を振られた。

「宝石はね、岩の中に埋まってるんだよ。そんなキノコみたいに生えるんじゃなくて、丈夫な巣穴の中で大事に大事に育てられてるの」

「……巣穴」

「実際に見た方が早いね。あっちに綺麗な赤い子の気配があるから行ってみようよ」

「お、おう……石の、気配?」


 頷きながら賢者を振り返ると彼も微妙な顔をしてしたので、宝石を野うさぎか何かのように表現するのは吟遊詩人特有の言い回しらしい。魔法使いが野に咲く花を可愛い可愛いと撫で回しているのと同じ感じなのだろうかと思いつつ、後に続く。


「ほら、ここだよ! 結構大きい子と、ちっちゃい子達が群れてる」

「群れてるって、お前」


 そこはどうやら竜がかなり掘り返した跡らしく、崖崩れとは違う感じに岩が割れてごろごろと転がっていた。その中の何の変哲もない少し大きめの石ころを指して妖精が笑う。その色や手触りを確かめた賢者が「……柘榴ざくろ石か?」と呟きながらじっと目を閉じて石に手を当て、何か魔法で内部を探るようにしたかと思うとひとつ頷いた。


「勇者、この線に沿って聖剣で少し切り込みを入れ、岩にぶつけて割りなさい──待て、粉砕するな。卵を割るようにだ」


 石に魔力でくるりと一周線を描いた賢者がそう指示した。言われた通り石を割ってみると、茶色っぽい石の中に柘榴の実のように真っ赤な宝石がごろごろ埋まっている。


「うわ、すげえ」

 結晶面がキラキラと陽光に反射して光る様子を目を丸くして見ていると、吟遊詩人が隣から覗き込んで「ふふ、赤くて可愛い」と笑う。フェアリが本当に宝石の気配を感じ取れるのだとわかった勇者は、少し顔を赤くしながら小声で言った。


「……なあ、空色の石はないか?」

「空色! ハイロちゃんのお気に入りのあれだね? この辺にはなさそうだなあ……赤いのならもう少しあるけど」

 折角小さな声で尋ねたのに、皆に聞こえる声で楽しげに言いふらされた。神官が「おやまあ」と微笑ましげにして、魔法使いが重々しく「ファーロに贈るならば、それがいいね」と頷く。


「耳飾りと同じヘヴィリーンならば、母岩が全く違う。サラタイト地脈、即ち石英と青雲母あおうんもを主成分とした青白い岩石を探す必要がある」

 賢者がぼそりと言って、少し遠くが見渡せそうな岩に登って周囲をぐるりと見渡した。そこそこ滑りやすくてやっかいな地形だが、義足なのが全くわからないくらい自然に歩いているのを見てホッとする。彼は夜には新しい脚を外して眠るのだが、そうしていると脚をなくしてしまった事実を目の前に突きつけられる感じがして、どうしても少し悲しくなってしまうのだ。いずれ見慣れるまではこうして安心と不安を繰り返してゆくのだろうなとぼんやり考える。


「あちらには少し白い地層が見えるな」

 賢者が生き生きとした顔で遠くに見える小さな崖を指差しながら言った。星を観察している時と同じような学者らしい知的な表情に、魔法使いが耳をふるふるさせながら見惚れている。この妖精はこんなに森の生き物然としているのに、ここ最近は誰にも人間だと思われていない賢者の唯一人間らしい知性や理屈や文才に関わる部分を愛しているのだなと思うと、なんだか不思議な感じだ。賢者は賢者で魔法使いのいかにも妖精らしい部分を見せられる度にじっと黙り込んでしまうし、勇者が冷静沈着で繊細なハイロを好いているように、恋とは互いに足りない部分を補い合いたくなるものなのだろうか。


 拾った大粒の赤い石は竜の一家への土産にしようとひとまず荷物に押し込み、何度か転がり落ちそうになった神官を支えながら急斜面を下って、岩が白っぽくなっている辺りを目指した。木々の少ない岩山なので見晴らしが良く、既に見えている場所でも案外遠い。賢者が無表情のまま僅かに右脚を引きずり始めたので長めに休憩を取りながら、帰りは勇者が洞窟まで先行して転移で帰らせようかとこっそり思案する。竜王の縄張りから出なければ他の竜や獣に襲われる心配もないし、少なくとも山の下から上まで飛ぶくらいならそう危険はないように思える。


 そんなことを考えながら昼過ぎまでじっくり時間をかけて目的地へ辿り着いた。距離が近くなってくると吟遊詩人が「あっ! いるよ! 小さいけど特別青い子がいる感じがする!」と言い出したので期待しながら、こちらも竜に砕かれているらしく岩がごろごろしている場所にしゃがみこんで宝探しを始めた。吟遊詩人にどの岩なのか答えを聞けば簡単なのだが、このくらいは自分で見つけてみたいと案内を断って、手当たり次第に割ってみる。ちょっと聖剣で切った切れ込みに指を入れて林檎のように半分にしていると、賢者が「非常識な……」と渋い顔でこちらを見ていたのが面白かった。


 さて、勇者がそうして探している間、吟遊詩人は「特別青い子」を除いた石をあれこれ持ってきては勇者に割らせ、青や緑や薄紅色の小さな結晶を地面の上に並べて「ふふ、可愛い!」とにこにこしていた。神官はそんな妖精を眺めながら微笑ましそうにしていて、魔法使いは何か見つける度に「ルーフルー、あった」と言いながら綺麗な石を愛する人へ渡している。ひたすら宝物を貢いでいる様子が鷹狩りの鷹か何かみたいだと笑いつつ、自分もあちこちひっくり返しながら皆が持ってくる石をひたすらに割る。賢者は妖精に献上された中でも特別美しい氷のような淡い青い石を手にして、早速何やら加工を始めたようだった。魔法使いに贈るのかと尋ねれば、フンとそっぽを向きながらこれは自分用だと小さくこぼす。それににやりとしてから、また新たな石をひとつ半分に割った。


 そして勇者も段々とどんな石に宝石が埋まっているのか見当がつくようになり始めた頃、ごろりと大きな石をどかした下にあったそれを拾い上げると、後ろで小さく吟遊詩人が「あっ」と言って慌てて片手で口を塞いだ。


「……これか」

「ううん、わかんない」

 首を振っているが、翅がふわっと広がっているので丸わかりだ。ようやく見つけたとわくわくしながら慎重にそれを半分に割る。


「……うわ」

 呟いたのは勇者ではなく、肩越しに覗いていたフェアリだった。

「空色だ……初めて大穴から空を見たときの、感動で泣きそうになってる勇者の目の色」


 そして何か恥ずかしい感じにその色を例えてきたが、しかしそれが気にならないくらい、勇者は夢中でその色彩を見つめていた。それは本当に──何かただの石というよりも祝福めいた力を感じるくらいに、鮮やかで美しい空の色をしていたのだった。





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