四 竜の宝



 勿論、今までの旅路で見た地上の洞窟の中では飛び抜けて大きい。しかし地底国家ヴェルトルート生まれの勇者にとっては驚愕する大きさでもなく、如何いかんとも反応し難い。だが木の穴に棲むという妖精達には違って見えるのか、魔法使いはよろよろしている神官の頭を撫でながら目を輝かせ、吟遊詩人は「うわぁ……」と言いながら翅を広げて洞窟の中に飛んでいった。


「おい!」

 家主の許しもなしにと慌てた勇者は考えなしに楽しくなってしまったフェアリを引き戻そうと飛び出しかけたが、黒竜が「良い」と言葉をかけたので立ち止まって彼を見上げた。

「いいのか? 王の住まいなのに」


──穢れを持ち込む人間ならばまだしも、光る虫が一匹入り込んだところで煩くは言わぬ


「光る虫……」

 話を聞いていたらしい吟遊詩人が洞窟から顔を出してなんとも言えない顔をしている。少しよろよろした飛び方になりながら戻ってきて、つんつんと勇者のマントを引っ張った。


「ねえ、早く行こうよ……」

 外見は翅の生えた十二歳の美少女だからそうしていても絵になるが、とっくに成人している男だと思うと哀れになってくる。おそらく今は妖精の本能が優っているからこんなだが、後から正気に戻ってまた落ち込むのだろう。

「入ってもいいか? 人だけど」


──構わぬから連れて参った。渦火うずひの子に水の子


 勇者と神官が立っている方を見ながらロギアスタドーラが言って、先導するように洞窟の中へ入っていった。やっぱり賢者は人間だと思われてないんだなと笑いながら、揺れる巨大な尾に弾き飛ばされないよう距離を開けて追いかける。そして黒い巨体の向こうにちらりと見えた光景に息を呑むんだ。


「わぁ! きらきらだぁ」

 先程の少女然とした振る舞いに輪をかけて可愛らしい声で妖精が言って、翅から燐粉りんぷんをこぼしながら金銀財宝の海の上をくるくる飛び回った。竜王がそれを目で追いながら「そうであろう」と自慢げに唸ったが、酸の鼻息は吹き出さない。宝を傷つけぬように気を遣っているらしい。


 それはまさしく海だった。とにかく色とりどりにきらきらしたもので、洞窟じゅうが埋め尽くされている。あそこで山をなし、向こうで崩れ落ち、まるで砂漠で見た砂の丘のようにきらめく宝が地形を作っている。半分近くは掘り出してそのままのような金塊や、結晶面がきらりと鮮やかな宝石の原石だ。しかしそれだけではなく、人間から奪ってきたと思われる金貨や杯、装身具や果ては王冠までもが其処此処そこここで一面のきらめきに変化をつけていた。


 勇者を含めた剣の仲間達はしばしその光景に目を奪われたが、中でも吟遊詩人は格別だった。花の妖精の魔法使いが花畑を愛するのと同じように、宝石の妖精である彼はこの光景が楽しくて仕方ないらしい。物欲とはまた違った嬉しそうな顔であちこちの綺麗な石を見て回っては喜んでいる。


──ひとつとして触れるな。踏めば我が酸の餌食となると思え


「うん……綺麗だな」

 足元に転がる金貨を蹴らないように気をつけながら言う。と、良いことを思いついた勇者は鞄をごそごそと漁って、賢者が暇つぶしに丸く磨いた魔石の一つを魔力を込めながら取り出した。拳大の石が空色と金色の混ざった色合いに光り輝いて、暗い洞窟の中に早朝の晴天に似た光を投げかける。


──それは


 明らかに興味を持った様子の唸り声がした。ぐるぐると喉を鳴らすようにして、餌をねだる時のガズゥの鳴き方に少しだけ似ている。

「これやるよ。ええと、お近づきのしるしに」

 いいよな? と賢者に視線を投げると軽く頷き返された。


──祝福石か……海の底から打ち上がったものをいくつか拾ったが、もう随分と前に色が抜けてしまった。これはそれより何倍も美しい。海ではなく空の青だ


 竜王は大変喜んだ様子で、石を渡そうとする勇者に向かって「あの宝冠の隣へ投げろ」と重々しく命令した。勇者が「え、投げていいのか?」と少し気後れしていると、竜は不機嫌そうに低く唸る。


──我が宝を踏んで登るつもりか?


「端の方に置けばいいだろ」

 石を握ったまま腕を組んで言う。しかしどうやら彼は一つひとつの宝の置き場所にこだわりがあるらしく、焦れったそうな声で唸りながら「投げろ」と繰り返した。


「まあ、お前がそれでいいなら……」

 下からそうっと放ると、魔石はチャリンと小さな音を立てて大粒の赤い宝石が嵌め込まれた宝冠の隣に収まった。空色の光が周囲の金貨や宝石をキラキラさせる様子は「魔石」というよりも、竜王がちらりとこぼした「祝福石」という呼称の方が相応しいように思える。隣で見ていた吟遊詩人も呪布を外しながらうっとりした声を出した。


「綺麗だね。青い光が冠、に……」

 そして、消え入るようにその声が途切れた。興味と警戒がぜになったような表情で目を見張り、まじまじと宝の山を見つめている。


「……どうした?」

「……宝冠の下に、何かいる……洞窟全体に竜王の魔力が満ちてて見え辛いけど……」

「え?」


 驚きでぱちぱちとしていた吟遊詩人が、睨むようにぐっと眉を寄せて目を凝らす顔になった。緑の瞳がふわっと燐光を強くして、妖精の魔法らしい不思議な気配が漂う。


 そして気になった勇者が黒竜を見上げて「なあ、あそこに何が──」と口を開きかけたその時、洞窟内を優しく照らしていた空色の光がくらりと揺れた。さっと振り返ると、投げ置いたばかりの魔石が金属と石のぶつかる小さな音を立てながら、宝物の山を転がり落ちているところだった。それを目で追うとほぼ同時に、冠の置いてあったうず高い金色の山の天辺がじゃらりと音を立てて崩れる。咄嗟に吟遊詩人を抱き上げて後ろの賢者に押しつけ、仲間達の前に立つと剣の柄に手を掛けて身構えた。金貨の山がざあっと滑り落ちて、その下から何か──


「ピィ」


 砂竜ファールと同じくらいの大きさをした黒い竜の頭がぴょこんと飛び出して、巨大な竜族の王を見上げると鳥の雛そのものの声で鳴いた。


──おお、そこに埋まっておったか、我が至宝よ


 ロギアスタドーラが優しい音で喉を鳴らし、巨大な鼻をその小さな──勇者達に比べれば十分大きいが、丘ひとつ分くらいある彼に比べればとても小さな竜に鼻を近づけた。彼の子供と思わしき小さな黒竜は体に対して小さめの翼をパタパタさせながら父親の鼻に鼻をこすりつけ、一層ピヨピヨと鳥のような声で鳴く。と、その雛の隣の辺りが同じようにもぞりとして、今度は深みのある焦げ茶色の子竜が顔を出した。先程あんなにこだわった宝物の位置がじゃらじゃらと崩れて変わってゆくが、竜王は全く気にする様子もなく愛おしげな目で我が子を見つめた。


「かわいい赤ちゃんだね……」

 魔法使いが優しくとろけた声で囁いた。確かに、図体はだいぶでかいがまんまるな目がきょろりとした幼い顔をしていて可愛いかもしれない。すると酸海の王は大変自慢げに「であろう」と鼻息を漏らし、その辺りの金が一斉に溶ける。ひやりとしたが、子竜は耐性があるのか傷ひとつなく、むしろ溶けた金をぺろぺろと舐めているようだ。


「……金を食すのか」

 賢者が久しぶりに見る興味津々の学者の顔になって呟いた。すると黒竜が「血肉にはならぬが、骨や鱗を強くする。我が至宝らは特に金と、グリフォンの肉を好むのだ」と子育て真っ最中の父親の顔で言う。


「……母親は茶色い竜なのか?」

 とりあえず思ったことを尋ねてみると、竜は首を振るような動作を見せて「茶などという凡庸な色彩ではなく、あれは琥珀だ。この世で最も美しき我が宝石竜はおそらく、その辺りに埋まっておろう」と鼻先で洞窟の奥の方を指した。


「えっ……」

 吟遊詩人が視線を向けたが、すぐに首を捻った。空間に満ちる魔力に邪魔されて見えなかったようだ。


──ふむ、蜂の子よ。それほど我が妻を見たいか。仕方あるまい、あれほど美しければ


 大きな大きな黒い翼がばさりと畳み直された。自慢したくてしたくて堪らないと言った様子で尻尾がゆらゆらすると、それを見た子竜達の瞳孔がすうっと丸くなってバサバサと先を争うように尻尾の先を狙いながらこちらへ駆け下りてきた。身を翻した勇者が神官と賢者を両肩に一人ずつ担ぎ上げて飛び退き、妖精達が突進する子竜と雪崩のように崩れてくる財宝を慌てて避けた。先程までのピヨピヨした小鳥のようなさえずりはどうやら甘えた声だったらしく、少し高めなもののギャーと竜そのものの声で咆哮を上げて父親の尻尾に食らいつく。


「……襲われてるけど、いいのか?」

 おずおず訊くと、竜は「ふん、そなたには子がおらぬと見える」となぜかものすごく優越感たっぷりに言った。遊び盛りの子供達を尾であやすのは基本だと教えられたが、何の参考にもならない。

「いや、俺尻尾ないし」


──翼はおろか尾すら無いとは、真に哀れな種族よ


「うーん……」

 別に尻尾が欲しいと思ったことはないので、なんとも相槌を打ちにくい。しかし自慢げな様子がちょっとレタを思い出して楽しいなと思っていた時、焦げ茶色の方の子竜がビュンと振られた尻尾に掴まりきれずに洞窟の奥まで吹き飛んだ。しかし子竜は全く平気そうな面持ちで細い尻尾を根元からぶんぶん振りながら起き上がり、楽しそうに鳴いて駆け戻ってくる。


 そして、微笑ましい光景に勇者が微笑んだその時だった。子竜が落下した地点がもこっと動いて、凄まじい雪崩が起き始めた。降ろしていた神官と賢者を再び抱えようとしたが間に合わず、あっという間に財宝の海に飲まれる。そのまま洞窟の入り口まで押し流され、慌てて這い出すと、空中へ逃げていた吟遊詩人と一緒に仲間達を掘り出しにかかった。腕だけはみ出していた神官をずぼっと引っこ抜き、内炎魔法を巡らせながら金貨の山をどかすと、咄嗟に魔法使いを抱え込んだらしい賢者が、マントの中に入れた恋人を守るように抱きしめているところを見られて絶望した顔をする。ちょっとからかってやろうかと一瞬考えたが、しかし後ろから巨大な竜の気配がもう一頭現れたのを感じてそちらに向き直った。


──目覚めたか、我が至高の宝石よ


 黒竜が唸ると、金の山の上で体を震わせて纏わりついた冠や首飾りを振るい落としていた竜が「ぐぅ」と眠たそうに唸った。のそりとした動作で翼を広げて伸びをすると、半分しか開いていない目でぼうっとこちらを見る。


 ロギアスタドーラよりもひと回りかふた回り小柄だが、それでもとんでもなく巨大な雌のワイバーンだった。宝石呼びは伴侶の欲目ではなかったようで、本当に磨いた琥珀のように鱗が甘い色に輝いていて、顔立ちや体つきもすらりと優美な感じだ。竜としてはものすごい美人なのだと納得できるだけの美麗な母親に二頭の子竜が可愛らしくじゃれつき、妖精達は勿論、美しいものが好きな賢者や絵を描くのが趣味な神官もほうとため息をついて見惚れている。


「ワイバーンって、こんなに大きくなるんだな」

 しかし勇者はどちらかというと、色の綺麗さよりも体格の立派さに感銘を受けていた。いつだったか喧嘩した赤いワイバーンのイチゴも成竜だったが、彼女に比べれば小鳥のような大きさだ。しかしワイバーンは赤い鱗を持つ生き物だと思っていたが、レモンといいこの琥珀といい、雌は案外色とりどりなのだろうか。


──我ら王竜族と比較して、翼竜族も寿命はさほど変わらぬ。弱き者らと違い竜族は生涯脱皮と成長を繰り返すために、我の庇護下にあるこの琥珀竜は強者に狩られる恐れもなく、健やかにここまでの宝となったのだ


「ふうん……ええと、本当に立派で、宝石みたいに綺麗な奥さんだな。子供達も健康で可愛いし」

 幸せそうな家族だなあと思いながら褒める。すると竜の王は大変気を良くして、隣の小さな洞窟を勇者達の滞在用に貸してくれると言い出した。


──しばらく滞在するが良い。そなたらには特別に、我が領域での採掘を許そう。見たところそなたらはまだ子を持たぬ青い雄だが、我に目をかけられた者として、愛する雌に価値ある宝石の一つでも贈ってみせよ


「えっ……あ、うん。ありがとう」

 シダルがが使命を終えるのをハイロが……その、恋人として健気に待ってくれているのだ。呑気に石なんか拾ってる暇はないと少し思った。が、賢者が前人未踏の領域での実地研究フィールドワークの許可に目を輝かせたのと、愛する女性に自分で見つけた立派な宝石を贈る自分を夢想してしまったのとが重なって、勇者は気づくと素直に竜王の言葉に礼を言い、滞在中は近場で獲物を狩ってもいいかどうか丁寧に尋ねていたのだった。





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