六 治癒



「よくやった」

 魔法使いの魔力で銀色がかった賢者の瞳が深い深い後悔に満ちているのを見て、咄嗟にそう言った。しかし何でも考えすぎる彼にとってその程度では救いにならないらしく、ただ静かに首を振られてしまう。


「……惨たらしい死を与えてしまった。長く苦しませた……私は」

「──あの淀みの塊みたいな人間が苦しんだかどうかなんて、僕は興味がないよ。僕と離れていた間、賢者がどうしていたのか……それだけ教えて」


 本当に心の底から興味がないことが明らかな魔法使いの言葉は、少しだけ賢者を慰めたようだった。いつもとは違う色に陰った瞳を幽かに明るくして、話し始める。


 連れ去られた賢者はまず、痺れて動けない状態でその頭脳から情報を抜き取ろうとされたらしい。勇者や仲間達の弱点、今後の行程、色を変えた聖剣について、その他様々なことを、ソロは術を使って暴こうとしたのだそうだ。


「初めは……無抵抗で情報を渡そうと考えた。そなたらは……私が傷つくことを何より恐れるであろうし、情報が相手に伝わったとしても、何が伝わっているのか把握していれば大した脅威ではない」

「うん」


 それを聞いて、やっぱり賢い人だなと思った。己の身を守ることが勇者の弱点を守ることになると、ちゃんとわかっている。


「しかし……額を合わせたソロに淀んだ術を流し込まれ、あまりの不快感に抵抗してしまった」

「あー、うん。お前、潔癖だもんな」


 賢者の額を繰り返し浄化して「魔力を全部入れ替えないと」とか言い出した妖精の背を叩きながら相槌を打つ。


「大丈夫だって、こっちに連れてくる前に賢者の魔力は浄化したから。あいつの魔力なんて全部淀みみたいなもんだろ? 全部消えてるさ」

「ほんとう? もう残っていない?」

「残ってない」


 魔法使いが「それなら」と不満の残る顔で手を引っ込め、再び賢者に抱きついて頰と頰をくっつける。それをちらりと見た賢者が渋い顔をしないのを見ておやと思ったが、今は話の腰を折らないように黙っておいた。


「兎に角……奴を引き剥がそうと、術を押し戻して侵食をかけた。逆に情報を奪われると危惧すれば、離れるかと思ったのだ」

「うん」


 相当気持ち悪かったんだな、と思いながら頷く。ソロはそんなに小汚い感じの男ではなかったが、まあ確かに、あまり顔を近づけたい感じはしない。


 賢者の狙い通り、ソロは一度術を引っ込めて離れたそうだ。それにホッとして、ここからどう時間を稼ごうと考えていた時、神殿長が現れた。ソロと同じくらいやせ細り、ソロ以上に淀んだ目をした大神殿の長は、配下である気の第一審問官へもっと強い術をかけるよう指示を出した。今度は情報を抜き取るのではなく、意識を支配して言いなりにさせるための術だった。


「私を傀儡かいらいとし、私に成り代わってそなたらを害するための禁じられた術だ。無論抵抗を試みようとしたが、その前に生理的な嫌悪で魔力が暴走した。淀瘴もあった可能性があるが、それは大変発作的で……私はその時全く正気ではなかった。全身の魔力を振り絞って、私は気の魔法でソロの意識を破壊した。脳の機能を根幹から壊され、ソロは長い悲鳴を上げながらもがき苦しんで息絶えた。その瞳から命が失われてゆく瞬間が、目の前で」


 神官がさっと賢者の額に手を当てると、それこそ発作のように恐怖が蘇りかけていた賢者の目がふっと穏やかになった。魔法使いがそっと賢者の頭に頬を寄せ、宝石のような涙が黒い髪の上を滑り落ちた。


「……すまない。ソロが苦しみ始めた瞬間、神殿長が私の腕か脚を切断するよう、ソロの側近である気の審問官へ命じた。しかしその時双子の、おそらくログが名乗り出て、炎の剣で焼きながらそれを行ったことで、結果的に傷口が切断と同時に焼かれ、大量出血を免れた。あの男は……あの環境の中で驚くほど魔力が淀んでいなかった。彼は火の密偵か何かか?」

 またもや激昂しそうになっている魔法使いの頭を賢者が優しい手つきで撫でると、エルフは途端にへなへなとなって賢者の肩に頭をこすりつけた。簡単な奴である。


「……いや、あいつはソロに心酔している双子のロドを引き戻そうとしているんだ」

 黙って話を聞いていたライが答えた。賢者「そうか」と頷き、先を続ける。


 脚を切断された痛みは凄まじかったが、しかし賢者は危機感から無意識に気の魔法を使って意識を保った。魔力暴走が更に激しくなってソロが余計に苦しみ出すと、神殿長は簡単にソロを見限って、そして切断した脚を勇者達に送り付けるよう、ログに指示を出し始めたのだそうだ。


「そして次は片腕を、その次はもう片方の脚をと次々に与えて弱らせ、最後に目の前で首を断ち落として絶望させ、そなたらをオークへ変えようと」

 カッと頭に血が上って立ち上がりかけた勇者の額を神官が素早く押さえた。冷たい水の祝福が通り抜けて気持ちがなだらかになる。


「それを聞いた際の私は、まだ魔力が暴走していた。故に普段では考えられぬ強い力で……死したソロを蹴り落とすと這いずって脚を掴み、本来ならば強力な魔法など使えぬ太さの経路を焼き切って、それを影の炎で焼いた。風化の魔法だ、脚は原子まで分解され、跡形もなく消えた」

 淡々と語る賢者を魔法使いがぎゅっと抱きしめ、小さな声で「もう、もう大丈夫だからね」と囁きかける。


「人体の一部である脚が瞬時に消失したことで神殿長は私を危険と判断したのか、審問官達へ見張りをするよう言いつけると、双子を含めた数人の護衛を引き連れて転移で神殿へ引き上げた。そなたらが私の居場所を探していることは明白で、向こうにはハイロがいると残された何者かが囁いた。切り捨てられたことに気がついた審問官達は、しかし帰る術もなく、ひとまず私を鎖に繋ぐと指示通りその場に留まったようだった」


 どうも、乗り込んだ遺跡の敵の様子がおかしかった理由はそれだったらしい。賢者が疲れた顔で大きく息を吐き出し、話が終わったと判断した吟遊詩人がリュートを出して歌い始めた。優しい花の歌が広がり、傷ついた皆の心が少しずつ癒される。


「……わかりました」

 頷いた神官の一言目は震えたが、次の瞬間には凛々しい医者の顔に戻っていた。


「それでは義足を使用することを想定し、傷口を綺麗に整えて、後々痛みが残らないような治療を施します。魔法使いは賢者を眠らせながら魔力の補充を、吟遊詩人は木の後ろで歌っていてください。決してこちらを見ないように。あとの皆さんは少しの間離れていてくださいな」

 神官が指示を出し始めたので、勇者と審問官達は少し離れた場所まで移動して、彼らの方へ背を向けて腰を下ろした。審問官達は小さな声で何か会話を始めていたが、勇者はそこに混ざる気が起きず、黙って足元の草を眺める。


「……大丈夫か、酷い顔だぞ」

 しばらくしたところで、流石に気になったのかガレが困り顔で勇者の顔を覗き込むと、不器用そうな感じで「何だ、その……ハイロの頭でも撫でておけ」と言った。


「えっ」

 いいのかな、と思ってハイロを振り返ると、驚いてちょっと腰を浮かせながら「ガレ!」と責めるように言っていたので諦めた。

「……ログには礼を言っとかないとな。味方のあいつが代わってくれたから、賢者の脚は治療できるんだろ? でも、なんで新しい脚を生やせないんだろ……」


「自傷だからだ」

 フラノがぽつりと言った。


「ん?」

 目を合わせて首を傾げると、彼は少し居心地悪そうに金色の瞳を瞬いた。すると、兄の人見知り具合を見かねたらしいハイロが続きを話してくれる。


「自傷、つまり自らの意思で自らの肉体を損なった場合、それが例え自己犠牲であっても、神の癒しは得られません。ですから自らの脚を燃やしてしまったレフルスも、失った脚を顕現術で取り戻すことはできないのです」

「そう、なのか……あいつきっと、魔法使いが傷つくと思ったんだろうな」


 しんみりそう言うとガレが興味深そうにちょっと身を乗り出したので、勇者も「聞きたいか? 妖精と天文学者の恋物語」と言ってにやりとしたが、しかしその時神官が治療を終えたと勇者達を呼んだので「後で吟遊詩人から聞くといい、俺より話が上手い」と告げて賢者の元へ走った。賢者は既に目を覚ましていて、ついでに着替えも済ませたらしい。元と同じような黒ずくめだが、右脚の裾が断ち切られているのではなく、丁寧に膝まで捲り上げられていた。


「おお……流石だな」

 まじまじと覗き込むと、恥ずかしがりの賢者が嫌そうに顔をしかめた。しかし、凄いものは凄いのだから仕方ない。男のくせに服の裾をちょっと捲るのも嫌がる方がおかしいのだ。


 神官の治療した傷口は少しも痛々しくなかった。否、傷口という言葉は相応しくないと感じるほど、膝下までで終わっている脚の断面は白い肌が滑らかで、例えるなら肘と似たような感じに先がふんわりと丸い。まるで元からこの形に生まれたようになっていて、勇者はどうやら世界一の医者らしいロサラスの治療の腕の良さに舌を巻いた。


「……お前、脚にあんま毛が生えてないのな」

 傷がすっかり治ったことに安心して、賢者に笑顔を向けると軽口を叩いた。しかしくだらない話をして元気づけてやりたかった友は、とんでもなく下品な冗談でも聞いたような顔で勇者を凝視する。


「え、そんな顔することないだろ」

「あんまり見ないで……僕のだよ」

 そこで魔法使いが不貞腐れたように、くるくると裾を伸ばして賢者の脚を隠しながら口を挟む。


「いや、脚だぞ? それも膝より下だし」

「ねえ、針葉樹は……もしかして脚に毛が生えているの?」

「あ? そりゃ生えてるだろ」

「どうして……? 狼だからかな」

「そこまでふさふさじゃねえよ」

「まばらに生えているの……?」


 不安そうに尋ねる魔法使いがとんでもない想像をしていそうだったので、片足を膝まで捲って見せてやる。しかし妖精はパッと目を閉じて「はずかしいよ針葉樹! 恥ずかしい」と繰り返した。


「なんでだよ……」

 呆れていると、突然吟遊詩人が飛びつくように袖を握ってきたので頭を撫でてやる。全くどいつもこいつも、わけがわからない。

「──違うよ勇者、誰か来る。白くて人型、エルフかもしれない」


「は?」

 フェアリが焦った声で囁きかけてきた言葉に、警戒心が飛び起きた。気配を探るが、特に何も感じない。


「ほんとか? 何の気配もないが」

「君、いつも魔法使いが真後ろに来るまで気づかないじゃない」

「あ、そっか──」



  白眼しろめの民よ……我らの森に……何用か



 その時、どこからともなく涼やかな、しかし歌うように間延びした小声が聞こえた。ああ、これはエルフだなと思って声の方を振り返ると、白くてひらひらした服を纏ったえらく背の高いエルフが三人、木の枝の上に手を繋いで立っていた。


「何用かと、訊いている……白眼の、いや……脚毛あしげの民?」


 真ん中のエルフがこてんと首を傾げた。勇者は迷ったが、とりあえずズボンの裾を戻して脚を隠しながら「脚毛の民はやめてくれ……」と返した。





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