四 突入



 それから二日が経った。


 今まで火の神域の影響が強い土地にいたので気づかなかったが、もう季節はすっかり冬になっていたらしい。進めば進むほど雪深い土地になっていたが、しかしフラノ達との旅はかなりの強行軍にも関わらず存外心地が良かった。彼らは言葉を交わさずともテキパキと火の魔法で道を作り、食事のための獲物を狩り、慣れた手つきで捌き、ロサラスの倍の速度で焚き火の薪を組み、勇者がほとんど何もしなくても憔悴した仲間達が心地良く過ごせるよう気遣ってくれた。自由気ままな剣伴達と違って互いに連携することに慣れているし、そしていとも簡単に勇者をその連携の仲間に入れてくれる。自分と変わらない実力のあるフラノと協力し合って狩りをするのはシダルにとってとても新鮮で、世界を救ったら帰りは彼らも一緒に帰ろうと、彼は日を追うごとに擦り切れ動かなくなってきている心でこっそり決意した。


 そして、三日目の夕暮れ時。ついにハイロが術で賢者の居どころを掴んだ。


「風よ、教えて……エルフト様の愛し子の居場所を。世界一豊かな叡智の祝福を持ち、この淀んだ地で一番混じり気のない影の魔力を持っている人を」

 囁き声でハイロが歌い、風に語りかけ、そしてじっと耳を澄ます。そして途中で一度大きく目を見開くと、勇者に一度頷きかけてから、目を閉じて更に術へ集中した。


「見つけたのか!」

 ずいぶん久しぶりな気がする笑顔を浮かべながら、ハイロが目を開けた瞬間に叫ぶように尋ねる。彼女ははっきりと頷いてくれた。


「それらしき人影を発見しました。生きています。しかし反応が弱い……風の通り具合からしておそらく地下にいますので、その反応の弱さが環境ゆえか衰弱ゆえか判断がつきません。急いだ方がいいでしょう」


 頷いた吟遊詩人が、皆の方を向いて複雑な旋律の口笛を吹いた。すると疲弊していた体力が戻ってくるような感じがして、疲れた様子で体を休めていた馬達がさっと顔を上げる。

「気の魔法で気持ちだけ高ぶらせるのとは違うから、体に影響がない分そんなに無理も利かないよ」


「十分です。目的地はここからそう遠くない。風の届きにくい場所であるために、いつもよりも近づくまでわからなかったようです」

 ハイロが頷いて勇者を見上げ、勇者はフラノに視線を投げて頷いた。荷物を纏めて馬に乗り、魔法使いの魔法の明かりで照らしながら夕闇の中を疾走した。


 その場所まではほんの数時間しかであったはずだったが、永遠に辿り着かないのではと思えるくらい長く感じた。目的地の手前でフラノが片手を上げ、明かりを消すと馬を止める。時刻はもう真夜中を過ぎていたが、夜襲の方が良かろうとそのまま攻め込む計画を立てた。魔法使いが全員に姿が消える擬態を掛け、神官が周囲の人間にぶつかっては転びを繰り返したので解かれた。そのまま息を潜め遺跡の入り口までそろそろと距離を詰める。


「……一人も残すな」

 押し殺した声でフラノが呟くように言った。いや、こちらの声や足音が届かないようハイロが術を使っていたので、ただこいつの声が小さいだけかもしれない。ライが「ロドとログは」と尋ねると、フラノは勇者を振り返って「できる限りでいい、双子は生け捕りにしてくれ。後は全員殺せ」と言う。


「……わかった。吟遊詩人、目隠ししとけ」

 ごくりと唾を飲んだが、それでも頷いた。賢者を取り戻すためなら敵を殺すくらいどうもない、と自分に言い聞かせる。


「何言ってるのさ、こういう時は僕が一番役に立つでしょ? 壁の向こうの敵までちゃんと見ておかないと」

 吟遊詩人が絞り出すように明るい囁き声を出して、右手の指の間に投げナイフをどっさり挟んでみせた。滑らかな動作に、ガレが「そうか、月の護衛妖精か」と感心したような顔をする。


「水のルファも……助けてはいただけませんでしょうか」

 そこで神官がおずおずと、小さな声で言った。するとフラノはあっさり頷いて「ルファもだ」と言う。顔は覚えていなかったので見つけたら教えてくれと言うと、思い詰めた顔でこくりと頷いた。


「私と針葉樹が先頭、ライとガレで背後を守れ」

「シダルだぞ、フラノ」

 ライが言いながら背後に回る。さっとフラノが手を挙げた瞬間に素早く矢をつがえた勇者が、四角い穴のような遺跡の入り口に立つ見張りの頭を二人同時に射抜いた。


 声も立てずに二人の人影が崩れ落ちる。殺してしまった、と一瞬胸が苦しくなったが、この三日で勇者の精神はほとんど擦り切れてしまっていたので、痛みは僅かしか感じなかった。後ろのロサラスが追いつける速度でフラノと並んで先頭を駆け、ヒビだらけの石の階段を駆け下りる。通路にはあちこちに篝火が焚かれていて、魔法使いの明かりを待たずともそのまま突き進めた。向こうで誰かが叫び声を上げ、緊急時に備えて詰めていたと思われる気の審問官達が十数人、近くの部屋からどっと走り出てきた。


 勇者が聖剣を振ると、燃え上がった金青色の炎が風の術を弾き返し、纏めて三人が上下に分断されながら光になって消えていった。威力でまさったというよりは、何か神がかった力が働いたような感じだ。目の前の死に吟遊詩人がヒュウッと大きく息を呑んだが、すぐに息を詰めて耐え抜く。


「凄いな」

 炎を見ながらフラノが言って、二人まとめて胸を貫いていた槍をぶんと振った。やはり異端審問官だからだろうか、こちらはかなり慣れた様子だ。ぐしゃりと抜け落ちた遺体に剣を向けると、浄化の炎が燃え上がってそれを消し去る。大きな炎に足を巻き込まれたガレが小さく「きゃっ」と言って飛び退いたが、少しも焦げていないことを確認すると、恥ずかしそうにフードを引き下げる。

「……熱は感じるが、我らのことは害さぬらしい」

 ぼそりと言ったガレに「仲間は絶対焼かないから、気にせず突っ込め」と返す。


「遺体も血痕も残らないというのは都合がいいな。何があったのか悟られにくい」

 後ろから現れた数人をさくさくと貫きながらライが言った。現れる敵も異端審問官である以上それなりの手練れのはずなのだが、ライもガレもまるで手応えがなさそうに倒してゆく。神殿最強の名は伊達ではなかったと、密かに感心しながら彼の言葉に頷いた。


「こいつら魔獣並みに淀んだ気配が濃いからな。浄化しとかないとこっちが淀みにやられる。俺もこんなとこで腹壊してられない」

「腹を壊す……?」


 しかし喋っていると注意が疎かになって、飛んでくるナイフを一本見逃した。風の魔法で勢いをつけたそれを、背後から勇者の肩に手を突いて飛び上がった吟遊詩人が短剣で払い落とす。


「悪い」

「問題ないよ──魔法使い、歌うからみんなをお願い」

「歌う?」


 妖精は勇者の疑問に笑みを返し、魔法使いが頷いたのを確認するとそのまま勇者の肩に座って、そして小さく息を吸った。



  ねえ こっちへおいで

  森の奥へ

  面倒なしがらみを捨てて

  いつまでもいつまでも

  僕らと遊ぼう

  さあおいで

  向こうは楽しいことばかり



 いつもの爽やかでキラキラした音楽とは違う、無邪気さと妖艶さが入り混じったような不思議な声でそれは歌われた。囁き声のような小さな声なのに、なぜか奇妙にはっきり響く。耳から入った声が頭の中を何度も繰り返し跳ね返って、思考を揺らす。翅の生えた少年ルシナルではない、人ならざる妖精の歌だ。


 一瞬ぼんやりしたが、少し冷たいエルフの手が額に触れると意識がはっきりした。周囲を見ると、なんと取り囲んでいた敵が揃って武器を捨て、皆ふらふらとした足取りでこちらへ歩いてきているではないか。


「針葉樹」


 注意を促すフラノの声にハッとして、近付いて来た数人を剣をなぎ払った。鋭い刃に切り裂かれながら、無抵抗の敵が青い炎の向こうへ消えてゆく。背後でガレが空中から真っ赤に燃える魔力の弓矢を取り出し、高く燃え上がる浄化の炎を通すようにして次々と連射する。赤い炎に勇者の青い炎が燃え移り、浄化の性質を得た炎の矢が、遠方の敵をさらさらと光の粉に変えた。


「うわ、何だ今の」

「ガレは器用ですからね」

 ライが答えると、彼女は弓矢を消してぷいとそっぽを向いた。


 それから一行は、特に強敵に遭遇することもなく、着実に賢者が囚われている部屋へと近づいていた。段々と敵は数を減らし、中には勇者達を見るなり逃げ出す者も出てくる。少し可哀想だったが、フラノ達を見てしまった以上、そういう人間は後ろから弓で倒した。絶命させてから駆け寄って浄化し、残った矢を拾う。全てが少し遠く感じる今の精神状態でも、酷い気分だった。


「様子がおかしい」

 その時フラノが呟いた。それにライも同意する。

「そうだな、弱すぎる。それに統制が取れていない。何かあったのだろうか」


 どうやら気の審問官達を知る彼らに言わせると、ここまでほぼ無傷で乗り込めてしまった状況はやはりおかしいらしい。吟遊詩人とハイロが探るが、遺跡の中にはソロも双子も、水持ちもいないようだ。もしや何かの罠かと勇者は警戒を深めたが、その時吟遊詩人が壁の向こうを見ながら「賢者!」と安心の混ざった涙声で叫んだので、全てが吹き飛んだ。彼の指差す方向へ走り、見張りの人間を一太刀で切り捨てると、扉のない部屋へ駆け込む。


「──シラ!」


 悲痛な声で魔法使いが叫び、勇者のわきを流星のように駆け抜けると賢者に縋りついた。石の壁にもたれかかって座る賢者は真っ赤な顔でびっしょりと汗をかき、息が荒い。意識はないようだが、しかし生きている。


 勇者もすぐに走り寄って、震える手で賢者の頭をそっとひと撫ですると、重たい手枷の鎖を彼の頭上の壁から引っこ抜いた。床に転がったそれに聖剣を突き立てると、バターのように鉄の鎖が分断された。怒りの余り力を込めすぎたらしく、床に剣が半分ほど突き刺さった。


「シラ、シラ……目を覚まして」

 魔法使いが涙を流しながら賢者の頰へ頰をすり寄せ、そして赤く腫れた擦り傷に唇を押し当てた。傷口から魔力が受け渡され、薄くなっていた気配が戻ってくる。星がきらきらと舞って、顔や手首、噛み切ったらしい唇の傷がじわじわと治り始めた。どうやらこの妖精は治癒の魔法も多少使えたらしい。それとも愛ゆえの奇跡だろうか。勇者は彼の全身に目を走らせて大きな怪我がないか確かめ──そして大きく息を呑んだ。


 と、高熱に喘いでいた賢者が、薄っすらと目を開けた。魔法使いの青い瞳に視線を合わせ、少しだけ口の端を上げて微笑む。愛する人を取り戻したエルフが安堵の涙を流し、もう離さないと囁いてそっと守るように頭を胸元に抱き寄せた。勇者はそれを心のどこかで喜ばしく思いながらも、しかし一点から目が離せない。


「お前……お前、脚をどうした」


 震える勇者の声に賢者は答えようとしたが、既に治療を始めている神官が「今は喋らず、体力を温存なさい」とぴしゃりと言って黙らせた。


 賢者が僅かに頷き、魔法使いが耳元で「怖かったね、もう大丈夫だからね」と繰り返し囁いた。吟遊詩人はその特別な目で賢者の全身の魔力の流れを確かめ、テキパキと神官へ報告している。


 しかし勇者はそれでも、賢者の脚を見つめたまま動けなかった。周囲を警戒していたフラノが戻ってくると、落ち着かせるように勇者の背を叩く。そこでようやく息を吐き出して、心の整理をしようと勇者は拳を握りしめて天井を見上げた。


 黒い服で覆われた賢者の脚はぐっしょりと鉄の匂いのする液体で濡れていて、右脚が、膝の下までで途切れていた。





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