三 追跡




 消えてゆく黒ずんだ緑の光へ手を伸ばして咽び泣く魔法使いをしっかり抱きしめ、地面に座った勇者は友の背を叩きながら荒れ狂う心を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。比較的落ち着いてるように見える神官が駆け寄ってきて、魔法使いの額に手を当てると強制的に眠らせた。乱暴なようだが、勇者も今はその方がいいと思う。


「転移先は」


 その時、低くて落ち着いた聞き慣れない声がして見上げると、フラノが立っていた。

「ガラバ神殿か」

 無表情のまま淡々とハイロに話しかけている。


 フラノが喋った……。


 一瞬注意を持っていかれたが、ハイロが彼とよく似た話し方でソロ達の行き先について話し始めたので、恐怖で息苦しい胸を無視して耳を傾ける。


「使用した魔石の数からして、ガラバではありません。もっと距離の近い……砂漠ではないでしょうから、おそらくガラバとゴドナの中間地点よりは北寄りの、街はありませんから森の中、洞窟か何かに潜伏しているかと」

「術で、特定できるか?」


 勇者が掠れた声で問うと、ハイロは一瞬痛ましそうな目をしてから首を振った。

「試してはみますが、ソロは私の魔力の届く範囲を把握していますから、そこからは外れているはずです。ガラバの方角、つまり南西に向かって進みながら定期的に探りを入れるのが望ましいでしょう」


「私はここで別れるぞ」

 そこで、何の感情も込められていない落ち着き払った声で監察者が口を挟んだ。

「神殿に戻り、奴の審判の準備を進めておく。ソロのことだ、おそらく神殿長との間にも何か悪巧みを抱えておるのだろう。それも纏めて裁くこととしよう」


 フッと不敵に笑ったローリアを見ると少しだけ冷静さを取り戻した。ガレが「一人で帰れるか」と尋ね、ローリアが「問題ない。汝らの帰還の予定をそのまま使わせてもらうだけだ」と肩を竦める。審問官達がそれに頷き、口笛で黒霊馬こくれいばを呼び寄せた監察者がひらりと跨った。それと一緒にライも別の黒霊馬に乗ると「人数分の馬を調達してくる」と走り去る。


「……針葉樹」

「シダルだ、フラノ」

 話しかけてきたフラノの言葉を、ガレがさっと訂正した。


「何だ?」

 その名で呼ばれ慣れている勇者が気にせず先を促すと、フラノが僅かに視線を泳がせながら喋った。どうやら声を出して話すのに少し気後れするらしい。


「我々はまだ、神殿長派と衝突すべきでない。故に、既に異端者とされている君に、一時的に我々の罪も被ってもらいたい」

 何を言っているのかよくわからないが、フラノは人見知りでも判断力には優れていそうなので頷いておく。

「……よくわからんが、わかった」


「フラノ、それではこちらの意図が伝わらぬ。勇者殿も、わからぬまま受け入れるな」

 間髪入れずガレに指摘された。賢者よりだいぶ早口で語調が強く、気の強そうな感じに思わずこくこくと頷く。


「ご、ごめん」

 勇者が謝ると、彼女は肩を落として呆れた顔をした。

「監察者ローリアは、彼女にしか動かせぬ騎士団を独自で抱えている。我ら三人が神殿長派という最大派閥の人間を全て排除するには、その勢力がどうしても必要だ。ここで我らが賢者殿を救うために彼女の審判を待たず力を振るえば、我らもまた異端とみなされ、情状酌量があったとしても数年の謹慎は免れられぬ。それでは審判に間に合わず、正当な手段で神殿長派を叩き潰せなくなる。神殿騎士達はそれなりに強いのだが、それでも戦力としてフラノが欠ける事態は避けたいのだ」

「うん」

 思ったより歯に衣着せぬ物言いをする人だな、と思いながら頷く。


「故に、今回の救出は汝ら剣伴が単独で行ったことにしてもらいたい。ローリアがすぐにこの場を去ったのは、我らの手助けを見逃すという意思表示だ。恐らくは武力でもって奪い返すことになるために、汝らに暴力の罪を着せる結果となるが、彼女がこのまま知らずに済むよう協力してくれ」

 歯に衣着せぬが、簡潔でわかりやすい説明だった。今度こそ自信を持って頷く。


「ああ、わかった。責任は全て俺が取る。だから力を貸してくれ」

 胸に手を当てて深く頭を下げると、フラノが淡々と言った。

「善き者を助けるのは、神に仕える者として当然のことだ」





 それからもうしばらく、早く早くと急く気持ちを押さえ込みながら待っていると、予想したよりもずっと早くにライが馬を引き連れて帰ってきた。ライが先頭を賭け、その後ろに脚の速そうな茶色の有角馬が二頭続き、ローリアを乗せていたと思われる黒霊馬が後ろから追い立てている。


「冒険者向けに売っている有角馬を二頭買った。植生の関係上この森より北へは行けぬが、南へ下る分には問題ない。シダルはローリアの黒霊馬でルーウェンを運べ。体力はあるが六本脚は扱いが難しい。一角獣を乗りこなす君が適任だ」


 ライがテキパキと指示を出してから「シダルと名で呼ぶが、良いな?」と確認してくる。それに頷き返して黒霊馬の鞍に荷物をくくりつけ、眠っている魔法使いを抱き上げると馬の頰に触れた。

「仲間を救いたいんだ。急ぐ旅だが、乗せてくれるか?」

 尋ねると、美しい牝馬は穏やかに瞬いて勇者を受け入れた。急いで跨ると、ガレが「流石だな」と微笑む。手綱を握る手をまだ震わせている勇者を励まそうとしてくれているのがわかって、少しだけ気持ちが落ち着いた。


 神官と吟遊詩人がそれぞれ馬に乗るのを待って、ライが「行くぞ!」と声を上げる。道案内役のハイロを後ろに乗せたフラノが先頭を走り、その後ろに勇者が、有角馬二頭を挟んでライとガレが殿を走った。彼らの統制のとれた動きに励まされながら、ひたすら前に向かって馬をる。滑るような不思議な走り方をする黒霊馬は眠れる妖精を運ぶのに丁度よく、あまり揺さぶらずに進むことができた。


 所々で馬に水を飲ませつつ、その日は日が沈むまで駆けた。過酷な旅に慣れている審問官達は夜でも走れそうな感じだったが、馬達には休養が必要であったし、神官と吟遊詩人もそろそろ限界だった。崩れるように馬から下りた神官が野営の準備を始めている審問官達に目をやって、魔法使いを馬から降ろしている勇者を見て、そして糸が切れたように地面に座り込むと袖口で顔を覆って泣き始めた。


「私の……私のせいです。ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 悲痛な声を上げて咽び泣く神官を、吟遊詩人がしっかり抱き寄せた。目の縁が赤いが、涙は流していない。少年は一度目を閉じてゆっくり息をすると、神官の耳元で優しく語りかけた。

「ロサラスのせいじゃない。絶対に、絶対に違う。自分を責めるより、今は前に進もう……」

 語尾が涙で掠れた。勇者は彼らをまとめて抱きしめてやろうと足を踏み出しかけたが、その時背後で恐慌状態に陥ったような悲鳴が聞こえたので、慌てて振り返ると魔法使いの肩に腕を回す。


「すみません……私が起こしてしまいました」

 眠りの術を解いてやったらしいハイロが慌てた様子で魔法使いの背をさすってやっていた。申し訳なさそうな彼女に「それでいい、あんまり長く寝かせてても良くないから」と返して、雨のように涙を流す魔法使いの目を覗き込む。


「落ち着け、マーリアル」

「シラが、シラが死んでしまったらどうしよう……もう二度と抱きしめられなかったらどうしよう! そんなの、そんなの僕は耐えられない。木にならないで死んでしまう。助けて、僕の愛する人を助けて、シダル!」


 誰もが口にしなかった不安を叫ぶ妖精に、心が鋭く痛んだ。再び魔力が暴走しかけているのか、ぎゅっと抱きしめると星から注ぎ込まれた魔力が体内で飽和して、全身にビリビリと痛みが走る。


「ルーウェン。希望を、見失うな」

 痛みに耐えながら語りかける。溶けてなくなりそうな氷の瞳を、鮮やかな空色が覗き込んだ。その光が唯一の希望であるかのように、視線が縋りついてくる。

「良いか、お前が潰れないためじゃない。お前を待ってる賢者のために、勇気を振り絞れ。あいつは必ず生きてる。怖い想像は全部忘れろ」


 自らも恐怖を振り払いつつ、荒れ狂う激情を押さえつけながら、勇者は力強く言った。

「俺は必ず賢者を取り戻す。だからお前も決して折れず、俺についてこい!」

 倒れ込むように勇者の胸元に顔を埋めた魔法使いがこくりと頷き、彼は荒れ狂う魔力を意志の力で強引に鎮めてみせた。そこに神官の手を引いた吟遊詩人が走ってきて、勇者の腕を掴むと魔法使いの隣にぐいぐいと泣いている友を押し込み、抱きしめさせる。


「よし……」

 吟遊詩人はひとつ頷いて、心配そうに手を止めて彼らを見守っている審問官達に気丈にもにっこりして見せた。そして勇者の目の前に座り込んでリュートを取り出し、宝石のような瞳に周囲を魅了するような笑みを浮かべて囁く。

「目を閉じて、聴いてて……妖精になった僕が、今までとは違う魔法の歌を聴かせてあげるから」


 言われるがまま素直に目を閉じる。瞼の向こうでやわらかくかき鳴らされた音色は、なんとなく以前と少し調弦が違っている感じがした。少し複雑に濁っているような、しかし不協和音と呼ぶには美しすぎる不思議な音色だ。



  そこに愛があるから

  君は決して見失わない

  そこに愛があるから

  君は決して折れない


  天を仰いで祈れ

  神に愛を歌え

  君の愛が 愛する人に届くように

  君の愛が 愛する人を慰めるように

  愛する人が 光を見失わないように



 妖精の魔法が勇者の心を優しく包み、勇気と希望をこれ以上ないほど注ぎ込んだ。賢者は今頃どうしているだろうと考えると足が竦むが、それを補って有り余るほどに、早く助けてやりたいという願いで満たされる。


 目を開けると、腕の中の仲間達の瞳に生きた火が灯っていた。彼らをもう一度ぎゅっとしてから解放し、背から聖剣を抜いて地面に突き刺す。小指の高さほどの小さな炎が燃え広がって周囲を早朝の空色に染め、淀んだ空気を浄化した。不安定な気持ちを更に揺さぶってくる淀みが晴れると、皆の顔色がもう一段良くなる。


 すると、じっとそれを見ていたガレがぽつりと「確かに……汝の言う通り、目を奪われる鮮烈な希望の色だな」と呟き、ハイロがびくりとして「ガレ、それは」と唇の前に人差し指を立てた。


 それを吟遊詩人が少し楽しそうに目で追い、立ち上がった魔法使いが、張り詰めた目をしながらも食事の準備を始める。


 勇者も天幕を張って、賢者が縫い付けた魔石を握って内部を暖かくする。


 追加の薪を拾っているうちにスープが出来上がって、ハイロ以外の審問官達が驚愕に目を見開きながらそれを食べるのを──どこか透明な壁越しに見ているようにぼんやりした心の中から、勇者は満足して見つめた。


 皆傷ついて、不安で、恐怖を押し殺していたが、なんとか形は取り戻した。心の中には血を流す大きな穴が穿たれていたが、見失いそうだった希望の光はしっかりとそこにあった。勇者は何か言葉にならない強い感情を込めてぐっと拳を握り、力加減を間違って手のひらから血が滲んだのを見て、皆にばれないようそっと深く息をついた。


──待ってろ、すぐに行くから。お前は上手く立ち回って時間を稼いでろ


 こちらから伝令鳥を出すのはかえって賢者を危険に陥れると言われていたので、心の中で強く強くそう念じた。今日一日で随分遠くまで来たと思ったが、ハイロの術にはまだ反応がない。しかし明日には必ず居場所を突き止めてみせると、勇者は強く思った。今の段階で彼にできることはほとんどなかったが、それでもそう決意していなければ、心が壊れてしまいそうだった。





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