第五部 苦難と愛

プロローグ 火の神殿にて(ログ視点)



 どうして、こうなってしまったんだろう──


 それは世界最北の神殿、ガラバ中央神殿の南庭にそびえ立つ火の塔での出来事だった。激しく言い争うライとロドを見て、ログは帯の端に下がっている金属の飾りをいじくり回しながら深いため息をつく。


 双子の兄弟のロドと二人揃って異端審問官として認められた時は、神殿最強と名高いフラノやライと共に神に仕えられることを喜んだものだが……いつの間にロドは、こんなに歪んでしまったのだろうか。


「何だログ。考えがあるのならば、態度ではなく口に出して言いなさい」

「いえ……何でもありません。ただ、悲しくて」


 ため息をガレに見咎められてそう答えると、彼女はわけがわからないという顔で眉をひそめて首を振った。とはいえ聖職者なので価値観の異なる彼にも嫌悪感は抱いていないようだが、この厳格で気の強い第三審問官は、どちらかというと内向的でうじうじしたログの考えていることがとことんわからないらしい。


「ログよ、汝はどうも周囲に流されるまま行動しているように思えてならない。考える力は持っているのだから、そろそろ自らの信念を貫けるようになれ。いずれ後悔することになるぞ」

「……今はまだ、その時ではないのです」


 実を言うと彼はこの凛とした女審問官のことが結構怖かったが、勇気を出して深い青色の瞳を見つめ、初めてはっきりと自分の……考えとも言えない考えを伝えた。するとガレは少し面食らったような顔をして、少しだけ笑顔になる。


「何だ、はっきり話せるじゃないか」

「……私とて、もう成人して四年は経ちますから」

「ああ、その調子だ」


 そう、話してみればこんな風に決して嫌な人ではないのだが、どうにもその真っ直ぐな背筋と勝気そうに吊り上がった目、よく通る声に身構えてしまう。いつだったか頭のおかしいことを言い出したソロを正面から一撃で殴り倒したところを見てから、更に怖くなった。


 そう、今はまだその時ではない。私が自らの信念を貫いたら、ロドの味方がいなくなってしまうから。否、いつかロドを正しい道へ引き戻すことこそ、私の信念なのだから──


 単に自分が内気なのはちょっとだけ棚に上げて、ログはひとり深く頷いた。それを見てガレがまた呆れ顔になるが、しかし彼女はその時ロドが大声を上げたのに反応してさっと振り返った。説教されなかったことにホッとしつつ、激昂している片割れを鎮めるために立ち上がる。


「ならば問う。汝らは勇者シダルの審判を取り下げ彼を擁護すると、そう申すのか!」

「……ロド、落ち着いて」

「黙れログ。お前はいつも俺についてくるばかりで、貫く信念がないのか!」

「そんなことはないよ……」


 困ってしまったログを見てライが苦笑すると、ロドヘ向かって厳しい顔で言葉を返す。

「……そうではない。オークを生み出したソロもまた異端であると、そう言っている」

「綺麗事だけでは世界は救えないと、なぜわからない! 異端とは神の御意志を妨げるもの。神への信仰から為したそれは、罪はあれど異端ではない!」


 単純なロドは気づいていないようだが、幼い頃から神殿で清廉に育ったライは嘘が下手だ。ロドとログを除く火の審問官の彼らがとっくの昔に勇者の味方へ回っていることなど、ログにしてみれば一目瞭然だ。気の神殿とのやり取りも最近はハイロが間に入らなくなったので──というか、彼女の身の危険を感じたらしいフラノが妹を守るためにそうさせたので──気との会議は主にライとソロが話しているが、たぶん、いや絶対ソロにもバレている。


 かの御仁が何も言ってこないのは、フラノが強すぎるからだ。叡智と魔法の神であるエルフトの加護を受けた人間は優れた術者であることが多く、ソロは神殿の中でも特に力のある催眠術師だが、やはり「戦い」となると火の祝福持ちは決して侮れない。いくら策を巡らせても勇気と信念でそれを覆すような理不尽な強さが、フラノにも……そして勇者シダルにもあった。本来は互いの欠点を補うような気と火の祝福を牽制のように使わざるを得ない状況が、なんとも嘆かわしい。


 結局ロドは問答でライに勝てず、ライもロドを改心させられず、ログも彼を止めきれず、怒ったロドは怒りで魔力を燃え立たせながら部屋を出て行ってしまった。しかし最近ではそれもよくあることなので、見送ったライは残念そうにため息をついただけだ。が、うろうろと部屋を歩き回って懸命に怒りを押し殺しているガレが今にも退室したロドを追いかけて殴り飛ばしそうな顔をしているので、少し気分を変えてくれないかと頃合いを見計らってライに声をかける。


「……ねえライ。ところで、ライから見たガレってどんな人です?」


 声を潜めて、しかし本棚の前で書類をパラパラと捲っているガレに聞こえるくらいの声で尋ねた。話題の転換が唐突すぎたかとも思ったが、しかし彼女は特に不審がることもなく、ぴたりと動きを止めてそっとこちらに背を向けた。そして察しの良いライはログが場の空気を和ませようと彼なりに努力しているのを悟ったらしく、少し口の端を持ち上げて微笑むと彼の方へ丁寧に向き直ってくれた。


「おや。どうしてまた、急にそんなことを?」

「……私は彼女の強くて厳しいところしか見たことがありませんが、付き合いの長いライには、きっと違う面も見えているのだろうなと思って」

「そうだな。審判の際は非常に厳格で、槍も盾も偏りなく鮮やかに使いこなすが……普段は大人しくて恥ずかしがり屋だよ」


 それは、貴方の前だからでしょうに──


 そう思ったが、知らない振りをして頷く。視界の端でガレの肩がぴくりと揺れて、手にしていた紙束の端を机の上で丁寧に揃え始めた。


「ああ、それと……最近ハイロと伝令鳥でよく話すようになって、笑顔がやわらかくなった」

「ふうん……よく見てるんですね。仲が良いですが、ライにとっては妹みたいな感じですか? フラノがハイロを大事にしているみたいな」

 そう尋ねると、これは少し意外なことにライは苦笑して首を振った。


「それは彼女に失礼だろう。特別目をかけて守り愛でるほど彼女は弱くないし、それに、私の血縁にしては美しすぎるよ」


 部屋の隅で背を向けて意味もなく書類を整理していたガレの耳が真っ赤になった。わなわなと手を震わせ、その拍子に持っていた紙を床にばら撒いて慌てている。その音に振り返ったライが手伝うために歩み寄ると、更に慌てふためいた末に机にぶつかり、倍の量の紙を床にぶちまけた。


「珍しいな、君がそんな失敗をするなんて」

「私とて、そういう時もある……が、汝の手を借りるほど困ってはいない」

「まあまあ、そう言わず……おや、君はまた熱があるようだ。その無理をしすぎる癖を直しなさいと、何度言ったら」

「熱など出していない!」


 その通り、熱など出ていないだろう。ただ、恥ずかしくて顔が赤くなっているだけだ。しかしライは心配そうに眉を寄せると、林檎のように赤く染まった彼女の顔に手を伸ばした。


「嘘をつかないで、こんなに頰が熱いのに」

「わ、私に触れるな!」

「ここは後で私が片付けておくから、部屋に戻りなさい」


 そう言ってライはひょいと彼女を横抱きに抱え上げ、部屋の外に向かって歩き出した。小柄なライと長身なガレではほとんど背丈が変わらないが、まあ火の審問官なので抱き上げるのに体重はあまり関係ない。


 様子を見るに、ライはどうやら彼女の部屋まで送り届けるつもりらしい。女性神官の寝室塔には立ち入れないが、どうするつもりなのだろう。ログは首を捻ったが、まあ本当に具合が悪いわけでもなし、部屋の前まで行かなくても別に問題はないかと肩を竦めた。


 なぜ彼は、ガレの気持ちに全く気づかないのだろうか? こんなにあからさまなのに。


 まあ審問官も人間である以上、時には異性に恋心を抱いてしまうことはある。大切なのはその時にどう振る舞うかであって、懸命に恋心を押し殺してライを遠ざけようとしている彼女は──ソロのような特別頭のおかしい人に尋ねれば違う答えが返ってくるだろうが──色恋を許されぬ神殿の中でもそれほど罪深いという感じではなかった。だがライが、彼がちっとも気づかないせいで距離を詰めすぎるのだ。優しい性格のせいで事あるごとに彼女を構い、辛い時には肩を叩き、具合が悪ければ抱き上げたりしているせいで、ガレは己の恋心とずっと戦い続けなければならない羽目に陥っている。


 本来ならば自分の気持ちを打ち明けて距離を置いてくれと頼むべきところだが、ライはいかんせん仕事以外だと思考回路が妙ちきりんで、彼女もまたログと同じように下手なことを言えば却っておかしなことになりそうな気がしているのか、それとも単に恥ずかしいのか、それも言い出せないでいる。


 ログはログでこうして困り果てた彼女が過剰に反応する度に「今日こそ気づくだろうか」と見守っているのだが、今のところそんな気配は微塵もない。恋をするのになんの支障もない町娘ならそれでも良いだろうが、神官のガレにとっては酷な状況だった。


「あんまり構うと、彼女が可哀想ですよ」

 満足げに戻ってきたライに釘を刺すと、彼は案の定目を丸くして首を傾げた。

「えっ……? 私は、嫌われているのか?」

「そうじゃありませんけど、恥ずかしがってるでしょう」


 ライはその後しばらく「しかし体調が悪ければ、仕方がないのでは……?」と首を捻っていたが、何か彼の中でろくでもない結論が出たらしく、いやにすっきりした顔をしてログの方へ向き直った。


「ログ……君は、そのままでいてくれよ」

「え?」


 唐突にそんなことを言われてきょとんとした。そのままでと言われるほど大したことはしていないはずで、むしろ彼はついさっきまでライと喧嘩していたロドについて回っているのだが、一体何の話だろうか。


「……確かに君はものすごく頑固だが、だからこそ、ソロと行動を共にしても染まらないでいられるんだ。ソロ達が……また何か、企んでいるのはわかっている。できる限りでいい、素直で染まりやすいロドを守ってやってくれ」

「あ……はい」


 思考回路は時々妙ちきりんだが、流石に第二審問官だった。恋には疎くとも人のことをよく見ているし、真実を見抜く目を持っている。付け加えるなら、穏やかで優しいから内気なログでも話しやすい。


「……私は、火の女神がお好みになるような勇敢さを欠片も持ち合わせていない。私が火の祝福を授かったのは、勇気ばかり有り余って攻撃しかできないロドの盾になるためだと思っています。我らは二人で一人なのです。必ず彼を、淀みの向こうから取り戻します」

「そういうところは、充分勇敢だと思うけれどね」


 実はこっそり尊敬しているライにそんな風に言われて、少しだけ勇気が出た。助言をくれた彼へ丁寧に一礼し、拾い上げた書類を丁寧に机の端に積み上げると、ゆっくりとロドの後を追って気の神殿へと歩き始める。


 ここと違って空気の淀んだ塔へ行くのは気が進まなかったが、仕方ない。沈黙を守り、粛々と従い、仲間のような振りをして──大事な片割れを、神殿の地下で生み出されているオークに関わらせないよう立ち回らねばならないのだ。





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