三 サロン



 宿……は宿なのだろうが、建物としては城だった。赤煉瓦の可愛らしい街並みの中に建つ灰色の城を、建築好きの神官が興味深そうにじいっと見つめ、街の色合いから少々浮いている様子を見比べて微妙な顔をする。

「この国で最も格式高い建築はヴェルトルートから切り出してきた灰色の石を使ったものだと聞いていましたが、なんだか……この国本来の文化に合っていないような感じがしますね」

 賢者の塔と同じ素材なのが素敵なんですって、と話す彼を賢者がすごい目で睨んだ。


 両開きの大きな扉をくぐると、従業員らしい白と黒のお仕着せを来た人達が、ずらりと左右に並んで頭を下げた状態で待ち構えていた。そんな彼らが一斉に「おかえりなさいませ」と言うものだから勇者は思わずビクッとして隣の神官にぶつかったが、しかしそわそわしている仲間達の中で賢者だけがどうでも良さそうにそれを眺めているので、こいつはやっぱり貴族生まれに違いないと確信を深めた。


 部屋は「賢者の間」と呼ばれる一室、ではなく、これは全部で何部屋あるのだろうか? 天井からシャンデリアが下がった居間に、見慣れぬ大型の楽器が置いてある広い談話室。ざっと紹介されただけでも風呂が四つ、書斎付きの寝室が六つ、どうも泳いで遊ぶためのものらしい大きな水風呂のようなものが一つ。広いバルコニーに、衣装がぎっしり詰まった部屋、大きな図書室……要するに部屋というか、家だった。貴重な本ばかりを集めたのだという広い図書室を──ずらりと壁に並んだ歴代賢者の肖像画を見ないようにしながら少し嬉しそうに眺めている賢者に、支配人と名乗った男が、この宿は地階から国立大図書館に地下道で繋がっているのだと少し緊張した様子で話しかけている。


「ご利用の際は一色前までにお知らせいただければ、地下通路及び大図書館貸切の手配をさせていただきます」

「気遣いは嬉しいが……ふむ、閉館後に利用させてもらうことは可能かね?」

「勿論でございます。閉館は紺の零時ですので、いつでもお申し付けくださいませ。ああ、民の勉学を妨げぬようにとお気遣いくださったのですね。これは新たな伝説として書き留め、王宮へ提出しませんと」

「……王宮へ、提出、とは」

「賢者様に関する新たな情報は、全て王家へと報告することが義務づけられているのです。ああ、しかし賢者様のご希望とあらば私は何であれ秘匿いたしますので、そのように仰っていただけましたら」

「いや……好きにしなさい」


 客観的に見れば無表情だが、慣れてきた今はかなり困った顔をしているとわかる賢者をキラキラと見つめつつ、支配人が立ち去った。高級宿の長だからか比較的落ち着いていたが、それでも隠しきれない憧れが堪えたらしく、賢者がマントも脱がずにソファへ座り込む。勇者はそれを苦笑いで見ながら、艶々に磨かれた大理石の床でツルッと滑った神官を片腕で受け止めた。


「大変そうですね、トルムセージ」

 いつの間に淹れていたのか、ミロルが賢者へさっと温かいお茶を差し出しながら気遣うような声をかけた。それを見た吟遊詩人が「あっエメさま、そういうのは僕の仕事だから」と少し慌てると「よくわからないけど、今のあなたは賢者様の護衛ではなく仲間なんでしょ? ならそこに座ってなさいな、これくらい私でもできるわ」とにっこりした。


「あ、でも……ええとそれなら、今日はリフ様が食事当番だから、彼に頼もうよ」

「何を言ってるの。鷲の者が控えながら、白のお方にお茶を入れさせるなんて」


 しかしミロルがそう言った瞬間に、賢者がゴホゴホと咳き込みながらカップをテーブルに戻した。吟遊詩人が「あちゃあ……」と呟き、ミロルが不思議そうに首を傾げる。


「あら、熱すぎました?」

「……色が濃いとは思ったが、ルジェリンを……これは、煮出したろう。低温で淹れねば苦味の強い茶葉だ。次は沸騰前の湯を使い、蒸らしは数秒で良い」

「えっ、ごめんなさい」

「ほらぁ、エメさまがやると全部こうなるから。良かったね賢者、砂糖もミルクも入ってなくて。入ってたらね、すごいよ」

「最近少し上手になったのよ!」

「ほんとかなあ」


 その会話を聞きながら、器用なのに料理を作らせたらなぜかとんでもないことになる神官が、仲間を見つけたような顔でにこにこしている。勇者はそれに苦笑すると、キャッキャと戯れている小柄な二人に向かって腰に手を当てて言った。


「ほら妖精ども、ゆっくり話をしたいんだろ? 紅茶は俺と魔法使いで準備するから、二人ともそこに座ってろ──いや神官、お前はいいから絨毯の上から動くな」

「はあい。ほら、エメさま」


 吟遊詩人が幼馴染の少女に旅の話を始めるのを聞きながら、ようやく知らない人間がいなくなって落ち着いた様子のエルフと、談話室に隣接している給湯室に向かった。


「見て……針葉樹」

「ん? 何だ?」

 魔法使いがこそこそ話しかけてきたので持ち上げていた茶葉の瓶を置くと、彼は袖の中に隠していたらしい小さな額縁をそうっと取り出して見せてきた。

「少し小さい……かわいい」

「そうか? 大体一緒だろ」


 確かに絵画の中の賢者は少し子供の名残が残っているような顔だが、見慣れたものと寸分違わぬ嫌そうな表情だし、今も特に皺があるような顔ではないので大差ない気がする。


 それに少し不満そうに耳を下げると、魔法使いは勇者が選んだ茶葉の瓶の蓋を開けて慎重に香りをかいだ。ひとつまみ取り出して、ぱくっと口に入れる。

「あ、おい」

「味見しないと……おいしくできないよ」


 どうやら魔法使いの淹れる紅茶がいつも絶品なのは知識があるからではなく、こうして口に含んで淹れ方を判断していたかららしい。

「そんなことって……あるか?」

「針葉樹も、味見する?」

「いや、いい」


 その後はごく普通に人数分の紅茶を淹れると、置いてあった台車の上に並べる。すると魔法使いが何か思いついたようにはっと耳を立て、勇者の袖をちょんちょんと引いた。


「どうした?」

「あのね……内緒、ね」


 そう小声で言うと、魔法使いは自分の周りをキラキラしている星を一つ指でつまみ、ぽちゃんと一番端のカップに落とした。星はゆらゆらと沈んでいって、カップの底できらりと光る。


「それ、そうやってつまめるんだな……賢者の分か?」

「……うん」


 恥ずかしそうにしている魔法使いを吟遊詩人に見せてやりたいと思いつつ、目の前に漂ってきた星を一つ掴み取ってみる。ぞわっと腕に鳥肌が立って、小さな光はすぐに消え失せた。この分だと紅茶の方も「ぞわぞわ茶」になっているのではと思ったが、ふと考えて、この妖精と魔力の相性が悪いのは自分だけだったとため息をつく。


 談話室へ戻ると、吟遊詩人が丁度話し終わったところだった。赤毛の少女は「剣の仲間……」と呟きながら憧れと心配がぜになった視線で少年を見つめ、そして一言「……大丈夫?」と囁いた。


「うん、大丈夫。勇者が守ってくれるから……って言い方するとカッコ悪いけどさ。血を見せないようにって気を使ってくれるみんなを見てるうちに、ちょっとずつ僕もそういうの、平気になってきてるんだ」

「そっか……歌、聞かせてくれる?」

「もちろん」


 吟遊詩人がリュートを取り出し、最近気に入っているらしいエルフ語混じりの花と蝶の歌を聴かせると、ミロルは驚愕で目をまん丸くしながら両手で口を押さえ、そして心配になるくらい顔を真っ赤にして幼馴染の少年を見つめた。それを真正面から見た吟遊詩人は面食らったように瞬きをして背中を真っ直ぐにすると、少し困ったように視線を左右に揺らす。

「ええと……気に入ってくれたなら、良かったけど」


 声が出せない様子で口を覆ったまま何度も頷いたミロルは、それからすっかり恋する顔になって灰色の上着の裾をいじり、この国で何かあればいつでも駆けつけるからと学生寮の地図を神官に押しつけて走り去っていった。


「彼女は大学で妖精学を勉強しているそうで、論文を書くのに賢者の意見を聞きたいと話していたのですが……そのまま行ってしまいましたね」

「塔でのミロルは、いつもしっかりしていたけれど……吟遊詩人がいると、別の人みたいだね」

「や、やめてよそういうこと言うの」


 恥ずかしくなってきたらしい吟遊詩人が勇者の後ろに駆け込んだので「おい、お前も充分人参じゃないか」と言ってやると、金色の妖精は頬を膨らませて「じゃあいいよ、人参仲間でも。勇者の意地悪」と背中に頭突きした。





 賢者が星の沈んだ紅茶をじいっと見つめ、かなり戸惑いながら少しずつ飲むのを見届けた後、昼はそのまま部屋に食事を頼んだ。できれば夜もそうしたかったのだが、夕食は是非下のサロンでと支配人に頼まれていたので、夕焼け色になってきた空を見てしぶしぶ準備を始めた。有識者の交流会が行われるというので、それにふさわしい衣装を衣装部屋の中から賢者に選んでもらう。


「なあ、動きにくくて落ち着かないんだが……俺も神官の着てるやつみたいなのがいい……」

 刺繍の入った艶のある生地の服を着ながら、袖も足もえらく細身で動く余裕のない服に顔をしかめる。


「魔術師のローブを着れば魔術の話題を振られるぞ」

「それは……困るけどさ。でも敵が現れたら破くかもしれないぞ? たぶん腕を振ったら肩のところとか裂けると思う」

「ねえ、なんでいつでもどこでも発想が戦士なの? 勇者が暴れなくても警備の騎士がいるって」

「うーん……」


 神官と魔法使いは織り模様の入った綺麗な布のローブ、吟遊詩人は音楽家風だという袖のヒラヒラした上着を着ていた。そして賢者はゾッとした顔をしながら、賢者の正装だという裾に銀糸の刺繍が入った黒いローブを取り出している。


「なぜ、賢者しか着用を許されぬ衣装が、このようなところに」

「いつかお前が泊まることを想定してたとしか思えないだろ、ここ『賢者の間』だし」

「言葉の綾だ。わかりきったことを口に出すな」

「なんでそんなに怒るんだよ……」

「賢者、八つ当たりはおやめなさい」


 気持ち悪そうな顔で服に浄化をかけて着込んだ賢者を真ん中に囲って、サロンと呼ばれるちょっとした広間に向かう。魔法使いがフードを被ったまま行こうとしているのを吟遊詩人が注意したが、賢者が問題ないと手を振ってそのまま顔を隠した状態で会場に入った。綺麗な広間には軽食が並べられ、これが立食形式というものだと思うが、着飾った人々がそれを立ったまま食べながら酒のグラスを手に談笑しているようだった。勇者達、というか賢者様が会場へ入った途端に人々が一人残らず息を呑んでこちらを見つめ、黒いローブの痩せた男にじっと注目する。


 しかし流石に街中とは違って落ち着いた人間ばかりであったようで、強引に押し寄せたり論文の束を振りかざしたりするような輩は現れなかった。ただし皆がそわそわと賢者と話す機会を窺っているのは変わらず、知識階級の人間と社交をしなければならないのかと心配していた勇者達は全く蚊帳の外で、端の方の大人しそうな人間と少し挨拶するくらいで落ち着いて食事を楽しめそうだった。


 一方で賢者の方もその雰囲気に多少警戒を緩めたらしく、楽しげとまではいかないものの魔術について詳しい話をしたり、ラッシオという小さな駒を盤上で戦わせる遊びで挑戦者をこてんぱんに打ち負かしたりと、少しずつ周囲の人間と交流し始めた。緊張していた紳士淑女も酒の力を借りつつ、次第に和やかに惑星の軌道について語ったり、魔導の歴史について意見を求めたりしていたが……しかしどうにも女性の内の何人かが、思わせぶりに腕に触れたりと少々行動が目に余る。


 賢者は無言で腕を引っ込めるだけだったが、あの男が仲間達に「触るな」と言う時の目は、彼にしては随分拒絶の色が少なかったのだと勇者は思い知った。


 そして勇者がそろそろ助けてやった方がいいかと立ち上がった時、しかし彼は思わぬ光景を目にしてぎくりと立ち止まった。なんと、丁度その時賢者の腕に大胆にもぴたりと体を寄せた女性──魔術師なのか、しっとりした藍色のローブを纏う目の眩むような美女の手を取った賢者が、その手の甲にそっと唇を寄せて腰に手を回し、会場を出て行ってしまったのだ。





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