四 謎の美女と招待状
そんな、そんな、魔法使いも見てるのに──!
焦った勇者があわあわと辺りを見回すと、神官が「どうしました?」と歩み寄ってくる。魔法使いはどこだと尋ねると「少し前に出て行きましたよ。疲れてしまったみたいです」と言う。決定的な瞬間は目にしていなかったのだと安堵の息をつくと、今度は出て行ってしまった賢者をどうしようかと神官に目を向けた。
「なあ、『シラ……ひとりにしないで』って聞こえたんだが、賢者の知り合いか? あいつも『すまない』とか言ってたろ? というかシラってあいつのことか?」
「ええ、賢者の本名ですよ。彼はシラ・ユール・ジャールウェンという名で本を書いていますが、購入した時に気づきませんでした? ……ええと、本当はもう少し長い名前なのですが……忘れてしまいました」
「おやおや、賢者殿の名を知らぬのですか?」
その時神官の後ろから、金髪を気取った感じに撫でつけた優男が話しかけてきたので、勇者達はひとまず話をやめて酒のグラスをくるくると無意味に回している男の方を向いた。丈の短い薄茶のローブを着ているので、学者だろうか。
「全く、それでは『叡智の会』の会員番号はもらえませんよ? ほら、教えて差し上げますから覚えてください。いいですか、かの方の御名はシラ・ユール・ヴェルノ・ナーソリエル・メル・ローレン・ホシュナ──」
「長っ!」
とそこで、いつの間にか隣に立っていた吟遊詩人が眉をひそめて男の声を遮った。
「──ジャールウェン・リース=ラビナ。ラビナは賢者を示す古語であって、家名ではありません。トルムセージとは俗世のしがらみと一度縁を切り──」
話が長くなりそうな上に恍惚と目を閉じて話していたので、そのまま忍び足で後ずさり、彼を放って会場を後にした。その様子を目で追っていた貴婦人がさっと扇で口元を隠し、耐えきれないように肩を震わせながら軽く膝を曲げて挨拶してくれたので、目礼を返してから扉を閉める。
外に控えていた宿の従業員に賢者の行き先を尋ねると「ご同伴の女性とお部屋へ戻られました」と言われ、勇者は真っ青になった。
「そんな……魔法使いのいる部屋に、女を連れ込んだのか?」
どどどどうしようと慌てふためいて、部屋への階段を早足で上りながら吟遊詩人を見下ろせば、彼は「はあ?」と目を丸くして首を傾げた。
「いや、何言ってんの? あの『ご同伴の女性』、どう見ても魔法使いだったじゃん。まず魔力が銀色……なのは見えないか、でもあんな綺麗な髪の毛は人間じゃ有り得ないって。ていうかそんなことより、賢者の名前長くない?」
「え、でも、耳が丸かったけど」
「そこ? 普通に擬態でしょ」
それでも信じきれないまま勇者が部屋へ駆け戻ると、談話室のソファで淡い金髪を背に流した美しい乙女が賢者の隣に寄り添うように座り──腰掛けた脚をぶらぶらさせ、ご機嫌で鼻歌を歌いながらオレンジの皮を剥いていたのでどっと力が抜けた。
「あ、針葉樹」
「おい魔法使い……驚かせるなよ。賢者が知らない人間の女に靡いたと思ってびっくりしただろ」
「……なびいた?」
魔法使いが瞳をキラッとさせ、ソファの上で嬉しそうにちょっとだけ弾んだ。それから……この妖精が調子に乗って何かやらかす時の口を薄っすら開いた顔で少し何か考えると、隣に座る賢者の手を取って、いつもと違ってふんわりしているローブの胸元にペタッと押し当てた。
「かわいい?」
どうやら寄ってきた魔法使いを利用して会場から逃げ出したらしい賢者が、驚いたように目を丸くした。パッと口元を手で覆った神官が怒るべきか優しく諭すべきか迷った顔をして、賢者がすぐさま手を払いのけないのを見ると困った顔で手元をそわそわさせる。
「そなた……それは擬態ではなく変身か。エルフの身でなぜそのようなことが」
びっくりした顔で賢者が魔法使いの顔をまじまじと見る。説教でも恥じらいでもなく、全く頓珍漢な反応に神官が額に手を当てて首を振った。一方魔法使いは賢者のその答えが気に入らなかったらしく、掴んだ手をふわふわ揺らすと上目遣いになって瞳を覗き込んだ。
「やわらかい?」
吟遊詩人が耳を赤くしながらちらっと見て目をそらし、またちらりと見てはもじもじと恥ずかしがっている。その様子を訝しそうに見た賢者はようやく状況のまずさに気づいたらしく、一瞬ものすごく焦った顔をして手を引っ込めようとした後に、鋭い顔で魔法使いを睨みつけ「今すぐに手を離しその不可解な変身術を解かねば、当分の間『当番』は休暇をもらう」と押し殺した声で妖精を脅しつけた。どうやら変身してもまるきり全てが人間と同じではないのか、女の姿の魔法使いの方が力が強かったらしい。
「や、やだ」
週に一度の星の話を何より楽しみにしている妖精は叱られた猫のように飛び上がって手を離すと、空気を陽炎のように揺らめかせて元の姿に戻った。こうして見れば女性の着ていたローブは魔法使いが部屋を出た時に着ていたものと全く同じ深い藍色で、冷静に考えれば気づいてもおかしくなかったと少し反省する。
「お前……何がしたかったんだ」
勇者が尋ねると魔法使いは少し怒ったように耳を倒して賢者の腕を掴み、そしてすぐに振りほどかれた。
「僕の方が……その辺りに生息している人間より、かわいい」
「生息って、いやまあ確かにそうだろうが、だからってさ……」
嫉妬にしたって突拍子もなさすぎると呆れ果てた勇者が肩を落とすが、魔法使いはどこ吹く風で再び賢者の顔を覗き込んだ。
「かわいかったね?」
「……常の方が美しいな」
見上げてくる妖精を視線だけで見下ろした賢者が面倒そうに答えると、童話に出てくるお姫様から神話に描かれる美の女神の最高傑作に戻ったエルフは、その当たり前の返答が相当嬉しかったのか耳をピンと立てて部屋中に星をばら撒いた。
「ぎゅっとする?」
「しない」
魔法使いの甘えた問いかけに賢者が首を振り、いつも通りに戻った仲間達を見届けたところで気力を使い切った勇者がソファに倒れ込んだ。真似して賢者の膝を枕にしようとした妖精が押しのけられ、神官が「少しお茶にしましょうか」と提案する。ようやく落ち着けると思ったが、そのとき席を立とうとした神官を引き止めた賢者が心底嫌そうな顔で懐から何やら封筒の束のようなものを取り出し、宛名を見ながら一枚ずつ仲間達に配り始めた。
「何だこれ、手紙? お前から……じゃないよな。わかってるから睨むなって」
とりあえず封を切ってみるかと袖を振って短剣を取り出すと、吟遊詩人が目を剥いて「ねえ今どこから出した!? 怖っ!」と言った。
「いや、だってこの格好でいつものベルト着けたらおかしいだろ」
「そっか、常に武器を持ってないと気が済まないんだね……」
「うーん、そうでもないと思うが……ん? 招待、状……かな」
透けるように薄い、見たことがないくらいに真っ白な羊皮紙の招待状はヴェルトルート語で綴られていたが、流麗に崩された文字だったので上手く読めなかった。
「王家から、舞踏会の招待状だ……魔法使いひとりならばなんとか病欠にもできようが、流石に全員断るのは難しい。まあ不可能ではないが、神殿との関係が危うい今は印象を良くしておく方が得策だ。日付は八日後、それまでに勇者、そなたは少なくとも礼儀作法と舞踏を覚えねばならぬ」
それを聞いた勇者は、ひらひらしたドレスのお姫様と白い服の王子様がくるくる回っている光景をなんとなく思い浮かべたが、そこに自分を当てはめるのがどうにもピンとこなくて首を傾げた。
「舞踏会って……ほんとにあるんだな?」
「絵空事だと思っていたか? 私としても、それならば良かったが」
「僕も……行くよ」
てっきり人間嫌いの妖精はそんな場所に出ないと思っていたので彼の言葉には驚いたが、よくよく話を聞いてみるとどうやら舞踏会には女性をパートナーとして連れていかねばならないらしく、魔法使いはさっきの女の子に変身して賢者と一緒に行きたいようだ。
「賢者は群れの生き物でなければ、嫌でしょう? 僕を……連れてゆくといいよ」
不安そうに耳を寝かせて賢者に擦り寄る妖精を見て、吟遊詩人がこっそり胸に手を当ててため息をついた。賢者が無愛想に頷いたのを見届けると、体の陰でぐっと拳を握って勇者へ笑顔を向けてくる。
「僕は……エメさまを誘ってみようかな」
照れ臭さを誤魔化すように悪戯っぽく笑った吟遊詩人が招待状を何度も開いたり閉じたりしながら言うので、勇者は起き上がってソファに座り直した。
「ミロルは喜ぶだろうが……勘違いさせたら、かわいそうだぞ」
「わかってるよ、それくらい……付き合うとかはまだ考えてないけどさ、今日のエメさま、ちょっと可愛かったかなあって」
「お、え……そうか」
勇者が目を丸くし、神官が微笑ましそうににっこりし、賢者が不可解そうに瞬きした。魔法使いは賢者に了承をもらった喜びで聞いていなかったらしく、幸せそうにオレンジを抱えて耳を揺らしている。
「うん……勘違いさせたら、かわいそうだぞ」
繰り返し言った勇者に吟遊詩人が「わかってるってば」と少し唇を尖らせて顔を上げたが、勇者が魔法使いの方を見ていることに気づいて少し遠い目になり「あ、うん。そうだね……気をつけるよ」を呟いた。少年の方がひと段落したところで、女性と手を取り合って踊るなんてできそうもない友を振り返る。
「神官はどうするんだ?」
「神官服は流石に用意が難しいでしょうが、聖職者が身分を隠す時の服装というのがありますから、それを着ていれば一人でも参加できますよ。首元の詰まったシャツを着て、ローブではなくトーガを掛けて……まあ身分を隠すといってもそうしていれば皆にばれてしまうのですが、暗黙の了解といいますか。勇者もそうします?」
正体を知られている賢者以外はそういう逃げ道があるとわかって気が楽になった。がしかし、勇者はどうしてもそこに飛びつく気になれず、唸り声を上げると口を引き結んで腕を組んだ。
「ちょっと……時間をくれないか」
勇者は苦い声でそう言いながら、宿に入る少し前──向かいの建物の陰にほんの一瞬だけ、知った魔力の気配を感じたのを思い出していた。無謀だとわかってはいたが、このまま声をかけずに終わらせれば後悔するともわかっていた。
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