八 竜商人 前編



 バサバサと器用に空中で停止した竜が甲板に荷物の載った籠をそっと降ろし、羽ばたく翼の合間を縫って背の鞍から身軽な人影が飛び降りる。それを確認した竜は、体勢を整えるとすうっと滑空して広く開いた場所へと舞い降りる──のかと思いきや、そのまま少しずつ甲板に足を下ろして走りながらこちらへ突っ込んできて、着陸の勢いのまま勇者の腹にドンと鼻先を押しつけた。


「ガズゥ! 久しぶり! ちょっと大きくなったか?」

「ぐぅ」

「まだ大きくなるって? そりゃいいや!」

「ぐぅ」

「そっかそっか! ガズゥは偉いなあ!」


 頭を抱え込んで頰から耳の下あたりをわしゃわしゃと撫で回していると、後ろからちょんと結んだ髪の端を引っ張られて振り返る。


「ん? どした?」

「……なんでもない。今度、髪切ってあげる」


 マントを捲って内側に入り込んできた吟遊詩人の顔を、腕を上げて脇の下から覗き込む。ついさっきまでの楽しそうな様子から打って変わって不安そうな顔になっていたので、金色の巻き毛をもこもこになるまでかき回してやった。


「……やめてよ」

「ガズゥは人懐っこいから怖くないぞ? お前も触ってみるか?」

「……うん」


 一通り髪を撫でつけた吟遊詩人が勇者の陰から腕だけを伸ばし、竜がくんくんと匂いを嗅ぐのを待って優しく赤い鱗に触れた。耳の下を掻く小さい手にガズゥが目を細めると、緑の目が少しだけ和む。


「可愛いね」

「だろ?」

「ガズゥが……いるね」

「うわっ! 魔法使い……いやガズゥ、お前」


 いつの間にか背後に立っていた薄金色のエルフがそっと手を伸ばすと、赤いワイバーンの子供が瞳をきらきらとさせてその手に頭をこすりつけた。そしてゴロゴロと猫のように喉を鳴らしながら翼を開いてひっくり返り、腹を見せて撫でろ撫でろと激しくくねる。それを見た魔法使いはピンと耳を立てると、甲板に座り込んで竜の腹を念入りに撫で始めた。


「かわいい、かわいい」

 まるで愛玩動物のように甲高い声でキュンキュン鳴いて腹を撫でられる竜は、確かに可愛いと言えば可愛いのだが……勇者は幼い頃からの数少ない友が急に情けない姿を晒し始めたことにかなり呆れるというか、どうも自分まで恥ずかしいような複雑な気持ちになっていた。


「お前それ……なんか、竜としての誇りとかないのかよ」

 声をかけてみるが、既に恍惚としてしまっていて勇者の言葉などまるで聞こえていない。


「──ああ、ガズゥがトチ狂ってると思ったら、やっぱり綿毛フラウか。久しぶりだな」

「おじさん……あれ、前からそんなに派手だったか?」


 こちらへ歩いてきた竜商人は気のいい笑顔だったが、面も紋様もない人間の顔を見慣れた今改めて見ると、以前話を聞いた仲間達がどことなくおののいていたのも……まあわかるかもしれない。赤い上着に金の腰帯は最高に派手だし、浅黒い肌はところどころ傷跡が盛り上がっていて……身長はそれほどでもないものの、人魚並みに筋骨隆々としている。そして極めつけに、目の周りをぐるりと朱色に塗っているのがどうにも威嚇にしか見えなかった。


「なんだ、前より更に男前になったって? 上手いこと言うねえ! 狼も、ちょっと見ないうちに背ぇ伸びたな」

「いや、俺はもう育たないって……」


 装いは凶暴だが、相変わらず冗談はなんとも言えない感じだった。反応に困った勇者が眉を下げると、ニヤァと歯を剥き出した後に「ひゃひゃひゃ」と腹を押さえて独特な笑い声を上げる。上品で穏やかな仲間を見慣れたとか関係なく、これは昔からちょっと怖い。


「こいつもなあ、いつもは誰も彼も威嚇して困ったやつなんだが……なんでか狼と綿毛だけはえらい好きだなあ? お前な?」

「えっ」


 竜商人がエルフに撫でられて至福の表情でくたりとなった子竜の隣にしゃがみこんで、白い腹に手を伸ばした。すると跳ねるように素早く起き上がったガズゥが、その手をはねつけるように牙を見せて威嚇する。


「はいはい、俺はダメな。わかったわかった」

「こいつ……人懐っこいやつだと思ってて、さっき仲間に触らせちまったんだけど」

 勇者が若干青褪めながら告白すると、おじさんは「はあ!?」と目を見開いて振り返った。


「誰に触らせた? 咬まれなかったか!」

「いや、耳の下掻かれて幸せそうにしてた」

 そう言いながらマントを少し開いて吟遊詩人を見せると、竜商人はカッと目を見開いて「おわっ!」と少し仰け反った。それに驚いたのか、少年がべたりと背中にへばりつく。


「そんなとこにもう一人いたのか……こんにちは、お嬢ちゃん。お名前は?」

「こんにちは……わたし、ルシナル」

「は?」


 裏声なのか何なのか、まるっきり女の子の声で小さく返事をした吟遊詩人を思わず真顔で見下ろす。急に猫なで声になったおじさんも気持ち悪いが、こいつはこいつで──一体何を考えてるんだ?


「そうか、そうか。ルシナルちゃんはうちの娘とおんなじくらい可愛いから、将来は別嬪さんになるぞお。ガズゥが気に入るのも納得だな」

「ありがと、おじさん」


 いつもの悪戯かと思ったが、それにしては一切笑いを堪える様子がないし、口元は微笑んでいるもののどこか不機嫌というか、ふてくされているような気配を感じる。心配になって小声で「どうした?」と尋ねると、彼はなぜか一瞬満足感と……優越感だろうか? 瞳をあまり見ない色に染めてぷいっと顔を背けた。


「別に、何だっていいでしょ」

「ええ?」


 まさか、ついに女装に目覚めたか……?


 そういえば今日は髪も下ろしているし、可愛い色の目隠しが欲しいとか言っていたな……と思っていると、いよいよ竜を枕にし始めている魔法使いがこちらを向いて静かに「それは……違うと思う」と首を横に振った。それを見て、このぼんやりにまで考えを見抜かれているのかと勇者は少しがっくりし、そしてふと先ほどの商人の言葉を思い出して視界の端をチカチカさせている男を見下ろす。


「なあおじさん、なんでさっきからこいつのこと綿毛って呼ぶんだ?」

 もしや魔法使いの本名……なわけないかと思いながら勇者が尋ねると、おじさんは例の怖い笑顔になって自慢げに言った。


「リフって名前はあんまし気に入ってなかったみたいだからな。本名は教えないとか言うし、代わりに俺がつけたあだ名だよ。それらしいだろ」

「ああ……まあ、そうかも」


 勇者はそう曖昧に頷きながら、竜の耳元に小声で何かを囁きかけている妖精を振り返った。まあ言われてみれば全体的に白っぽいし、タンポポの綿毛を持たせておきたいような感じはする。


「……フラウ」

 呼んでみると、ちらりと視線だけで振り返った魔法使いが「違う」という感じに耳を動かした。


「ごめんごめん、ルーウェン」

「……ん」

 すると側で聞いていたおじさんが「おっ、それが本名か。洒落た名前だなあ」と感心したように頷くので、仲間内で付けた呼び名なのだと一応は否定しておく。


「へえ……ならお前が付けた名前じゃないな」

「なんでわかるんだよ」

「だってお前、家に置いてある狐の置物に『カタラタッパ』って名前付けてたろ」

「カタラタッパの何が悪いんだよ。可愛いだろ」

「だーから、違うだろって言ってんだ」


 そんな話をしながら魔法使いとガズゥを置いて、竜が運んできた大きな籠の方へ歩く。藤を編んで作られたそれはちょっとした小屋くらいの大きさをしていて、真ん中から左右に開くようにできている。小さな店のようになっているそこには、いつものように色とりどりの布や異国の果物、こまごました雑貨や袋詰めの香辛料、ひと山の本なんかを積んでいた。海賊達には食材が詰まった大きな木箱もいくつか押し込んできていたようだったが、それと細かい買い物は別らしく、押し合いへし合いしながら──というか、幽霊なので一箇所に三人くらい重なり合っている──覗き込んでは、特に酒瓶やナイフの置いてある場所を楽しそうに物色していた。


「賢者、もう体調はいいのか」

「……ああ」

「いいえ。万全ではありませんが、ずっと眠っていても疲れますから少し風に当たるよう勧めたんですよ。それにあなたの仲間として、バルジュール殿にはご挨拶しませんと」


 群がる海賊達の後ろから、賢者と神官が籠の中を興味深そうにそうっと覗き込んでいたので声をかけた。すると「ご挨拶」の言葉に反応したのか、どうもバルジュールという名前らしいおじさんが急にしゃきっと背筋を伸ばし、見たことのない腰の低さで二人にへこへこと頭を下げる。


「あ、どうもこれはトルムセージ……と、ファーリアス猊下ですね? その節はどうも……あれから、うちの狼がご迷惑をおかけしておりませんでしょうか?」

「……いや、問題ない」

 ぼそっと答えて目を逸らした賢者の背中を軽く小突いて、神官が笑顔で一歩前に進み出る。


「お初にお目にかかります、バルジュール殿。今は故あって神殿の籍から外れておりますので、私のことはロサラスとお呼びください。狼……私達はシダルと呼んでいますが、彼は立派な我々の導き手ですよ。世界の希望として、彼ほどふさわしい人物はいないと思っています」

「そうですか……こいつは亡き友のせがれでしてね。俺からすると甥っ子みたいなものなんで、そう言っていただけると誇らしいですよ──良かったな、狼。こんな風に言ってくれる仲間ができて」

「え、あ……うん」


 バルジュールが暗い赤毛に手をやりながら優しく目を細め、それを見た神官が勇者の方を見てにっこりする。商人のおじさんが自分をそんな風に思っていたとは知らず、また仲間達も勇者の身内として……まるで家族のような顔をして彼の話をしていた。それは何度も思い描いて何度も諦めてきたような光景で、心がじわりじわりと温まってゆく。


 そしてその雲行きが急に怪しくなったのは、そのやりとりに段々恥ずかしくなってきた勇者がもじもじしながら俯いたその時のことだった。


「俺も──痛っ、何だ?」

 後ろから髪の毛をぎゅっと引っ張られたのでマントを引いて中から悪戯者を出すと、嬉しそうに笑っているに違いないと思っていた妖精のような少年が、なぜか眉を寄せて勇者を睨みつけている。


「ど、どうした? なんで怒ってるんだ」

 びっくりした勇者がちょっと仰け反りながら尋ねると、彼は乱暴に勇者の脚を蹴りつけ、押し殺した声で脅すように言った。


「なんだよさっきから……そんな、嬉しそうにしてんじゃねえよ!」





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