九 僕の針葉樹を、食べないで



「泣くな、シダルよ……また、また会いに来れば、良いではないかっ……!」

「ガジュだって泣いてるだろ……また来るから。必ず、必ず生きて戻ってくるから」

「当然だ! 待っているぞ、そなたは私の好敵手であり、親友なのだからな!」


 人間姿に戻った勇者とガジュラが魔女の家で抱き合ってさめざめと泣いていると、人魚達が涙声の雄叫びを上げながら次々に飛び込んできて彼らの背を叩いた──家が人魚だらけになった魔女が「ふざけんじゃないよ! とっとと出ておいき、馬鹿ども!」と叫んでいる──するとそれに励まされたようにガジュラが顔を上げ、首から下げていた赤い石の首飾りを外す。


「……友情の証に、そなたにこれをやろう」

「……いいのか」

「ああ。これはな、心を熱く燃やす護り石だ。これをかけていればそなたの心は決して折れず、何者にも怯むことはない。そう熱く……どこまでも熱く燃え続けるのだ!!」

 王子がその護り石そっくりの真っ赤な尾を激しく岩に叩きつけて叫んだ。


「ありがとう、大切にする……でもガジュ、いきなり叫ぶのはルーウェンが怖がるから……」

「おお、すまん。癖でな、ついやってしまう」

「そ、それ、癖だったんだねっ……」


 笑いを堪える吟遊詩人の声に仲間達の方へ顔を向けると、ようやくローブとマントを着込んで安心した様子の賢者が……いつもの彼なら勇者達の熱いやりとりに苛々するところをぼんやりと虚ろな目で見ている。これは早く地上の宿屋で休ませねばと勇者はガジュラに向き直り、その手に荷物から取り出した金色の魔石を握らせた。


「これ、やるよ。何かに使えるかはわからないが、俺の炎の色だから。世話になったし、海の魔女にも」

 そこそこ大ぶりの魔石を受け取った魔女が、賢者と実験がてら金色の魔力だけ分けて入れたそれを目をまん丸くして見つめる。


「これ、もしや渦かい。ってことはあんた……へえ、怠け姫は凄いのを見つけてきたね。そりゃ馬鹿王子が気に入るわけだ」

「そなたの炎といえば、あの水中にも関わらず燃え盛る金の炎か! やはり眩く燃える良い色をしているな! これからはこの石を私の護り石としよう!!」

「あんたは護り石なんか無いくらいが丁度いいだろ。それよりもう少し冷静さを身につけな、この雄叫び王子」

「何を言う、魔女殿! 人魚に生まれた以上──」

「ガジュ兄様、それはまた後でねえ……シダルちゃん、私も楽しみにしてるから、またみんなで遊びに来てね」


 長く熱くなりそうな話を始めた兄の頭を後ろからぽこんと叩いて、ヴァーラが微笑む。かなりおっとりして見えるが、この人魚の国で彼らの熱さに流されない人生を送っているところからしても、なかなか逞しい性格をしているらしい。


「おう! ヴァーラもありがとな」

「ロサラスよ! 次に合間見える時は健康体となって、私と──」

「ガジュ兄様、それはまた今度ねえ」

「あ、ええと、またお会いできるのを楽しみにしています……」


 そうして再び大きな泡に乗り込み、今度はぷかぷかと浮かぶに任せて海面までゆったり進む。二日ぶりの地面に足をつけると体が重く感じたが、しかしやはり安心感があった──とその時、ずっと体調が悪そうだった賢者がついにふらっと後ろへ倒れかけたので、慌てて背中を支えた。


「さ、わるな……」

「触るなじゃないだろ? 街で宿屋を探すけど、俺に背負われるのと肩を貸されるの、どっちがいい?」

「……肩」





 幸いにして幽霊の街の宿はどこも質が良く、綺麗で静かだったので、勇者達は海辺から一番近いところに転がり込んで、真っ青な賢者を魔法で丸ごと浄化して寝台に寝かしつけた。


「俺はちょっと森に戻って馬の様子を見てくるが、お前達はどうする?」

「僕も行く……ルシュに、会いたい」


 撫でたくて仕方がないというように空中にふわふわと両手を彷徨わせた魔法使いが勇者と森へ向かい、水に触れていたからかむしろいつもより元気そうな神官は賢者に付いて、吟遊詩人が食事の買い出しに出ることになった。


「あれ? いないな……レタ? おーい! レタ──うわあ!」

 泉の周りに誰もいなかったので大きく息を吸って呼ばわると、カツンと水晶を打つような蹄の音がして、何もないところから馬達の姿が現れた。


「な、何だ、今の? 凄いな……」

 近寄ってきた薔薇角の一角獣をわしゃわしゃと撫でてやると、レタは一瞬気持ち良さそうに目を細めかけ、ハッと気づいたようにブンと頭を振った。誇り高いというより意地っ張りな馬に苦笑いしていると、魔法使いが落ち着いた様子で寝そべっている花鹿にへばりついて「ルシュ、ルシュ……会いたかった、かわいい、ふわふわ」と首元に頰をこすりつけている。


「賢者が体調崩してな。少なくとももう一泊してから船に向かうことになりそうだ。その間はここで待つのでいいか?」

 次々に群がってくる有角馬達を順番に撫でながら尋ねると、レタが「かまわん」という感じで耳を動かした。


「そっか。じゃあ……どうした?」

 レタがさっと顔を上げて向こうの木の陰を見つめたので、勇者は警戒して立ち上がった。そちらに目を凝らしても、特に何も見えない。しかし何か気配のようなものは感じられるそれに「また幽霊かよ」と思ってぞっとしかけたところで、隣にやってきた魔法使いがレタの視線の先に向かって「ファーロ……」と呼びかけてひらひらと手を振った。


「あなたも擬態を見抜けるのですか、魔法使い殿……」

「ハ、イロっ……!」


 やわらかな声と共に姿を現した美しき異端審問官に胸を撃ち抜かれ、勇者はよろめいて一歩後ずさった。どうしよう、可愛い……ああ、彼女が目を疑うように眉を寄せて一角獣と花鹿を交互に凝視している、なんて可憐なんだ──


「ううん、見えないけれど……君とフルーンの足音がしたよ」

「えっ? あ、フラノ。いたのか」

 彼女のすぐ隣にいたのに、ハイロにしか目が行っていなかった。


「なるほど、足音ですか……ああ、ご安心ください。今日は審判ではありません。この森は大型の獣が多いので、彼は護衛です」


 ハイロの護衛とか、羨ましい……。


 そう考えて、いやいやと首を振る。するとそれを首を傾げて見守っていた魔法使いが、何を勘違いしたのかハッと気づいた様子で勇者に頷きかけ、そして審問官達に向き直った。


「フルーン……やめて。僕の針葉樹を……食べないで」


 言ってやった……という顔の魔法使いを皆が見つめ、しんと沈黙が降りた中に馬鹿にした感じのレタの鼻息が響いた。いつになくきょとんとした様子のハイロが、瞳のぼんやり加減を補って余りあるほど愛らしい。


「フルーンとは、もしや私のことだろうか」

 金色の目が魔法使いを見つめるのに合わせて──彼ではなく、隣に佇んだハイロが言った。


「そして……針葉樹シダール? 君は、私が木を食べると思っているのか?」

「ええと、そいつの考えてることがわかるのか?」

 勇者が尋ねると、ハイロは軽く肩をすくめた。

「まあ、おおよそは」


 自分の言葉に返事をしてくれた彼女に、何かぱあっと世界が開けたような、強い酒を一気飲みしたような高揚感が湧き上がる。


「……いや、なんかこいつ『食べる』と『殺す』を間違えて覚えてて。あと針葉樹は俺のことだ」


 フラノの目がじっと勇者を見る。


「変わった名だな」

「いや、ほんとはシダルっていうんだが……なあ、本当にフラノはそう言ってるのか?」


 ハイロが軽く首を傾げてフラノを見上げ、そして勇者に向き直って淡々と言った。

「……まあ、おおよそは」


 ハイロに気を取られがちではあるものの、どうやらフラノもなかなか面白い性格をしているようだと思った勇者は、よしと一つ頷いて先ほど行きがけに買った荷物を漁った。


「ほら、干し桃。こないだほど顔色は悪くないが、まだ痩せすぎだ。パンと水だけじゃなくて、甘いものも食え」

 そう言って油紙の袋を一つハイロの手に押しつけると──一瞬手のひらに指先が触れてカッと全身が熱くなった──今度はフラノの腕を掴んでさっとローブの袖を捲り上げた。


「そう身構えるなって、何もしないよ……うん、お前はちゃんと食ってるな。ほら、お前には肉だ」

 そう言って干し肉の袋を手渡すと、フラノは袋の中をそっと覗き込んで金色の睫毛をぱちぱちさせた。


「……くれるのか」とハイロが翻訳する。

「おう。子供にあげたりしないで、ちゃんとお前が食えよ」

「恵みに感謝する」

 フラノが胸に手を当てて軽く頭を下げたのを見て、困った顔をしていたハイロもそれに倣った。


「なぜ、我らに施しを」

 ハイロがぽつりと呟くので、勇者は「まあ不思議だろうな」と頷いた。


「保存食だが、味見したらかなり美味かったからな。祝福紋とやらで食欲が出ないんだろ? そういう時に美味さを感じようと思ったら、質素な食事じゃなくてちゃんと手間暇かけて作られたものを食わないといけない。美味いものを美味いと感じるのはさ、俺達がきちんと恵みに感謝できるように神様がそう作ったからだぜ? 神官のお前らがそれを制限されてるってさ、悲しいだろ」


 勇者の言葉に、異端審問官達が揃って顔を上げる。

「そのお言葉は一考に値しますが……貴方がたを異端審問にかけた我らに、なぜそのような恵みを与えようとなさるのです?」


 それは尤もな疑問だったが、しかし勇者にとってそれは簡単なことだった。

「勇者だからだよ。勇者は世界を救うけど、その『世界』は土地って意味じゃなくて、そこに生きる全てのものを含むだろ? 当然そこにはお前達神殿の人間も含まれるし、それに個人的にも、俺はお前に……えと、なんでもない……」

 最後がもごもごとなってしまったが、するりと口から出てきたその言葉は不思議なくらい勇者の中でしっくりきた。


 急に顔を赤くした勇者に首を傾げながら、ハイロとフラノがきっちりした一礼をしてどこかへ去ってゆく。また居場所がばれてしまったが、なんだかもうそれで良い気がしてきた。


 異端審問官も「勇者が救う世界」の一部である──戦っている時と全く違う穏やかな顔をしていたフラノを見て、彼は今はっきりとそう思った。


 敵は強いが、しかしそれでもがむしゃらに排除するのではない。恐怖と焦りを押し殺して仲間達に笑ってみせたガジュラの友にふさわしく、もっと愛のある勇敢な男になろう。そして彼の仲間達──傷を癒し、花を咲かせ、星の名を呼び、心あたたまる歌を歌う優しい力を持った剣の仲間達にふさわしく、優しい勇者になろう。


 異端審問官は殺さない……世界と一緒に、本当は真面目で正義感の強い彼らをあの狂信から救うのだ。何か具体的な策があるわけではなかったが、淀みが晴らされ世界の存続が決まれば神殿もまた変わるかもしれない。ハイロもフラノも、ロサラスが声を上げて笑うようになったみたいに、幸せを感じられる日がきっと来る。そう思うと、勇者は希望で心が弾むのを感じた。


 倒すためじゃない。守るために、救うために戦う。


 それがきっと俺の使命だ。



〈第二部 了〉





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