七 好敵手 前編(吟遊詩人視点)



「あれ? 魔法使い、それもらったの?」

「うん……見ていたら、くれたよ」


 昨夜剥がした賢者の鱗を魔法使いが指先でひねくり回していたので声をかける。どうせなら一番地味な賢者の灰色よりも勇者の空色や神官の不思議な青琥珀色の方が綺麗だろうにと思ったが、「それなら葉っぱの緑がいい」とか言い出して剥がされても嫌だったので、吟遊詩人はその考えを黙っておくことにした。


「早朝の雨雲を、宝石にしたみたいだね」

 魔法使いがやわらかなエルフ語で言い、吟遊詩人がそれを理解したのを視線で確かめると褒めるようにくしゃりと頭を撫でた。


「まあ、そうかもね……しっとりした品のいい灰色だとは思うよ」

 確かに、人魚の鱗は一枚一枚が宝石のように美しかった。川魚を食べるときにナイフの背で剥がすようなペラペラのそれではなく、しっかりと厚みがあって色もついているし……キラキラとしていて宝物にしたくなるのもわかる気がすると、薄灰色の鱗をひらひらの小さな鞄にしまい込んでいる魔法使いを見ながら思う。


 そんな魔法使いはどうやら朝方、早起きの勇者と散歩に出ていたようだ。吟遊詩人が目覚めたときにはすでに部屋の真ん中に色とりどりの貝殻やサンゴの欠片などを並べて、嬉しそうに「これは……神官の」と仲間達の分を選り分けていたし、起き上がると腹の上にはミュウの角によく似た淡い緑色の巻貝が乗せられていた。


 途中でヴァーラにも出くわしたらしく、海藻風のフリルがついた青緑色のポシェットは、彼女が「それに入れて持って帰るといいよう」と言って渡してくれたらしい。お礼に拾ったばかりの透明な赤い石をあげたのだという。なかなか貴重な宝石だとかで、かなり喜ばれたと勇者が言っていた。


 疲労のせいか酒のせいか珍しく寝坊した賢者を起こし、昨日の残り物で軽く朝食を済ませると外へ出る。勇者が宴の間に上手く言ってくれたらしく、今日の鮫狩りに銛を持って参加するのは勇者だけで、吟遊詩人達は後ろの方で魔法使いに泳ぎを教えつつ、何かあった時に勇者を助けてやれば良いとのことだった。


 良かった、ほんとに……勇者に感謝しなくちゃ。


 人魚達のノリについていけないというのもあったが、強さを期待されて何度も何度もできないことを練習させられるのは苦手だった。


 月の塔の護衛にと望まれて生まれ、血への恐怖を克服させんと数え切れないほど狩りに連れ出され、塔の情報を狙った侵入者への拷問を目の前で見せられ……そんな光景に吐いて気絶する度に、自分は家族にとっていつまでも怖がりの治らない無能なのだという無力感に苛まれてきた。愛され可愛がられてはいたものの、彼はあくまでも「何もできなくたって家族は愛しい」という存在であり、それ以上になることはない。努力家な人魚の鍛錬はそんな日々の記憶が蘇って、どうしても体が震えてしまうのだ。


 勇者に出会って、彼が自分の歌に涙を浮かべて感動してくれたとき吟遊詩人がどんなに嬉しかったか……きっと勇敢さを絵に描いたような彼にはわかるまい。戦いを恐れる自分をずっとそのまま甘やかしていて良いとは思っていないが、それでも今は、無理を繰り返して悪化してゆく過去とは違い、自分の心をいたわりながら強くなってゆける道を探してみたいのだ。


 考え事をしながらまだ見慣れない海をきょろきょろと見回していると、ヴァーラの姉だという人魚の女性、名前は確かアラディアだったろうか? 人魚姫というよりは女戦士という感じの彼女が、真っ白なサンゴの城の周りを舞い踊る美しい青色の魚を、何の気なしに素手で鷲掴みにしてひょいと銛の先に突き刺した。海の風景を美しく彩る可愛らしい魚をまさかそんな風に扱うとは思わずにびくりとすると、神官がそっと隣にやってきて手を握ってくれる。


「あ、大丈夫。魚はそんなに怖くないんだ、ありがとう」

「おや、そうでしたか。それは良かった」


 狩りの始まりを前に、人魚達は昨日にも増して激しく気を高ぶらせていた。何もないところで尾をバシバシと海底の砂に打ちつけたり、歯をむき出して豪快に笑ったりしていて──戦っている時の勇者も結構怖いなと思っていたが、こうして見るとシダルのあの獣のように目を見開いてニヤッとする笑い方は、まだしなやかさがあって優雅と言えるのかもしれない。なんだかまだ何も始まっていないのに疲れてきたので、神官に手を引かれてゆらゆらと尻尾を揺らし、ちょっとだけ前に進めるようになってきた魔法使いを見て心を落ち着けた。


 呪布を解いて、鞄の類は持っていないので二の腕に結びつけておく。人魚達が「昨日の朝はあっちの方にいた」と指差す方向が少しずれていたので「鮫ならあっちだよ」と教えてやると、熟れた林檎のように鮮やかな赤毛に赤鱗と青い海の中で素晴らしく目立つガジュラ王子が、なぜかハッとしたようにこちらを見て、キラリと白い歯を輝かせなからパッと顔の横に手のひらをかざして見せた。よくわからないが、笑いそうになるからやめてほしい。


 群れで生活するのだという十数匹の緑尾鮫を、王子の合図で散開した人魚達が周囲から囲むようにぐるぐると高速で泳いで少しずつ追い詰めてゆく。鮫の群れを一網打尽にするにはこうして乱戦を防ぐことで背後から襲われにくくするそうで、時折円を抜けようとする鮫の鼻面を殴りつけて押し戻している人魚達を見て、賢者が「イルカの漁に似ているが、それよりずっと乱暴だ」と呟いていた。


 勇者はといえば、流石の彼でも人魚達ほど速く泳げないらしく、段々と渦潮のようになり始めた円の外側に王子と待機しつつ、銛を片手にじっと機会を窺っていた。魔力経路の少ない体質のおかげで水中でも問題なく内炎魔法が使えている彼がそんなに後れを取ることが不思議で、じっと人魚達に目を凝らす。


「ねえ……人魚達の魔力が紫色に見えるんだけど、そんなことって有り得る?」

 何度見ても水と火が混ざっているようにしか見えない魔力光について賢者に尋ねると、驚いたことに彼は「人魚に限り、それは有り得る」と頷いた。


「人魚は、人間の学者の間で『蒸気の民』と呼ばれている。本来ならば反発し合うはずの火と水の魔力の双方を持ち合わせ、その上で肉体的に痛みや損傷を受けることなく、逆にその爆発的な反発の力を内炎魔法と近しく瞬発的な筋力へと変えて振るうのだ」

「何それ、本物の戦闘民族──あっ、魔法使い! 耳を」

「──放てえっ!!」


 王子がそれだけで何らかの攻撃になりそうな声量で叫び、それを聞いた人魚達が一斉に身を翻すと、渦の中央に集められた鮫に向かって激しく尾を振った。

 何かの魔法なのだろう、波が押し寄せるように人魚達から紫色の魔力が放たれ、水流を鋭い武器に変えながら鮫達をまるで紙切れか何かのようにぐるぐると押し流す。泳ぎによる制御を失った鮫達を狙って人魚の戦士達が素早く銛を構え──そしてその間をすり抜けるように勇者が飛び出した!


 激しくかき回されてふらふらになった鮫が一匹、吹き飛ばされたようになって吟遊詩人達の近くに流れてきていた。渦を挟んで向こう側にいた勇者が、獲物に目もくれず必死な形相でこちらに向かって泳いでくる。


「魔法使い! 凍らせろ!!」

 勇者が切羽詰まった声で叫ぶ。少し目を回しているようだった鮫が周囲を警戒するようにゆらりと尾を揺らし、突破の容易そうなこちらに鼻先を向けた。


「……ん?」


 海底でゆらゆらしている海藻の端っこをぷちりと千切った魔法使いが、勇者と鮫を交互に見つめ、軽く首を傾げて手にしたワカメの切れ端をぱくんと口に入れた。


「はあ!?」


 勇者の声が半分裏返った。吟遊詩人もちょっと「はあ?」と思った。この妖精はたぶん、人に対する警戒心と動物に対する警戒心を足して割った方が良い。


 迫り来る鮫に向かって賢者が若干自信なさげな顔で片手をかざしたが、その時ものすごい速度で鮫に追いついた勇者が、全身にカッと燃えるような魔力を巡らせて鮫の腹に銛を突き立てた。


 激しくのたうった鮫に間髪入れず飛びかかった彼が渾身の力で鮫の胴体を締め上げると、鮫は簡単に真ん中からぽきんと折りたたまれて絶命した。周囲の海水が血の色に染まり、流石に少し鳥肌が立って思わず隣の賢者の肘に手を伸ばす。彼は反射的に振り払おうとしたが途中でぐっとその衝動を我慢したらしく、小さくフンと息を吐いてそのまま掴ませてくれた──旅に出るまでは恐怖で誰かに抱きついたりしがみついたりしたことなどなかったのに、ああ、こうして皆が彼を甘やかすものだからすっかり変な癖がついてしまった。


 さて、そうしている間に人魚達の方も鮫狩りを終えていたようだった。とはいえ全員が無事という風にはいかなかったようで、肩に大きな咬み傷を作って顔をしかめていた人魚が、近寄ってきた「瀕死の茶鱗」に一瞬で傷を癒されて目と口を限界まで開ききっている。


 それで終われば良かった。人魚達は刺激的な狩りに盛り上がり、負傷は癒され、大量の獲物を手に入れたところで終わっていれば、まあ少々刺激が強すぎるものの楽しい時間となったのだ。


 しかし残念なことに、事はそう簡単にいかなかった。周囲に漂う銛で刺された鮫の血の匂いに、もっと大きな影がゆったりと近寄ってくるのが、吟遊詩人の視界に見えてしまったのだ。


「僕から見て紫の方向! 巨大な……体長は鮫の十倍くらい。鰭のある竜みたいな、水持ちの影がこっちに向かってる!」

「海竜の幼体だ、すぐに獲物を捨てて距離を取りなさい! 血を流している者はすぐに神官の元へ。魔法使いはこの周囲一帯を浄化せよ!」

「……ん。うくあーぜな、いうとーうえーる」


 魔法使いがワカメをもぐもぐしながら呪文を唱えると、周囲をうっすら赤く染めていた鮫と人魚達の血が瞬く間に分解浄化されて澄んだ色に戻った。が、獲物を捨てて逃げろと言われた人魚達が誰ひとりとして動かない。


「海竜って、そんな大物を前にして逃げろと言うの! それも獲物を捨てて……もっと勇気を出しなよ!」

 くすんだ青緑色の鱗をした女性の人魚が一喝するように叫ぶ。


「竜を何だと思っている! 簡単に命を捨てるような真似を勇気とは言わぬ!」

 賢者が苛立った声を返すが、戦士らしく強者と認めた者の命令しか聞かぬのか、人魚達が行動を始める様子はない。


「……ガジュ、ここは退こう。戦略的撤退は臆病者の言い訳じゃない。不利な状況を避けるのもまた実力のうちだ」

 皆が焦る者と苛立つ者に別れるなか、勇者が押し殺した声で王子に囁くのが聞こえた。いつも勇猛果敢な彼がこんな言葉選びをするのを吟遊詩人は初めて聞いたが……普段慎重な仲間に囲まれていて目立たないだけで、もしかするとシダルは意外と冷静な方の人間なのかもしれない。いや、このとんでもない戦闘民族と比べても意味がないかもしれないが。


 しかし人魚の王子は、少し困った顔で笑うと黙って首を横に振った。そしてバッと俊敏な動きで人魚達の方に向き直り、くつくつと抑えきれないような楽しげな笑い声を響かせる。

「ついに……ついに来たぞ! 私の伝説の始まる時が!!」

「へ?」

 鋭い戦士の表情を浮かべていた勇者が、子供のような顔できょとんとした。


「皆下がれ! あれは海の覇者となる私の獲物だ!」

「うおおお! 王子!!」

 じりじりとしていた人魚達がぱあっと顔を輝かせ、次々に鮫を引きずって王子の後ろへと下がる。


「え、ちょっと。あんなこと言ってるけど……」

 腰鰭をぎゅっと縮こまらせながら賢者を見上げると、彼は難しい顔で腕を組んで頷き、勇者に向かって一言呼びかけた。


「勇者」

「どうした」


 鮫をぽいっとその辺に捨てた空色の人魚が泳いでくると、賢者が王子の方へ向かって顎をしゃくった。

「どうする」

「そりゃ、加勢するよ」

「であろうな。上手く言いなさい」

「ああ、そのへんは任しとけ」


 ニヤッと笑った勇者が王子の方へ戻ってゆく。どういうことかと賢者に尋ねようとしたが、勇者の空色の尾を意味もなく目で追っているうちに気づいた。


 肉眼でも遠くに見え始めた竜の影に向かって強気に笑う王子の視線は、一見好戦的だがよく見るとビリビリと緊張したように瞳孔が開いている。先程までよりも魔力の巡りがずっと速く……もしかすると仲間の人魚達を遠ざけたのは、手柄を独り占めするためではないのかもしれない。


「俺達は加勢するぞ、ガジュ」

「客人は離れていろ。私の獲物だと言ったろう」

「客じゃない。俺に向かって『海の覇者の好敵手』だって言ったのはお前だろ? 一応聞くが、好敵手がみすみす獲物を譲ったりすると思うか?」

「シダル」


 王子は困ったように振り返ったが、ニヤッと狩人の顔で笑った勇者の目が一瞬夕焼け色にキラリとしたのを見て息を呑み、そして彼もまた歯をむき出して獰猛に──今度は本当に大物を前に興奮している顔で笑った。


「ならば仕方あるまいな……討つぞ」

「おう」


 そう拳をぶつけ合って笑う様子はまさに男の友情といった感じで、吟遊詩人はちょっぴりかっこいいと思った。がしかし、同意を求めて見上げた賢者が最高に面倒くさそうな顔で「暑苦しい……」と呟いていたので、思わず吹き出して笑ったのだった。





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