九 武器屋 前編
背丈は勇者の腰よりも少し高いくらいだろうか。ずんぐりした体型に加えて茶色い髭を顔じゅうにもじゃもじゃ蓄えたドワーフが、ガチャガチャと何か蹴飛ばすような音を立てながら騒々しく現れた。髭の奥をよくよく見ると気難しい職人らしく迷惑そうな表情をしていたが、しかし彼はなぜか勇者の隣に立っている賢者を一目見るなり、ニヤリと頰の髭を持ち上げて不敵な笑みを浮かべる。
「……おっと。お前さん達『こっち』の客か──来な。丁度ピッタリのヤツが仕上がったとこだ」
分厚い布のエプロンを掛けた小柄な鍛冶屋は人間よりも随分太い親指で背後をぐいと指すと、返事も待たずに背を向けてどんどん店の奥へ歩いてゆく。全く意味がわかっていない勇者が隣を見ると、賢者がさっきのドワーフの倍は面倒そうな顔をしながら、彼の去った方へ軽く顎をしゃくって「……行け」と呟いた。
店の奥はやはり工房になっていた。あらゆるものが煤で汚れた薄黒い部屋の中で、焚き火とは段違いの熱を放つ炉の火だけが赤々と燃えている。炉の前には大きな金床や馬鹿でかい金鎚が置いてあり、床には作りかけの剣のようなものが散乱している。
「こっちなんだが、ちょいと待ってくれ」
勇者が今までに聞いたことのある声の中でもいっとうしゃがれた
「旦那みてえな客は久しぶりなんで埃っぽいが、まあそこは大目に見てくれや。俺が明かり持って先に行くから、剣士の
「あ、ああ」
剣士という響きに少しそわそわしながら細い階段を通って下へ降りてゆくと、そこにはなんとも雑然と散らかった狭い部屋が、蝋燭の小さな明かりに照らされて浮かび上がっていた。ドワーフが「燭台はどこやったっけか」と言いながら広い机に乗っている紙の束やら製図道具やらをザッと腕で払いのけて床へ落としたのを見て、賢者が嫌そうな顔をするとマントで口元を覆った。物が落ちたところからもうもうと埃が立ち昇る。
「……我々は弓を一本見繕いに来ただけなのだが」
どうも勇者よりは状況がわかっているように見える彼が、息をするのも嫌なのか低く抑えた声で言えば、床から拾い上げた埃まみれの燭台に火を移し終わったドワーフは苦笑いして首を振った。蝋だけでなく埃も燃えている臭いがする。火事にならないだろうか。
「まあまあ、そう厳しいこと言ってくれるなって。旦那みたいな御仁をタダで帰したとあっちゃ『鉄(くろがね)のワズグ』の名が廃るってもんだ。後悔はさせねえからよ」
「旦那」という呼ばれ方がどうも似合わない賢者に向かって──彼はどちらかというと「先生」という感じで、神経質さが目立つせいか目つきのわりにあまり貫禄はないのだ──苦笑したドワーフは、懐から平べったい木の箱を取り出すとコトンと机の上に置いた。
「……まずは何も言わず、こいつを見てくれねえか」
ガラガラ声を潜めて厳かな調子で言われ、木箱の蓋を開けて見せられたのは手のひらくらいある長い鉄の針だった。同じ大きさのものが箱の中に六本、綺麗に並べられている。糸を通す穴は空いていないが先端は見たことないほど鋭く研ぎ上げられているし、滑り止めなのか縦に細い線が彫ってあるところなんかもなかなかの細工だ。
「何だこれ? 裁縫道具か?」
恐ろしいほど無表情な賢者の顔を見なかったことにしつつ尋ねると、ハハッと軽い笑い声が帰ってくる。
「おいおい兄ちゃん、旦那の護衛ともあろうもんがそんなんじゃいけねえよ。確かに細っこいけどな、これだって立派な武器──それもよ、この俺が鍛えた中でも最高峰の暗器だぜ」
「……暗器?」
勇者が眉をひそめると、ワズグという名前らしい彼は髭を揺らして何か企んでいるような目でニヤリと笑った。
「仕込むのはな、これよ」
箱の横に黒い小瓶がコンと置かれる。
「一滴ありゃ、どんな大男もコロッてなもんよ。どこの筋からってのは言えんが、あんたみたいな凄腕に相応しいヤツだ。あんたのその目……まあ今まで何人
「……いや、私は」
賢者が静かに話を遮ろうとしたが、勢いに乗っているワズグは止まらない。
「ああ、金ならいらねえよ。あんたみてえな御仁に使って貰えるってだけでな、鍛冶屋の、いや男の浪漫が
なんだかますますわけのわからない話になってきていたが、期待に満ちたドワーフの視線を受け流してゆっくりとこちらを振り返った賢者が、誤って別の人間を殺してしまった死神のような顔をしていたので──つまり、わかりにくいがたぶんこれは弱って助けを求めている顔だ──勇者は困りながらもぼそっと言った。
「まあ……職人の男がこれだけ言ってるんだ。持ってて邪魔になる大きさでもないし、もらっといてやれよ」
「ほんとか!」
嬉々としたドワーフに手の平に収まるくらいの小箱と小瓶を握らされた賢者は、心をどこかへ落としてきたような目をしていた。
そんなこんなで埃まみれの地下室から店の方へ戻った勇者達は、ようやく弓の話を持ち出すことができた。本当のところを言えば賢者に「お前、実は殺し屋だったのか?」と尋ねてみたかったが、それを口に出せば一週間は口を利いてくれなくなりそうな顔をしていたのでやめておく。
「これを射ることができる弓が欲しいのだが」
賢者が勇者の背負っている矢筒から矢を一本引き抜いてワズグに渡す。
「ああ、こりゃ……妙になげえが、鉄の矢ってこたあ引き金引く方のヤツか。残念だが、機械弓はうちの店じゃ扱ってねえんだわ。兄ちゃんには悪いが、どうもああいうのは性分に合わなくてよ」
「いや」
賢者は小さく首を振ると、機械弓という言葉に首を傾げている勇者に顔を向けた。
「そなたが使っていた弓について、彼に説明しなさい」
「え? ああ……ええと、長さはあそこに掛かってる弓と同じくらいで、厚みはこれくらいの、ちょっと平べったい鉄でできてるんだが……そんなのあるか? あ、引き金とかいうのは付いてないと思う」
勇者が身振り手振りを交えて説明すれば、ワズグは訝しげにもじゃもじゃの眉を上げ、そしてじわじわと驚愕の顔になっていった。
「平べったい鉄って……もしかして板ばねか? おい、兄ちゃんまさか、金属弓を手で引くって言ってんのか? いや、確かに人間にしてはひょろっこくなくて、いい体しちゃいるが……とてもそんな代物を扱えるようには見えんぞ」
「店主よ、こやつは内炎体質だ。外見よりも力はある──しかし、強弓であろうとは思っていたが、金属の弓を引いていたとはな」
賢者が呆れ返った目で見下ろしてきたのを見つめ返して、勇者は困った顔で腕を組んだ。
「いや、子供の頃は木の弓も使ってみてたんだが、少し気を抜いた瞬間にすぐ折れるんだよな。大事に使いたいからできれば金属か、同じくらい丈夫なものが欲しい」
「すぐ、折れる……」
ワズグは目を丸くしたまま掠れ声で勇者の言葉を繰り返したが、しかし次の瞬間には腹を抱えて大笑いし始めた。
「いや、こりゃいいや! 流石旦那の連れだ、並の男じゃねえ! いいぜ、特別頑丈な鉄の弓を鍛えてやらあ!」
「ほんとか? それは助かる」
勇者がほっとして笑ったのを見届けると、まだ少し遠い目をしている死神風の男とドワーフの間で細かい注文が詰められ始めた。
「素材だが、鋼ではなく竜鉄を使ってもらいたい」
「竜鉄?」
賢者の言葉に勇者が握っていた木の弓を置いて首を傾げると──店にあるものの中で一番扱いやすい大きさのものを選べと言われたのだ──ワズグが信じられないという風に首を振りながらそれに答えた。
「鋼より強くて粘っこいのに金や銀みてえに錆びねえ、鉄よりずっと軽い、とんでもねえ金属だ。性能だけじゃねえ、ほんのり緑っぽくてよ、磨くとそりゃあ綺麗な色をしてるんだが……おい旦那、そりゃ本気か? 剣の刃の部分だけに使うとかならまだしも、弓一本分となるとべらぼうに高くつくぜ?」
「前金として、金貨二枚は準備してある」
「いやいや、前金で金貨ってよ……確かにとんでもねえ目をしてるとは思ってたが、どんだけ稼いでんだよ……」
「とんでもない、目」
淡々と復唱した賢者の瞳の深さがズンと一段階増したので、勇者は慌てて賢者の肩をトントンと叩いて気を引いた。
「な、なあ賢者」
「触るな」
「なあ、よくわからないんだが……それ凄く高いんじゃないか? ええと、パン一つが十三クファ?だから……いくつ分だ?」
勇者が首を捻りながらも心配すると、賢者は顎を上げたままちっとも笑っていない冷たい嘲りの瞳で彼を見下ろした。
「パンで換算するな」
「うっ……でも、高いのは確かだろ? 俺の弓にそんなに金使っていいのか?」
「問題ない。硬貨として温存するより、質の良い装備として活用する方が価値がある」
仲間五人のパン数年分はありそうな金を動かすにしてはえらくあっさりした答えだったが、迷いのない賢者の声でそう言われるとそんなような気がしてきた。
「いや……そうか、ありがとう」
「ふん」
パンが買えなくなる分、俺が肉を狩ればいいかな……。
そんなことを考えていると下の方からくつくつと笑い声が聞こえてきた。見ればもじゃもじゃのドワーフが肩を揺らしてえらく生き生きと瞳を輝かせている。
「いいねえ! こんだけ武器に金を惜しまない人間は久しぶりだぜ。うん、ちゃんとわかってる奴ほど装備にはきちんと手をかけるもんだ。……んで、俺は間違いなく金貨を払う価値のある鍛冶職人よ。その点についても見る目あるぜ、あんたら」
「ええと、ワズグの親方、なんか楽しそうだな」
勇者がそう言えば、ワズグは大げさに腕を広げて目を剥いた。
「そりゃ楽しいに決まってんだろ! 竜鉄なんてバカ高い素材使って、およそ人間が引くとは思えねえバカみてえな強弓作れってんだ。これほど職人魂が疼く依頼もそうそうねえよ。おい、気分がいいからそのくたびれた矢筒とベルトもおまけで新調してやる。俺は革細工の腕もなかなかだぜ?」
「ほんとか? それは嬉しいな。結び目のとこもそろそろ擦り切れそうだったし、弓を縛っとく紐も欲しかったんだ」
勇者が微笑んで礼を言うと、ワズグは訝しげに首を傾げた。ぼんやり妖精のようにふにゃりと斜めに倒すのではなく、傾げた後に顎を突き出して睨み上げるような、男らしい首の傾げ方だ。髭に隠れて細かい顔の動きはほとんど見えないのだが、瞳が表情豊かなので魔法使いや賢者に比べると断然何を考えているかわかりやすい。
「弓を縛っとく紐? 何だそりゃ、ちょっと背中見せてみろ」
「え? いや、矢筒にくくりつけとくと使ってない時に両手が空くだろ」
勇者が背中を向けて後ろ手に矢筒のあたりを指差すと、ドワーフは腕を組んでもじゃもじゃの眉根をぐっと寄せた。
「兄ちゃん、変わったこと言うな。持っとくのが邪魔な時はだいたい弦を張った状態で肩に掛けるか、まあ背負いたいなら矢筒に引っ掛けとくのが主流だぜ?」
「うーん……前は肩に掛けてたんだが、最近は剣が主体だし荷物もあって邪魔なんだよ。でも矢筒に掛けると外す時にぶつかって音が鳴りやすいだろ? それがちょっとな」
勇者も腕を組んでワズグと同じような顔になると、彼は鼻からフンと息を吐いて腕を組み直した。
「ううむ……まあ金属弓なら重さでずり落ちやすいし肩は邪魔かもな。にしても流石旦那の連れだ、気配を消すことに余念がねえ。なら高級品だが、魔力のアテがあるなら魔導吸着型にするか?」
「何だそれ?」
寄せた眉をさらにひそめながらドワーフと賢者を交互に見ると、案外面倒見の良いらしいワズグが親切な調子で説明してくれた。賢者の方は話に飽きたのか、木の床に直接突き刺して展示してある剣をちょんちょんとつついて触りながら眺めている。
「ええとな、磁石ってわかるか?」
「いや、知らん」
ガラガラ声の問いかけへ素直に首を振ると、ワズグは「なら見た方が早えな。ちょっと待ってろよ」 と背を向けて勘定台の奥の戸棚を開けた。開けた途端に中の物が雪崩のようにこぼれ落ちて床に散らばり、振り返った賢者が顔をしかめる。
しばらくがさがさと戸棚の奥や床の上を漁った粗雑な鍛冶屋は、例の魔力測定器に似て紋様が描き込まれた透明の、しかしこちらは四角く磨かれた宝石のようなものを二つ引っ張り出した。ワズグがそれを台に置きがてらぐっと握ると、石が内側から光るようにほんのり赤く染まる。片方は拳大で、もう片方は親指の爪くらいの大きさだ。
「あったあった。ほらよ、これが魔導吸着石だ。いいか? 弓と矢筒に、魔導を刻んであるこの対の魔石を嵌めるのよ。そうすっとコイツとコイツが引き合って……見てろよ? ほら、ピタッとくっつくからよ。それをもぎ取って使ってだな、使い終わったらまたここにこう……つまり背中にこう回すだけでくっつくのよ。ちゃんといい石使うと軽く外せる上、どんだけ暴れても落ちねえぜ」
弓を背中に回す動作をしながら説明するワズグに、驚きながら頷く。どうやらこの石に魔力を注いでおけば、軽く触れさせるだけで弓を矢筒にひっつけておけるらしい。
「へえ、世の中には便利なものがあるんだな」
鍛冶屋は感心している勇者に「兄ちゃん、そんだけ強そうなのに子供みたいな反応するな」と笑うと、しかし少し苦笑いになって続けた。
「ただこの魔導石がよ、魔石使ってる上に魔導師に依頼するだけ高くつくんで、便利だがあんまし人気はねえな。こいつにしたけりゃその分の追加料金は貰うぜ」
「──魔導石はこちらで用意できるが、それならばいかほどになる?」
勇者が驚いて振り返ると、いつの間にか隣に戻ってきていた賢者がふいと視線を背けて「その程度ならば作ってやる」と呟いた。 それを聞いてワズグが気圧されたように一歩退く。
「旦那あんた……そんなことまでできるのかよ……」
「……むしろこちらが本職に近いのだが」
しかし今日一番の嫌そうな顔を向けられたドワーフはハッとなると、急にしたり顔になって頷いた。
「そっか、仮の姿ってやつだな? いいね、痺れるぜ……そんなら魔石を組み込む手間だけだからよ、それもおまけにしといてやる」
「そうか。吸着石だが、余分に作成すればこちらで買い取ってもらえるか」
「おう、出来が良けりゃな。だがもし作れるんなら、吸着より炎石みたいな魔剣の材料のがありがてえな。値が張る魔導石も、わりかし剣士にゃ人気があんだよ。魔法剣士は浪漫だからっつってな」
「心得た。ところで他にも──」
作ったものを売るならどこの店の方が良い値がつくだとか、二人の会話が魔導具と金銭の話ばかりになって退屈してきた勇者は、賢者に一声かけると店の外を覗きに行くことにした。入る前に気になっていたのだが店の前にもたくさんの武器が山積みにしてあって、後でゆっくり見てみたいと思っていたのだ。
そこから先は、どうにも不運としか言いようがなかった。
店の扉を開けると、鈍いベルの音に通りを歩いていた人間がふと振り返る。たまたまそちらを見ていた勇者はその人物と目を合わせた瞬間、咄嗟に外へ出ると後ろ手でバタンと扉を閉めた。無意識に内炎魔法が出ていたらしく、強く叩きつけられた戸がミシリと音を立てて軋む。
「おや、勇者殿」
目が合った人間が──濃い灰色のマントのフードを被った女が、少し驚いたように薄茶色の目を瞬かせた。感情が見えないわけではないのに鏡のように心が届かない、相変わらず不気味な目だ。
「お前は──」
「お探ししましたよ。国を出られる前にお会いできて良かった──といっても、今回は陰からお姿を拝見するのみに留める予定だったのですが」
どうする。賢者を呼ぶか、このまま隠し通すか──
ごくりと唾を飲みながら思考を巡らせる。賢者の塔で勇者の腕に紋を刻んだ気の異端審問官が、そこにいた。
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