ラヴクラフト的文体とポー

 ラヴクラフトがE・A・ポーから影響を受けたとすれば、それは「告げ口心臓」と「アッシャー家の崩壊」この二作から、と言うことができるのではないか。

 いや、当然のことながら、作家が何から影響を受けたかという問題は、そう単純には語れない。

 それでもここで、あえて二作に絞って作品名を挙げたのは、それがある種、分析のツールとして役立つのではないかと思ったからである。


 ともかくも、ラヴクラフトがポーから影響を受けている、そしてある程度までは模倣者とも言える立場であることは認めてよいだろう。

 ラヴクラフトの「アウトサイダー」には〈ポーの未発表作品だと言っても通るだろう〉とするオーガスト・ダーレスの評言もあるし、「狂気の山脈にて」における南極圏の謎めいた生物の叫び「テケリ・リ! テケリ・リ!」はポーの「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの冒険」からの流用である。

 また「告げ口心臓」と「アッシャー家の崩壊」からも一応の関連を指摘できる。

 「ランドルフ・カーターの陳述」は「告げ口心臓」と同様に、警察の取り調べでの陳述をそのまま本文としたものだし、「闇をさまようもの」の主人公は日記の中で「ロデリック・アッシャーだ」と、自らを「アッシャー家の崩壊」の登場人物になぞらえている。


 では、なぜとくにこの二作を取り上げるのかを説明しよう。

 それは語りの速度の問題である。それがこの二作では対極的なのだ。

 「告げ口心臓」の語り方は、オチに向かって一気に語る感じで、いわば《加速する語り》である。

 「アッシャー家の崩壊」の語り方は、なかなか進まない、じわじわと前進する語りで、《停滞する語り》といえる。その典型が書斎にある本のタイトルをいちいち列挙することだと言えば、ラヴクラフトとの類縁は明らかだろう。

 小説の語りの中で、書物のタイトルに言及することは、そこでその本のイメージが割り込んでくるわけだから、線的な語りを脱臼させる。詩を引用したり、絵画や彫刻、夢などへの言及も同様の効果がある。流れるような語りの効果は阻害されてしまうが、そのぶんイメージは重層化し豊かなものになり得る。ラヴクラフトの小説の多くはそうなっている。

 比較的短い作品である「ダゴン」でも、オチへと加速していく、と言うよりは、隆起した島に上陸した主人公は夢を見たり石碑を見たりで、《停滞する語り》の雰囲気である。

 「クトゥルーの呼び声」の草稿や新聞記事、「闇に囁くもの」の手紙なども語りの重層的な語りの効果を生んでいる。ラヴクラフトの小説は基本的に「アッシャー家の崩壊」の語り方に近い。

 ただ時おり、その内部に「告げ口心臓」型の語りが部分としてあらわれることがある。それは「ダンウィッチの怪」の望遠鏡で怪物の姿を見たカーティス・ウェイトリイの語りや、「インスマスを覆う影」のザドック老人の語りが代表的な例である。

 「アッシャー家の崩壊」のような《停滞する語り》で全体を構成しつつ、時に「告げ口心臓」のように《加速する語り》を組み込む。この停滞と加速のあいだを自在に行き来することが、ラヴクラフトの劇的な文体を生み出している、と言えるのではないか。


 補足1.

 この文章を書くためにポーの二編を読み直して気づいたのだが、「告げ口心臓」の語り手とロデリック・アッシャーはともに〈五感が鋭い〉人物と設定されている。そして両者とも床下から死んだはず人物のたてる音を聞いている。アッシャーがそのことを告白する場面は部分的な《加速する語り》で、これが「告げ口心臓」の原型と言えるのではないか。そう言えば、ラヴクラフトの「ピックマンのモデル」のピックマンも地下からの音を気にしていた……。


 補足2.

 ついでにもう一つ思いつきを書いておくと、夢野久作は「告げ口心臓」型で、小栗虫太郎は「アッシャー家の崩壊」型という対比があるかもしれない。

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神話製造器 小倉蛇 @tada7ka

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