長編化したクトゥルー神話
ラヴクラフトの死後、クトゥルー神話はどう発展したか?
そのことについて私の考えを書きたいと思います。
クトゥルー神話は現在に至るまでいろいろと書き継がれているわけですが、大きな変化としては、長編が書かれるようになった、ということだと思います。
長編としてのクトゥルー神話作品で重要なものを挙げるなら。まずは、オーガスト・ダーレス『永劫の探求』(『クトゥルー2』)ではないでしょうか。
この作品は1944年から1952年にかけて断続的に発表された連作短編ですが、実質的には長編として読むことができます。
内容は、シュリュズベリイ博士という老人がアンドルー・フェランやエイベル・キーンといった青年たちの力を借りて、クトゥルーの出現する開口部をふさいだり、邪教の教祖を暗殺したりといった活動をし、最後にはクトゥルーが眠るルルイエを核攻撃する、という話になります。その結果として、クトゥルーは死んだと思われるが、復活するかもしれない、という言わば疑問形のまま終わっています。
この疑問に明確に答えた作品がロバート・ブロックによる1979年の長編『アーカム計画』です。
『アーカム計画』は、ピックマンのモデルの絵が実在することを知った男の探索が第一部、第二部では、その男の行方を探す妻が主人公となり、
結論を言えば、核兵器を使えば、クトゥルーは消滅させられる、だがそれは一時的なものでいずれ復活してくるということです。消滅したものが復活してくるということですから、核以上の超兵器を持ち出したとしても結果は同じでしょう。つまり人類はどうしても〈旧支配者〉には勝てない、ということになります。
この袋小路を打破できることを示した作品がコリン・ウィルソンの長編『賢者の石』です。発表されたのは1969年、つまり『アーカム計画』より前ですが。
この作品では、人間の脳内に特殊な金属を埋め込むことで、能力を増大させ、その超能力による、人類を支配するものの歴史的な探求が描かれているのです。
まとめると、ダーレスは、ラヴクラフト的な短編からクトゥルーへの核攻撃というテーマへ至ることで人類の科学力による勝利の可能性を示しました。それに対してブロックが描いたのは、核を用いてもやはり旧支配者が勝つという世界観でした。しかし別の可能性としてウィルソンが示したのが、〈精神進化〉というテーマを追求することでクトゥルーの支配から脱することができるのではないかということです。
そして、進化した人類つまり 超能力者となってクトゥルーと戦うという発想の先に位置づけられるのが、風見潤『クトゥルー・オペラ』、栗本薫『魔界水滸伝』あるいはブライアン・ラムレイ《タイタス・クロウ・サーガ》といった〈スペースオペラ型〉とでも言うべきクトゥルー神話作品となります。
以上が、長編化したクトゥルー神話の見取り図を自分なりに描いてみたものです。
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